『運命の選択(二)』

 ————七年前に白虎派びゃっこはを抜けてから、成虎セイコ月餅湖げっぺいこを除く神州しんしゅう各地を目的もなく放浪していた。

 

 時の経過と共にボロボロだった身体からだの傷は癒えたが、愛する女と好敵手と親友を同時に失った衝撃は大きく、ヒビが入り空っぽになった心はいまだ修復されていない。

 

 

 

 ある時、成虎が小さな酒楼で酒を呑んでいると、隣の卓に座る男たちの声が聞こえてきた。

 

「————ほお、良い色の磁器だな。何処どこで手に入れたんだ?」

「ふふ、分かるか。これは黄州こうしゅう清徳鎮せいとくちんの作品さ」

「ああ、あの有名な! それじゃ、かなりが張ったんじゃないのか?」

「……カミさんには黙っていてくれよ?」

「分かった、分かった」

 

 手酌で呑みながら成虎はチラリと隣の卓に眼を向けた。なるほど確かに、男の持っている磁器は遠目から見ても銘品のようである。どこか他に行く宛てがある訳でもなし、興味を覚えた成虎は杯に残っていた酒をクイッと飲み干し、卓の上に小銭を置いて立ち上がった。

 

 

 

 ————黄州の西部にあるという清徳鎮を目指して歩を進めていた成虎だったが、そこはやはり筋金入りの方向音痴である。期待通りと言うべきか、今までの例に漏れず迷いに迷ってしまっていた。

 

「……ありゃあ、おかしいな。街道を進んでたはずなんだが…………」

 

 素直に街道を通っていたはずが、いつの間にか薄暗い森の中を歩いている。成虎は自嘲するように笑ってみせた。

 

「……才能豊かなこの成虎さまが、どうしても手に入らねえモンがもう一つだけあったな」

 

 けれども構わず前進していると、視線の先に二股の分かれ道が現れ、その間には粗末な卓と椅子に座る老人の姿があった。老人の姿を認めた成虎はいぶかしげに首をひねった後、何かを思い出したようにいたずらな笑みを浮かべた。

 

「————よお、爺さん。占い師ってやつか? こんなトコで客なんか来んのかい?」

「……ええ、来ますとも。現に今日の初めてのお客が来ました」

 

 どこかで聞いたようなやり取りをした二人はニッと笑って顔を見合わせた。

 

「懐かしいな、爺さん! 元気してたか?」

「ええ、十数年振りですかな。あなたは…………少々、心がお疲れのようですな」

「…………おいおい、俺ぁまだ占ってくれたあ言ってねえぞ?」

 

 易者の老人に心中を見抜かれた成虎は、誤魔化すように笑いながら席に着いた。

 

「それは失礼しました。では、何を占いましょうか?」

「そうだな……、それじゃあ、これからの俺の人生ってのぁどうでえ?」

「……あなたの人生、ですか……」

「おうよ。ちょいと大雑把すぎるかい?」

「…………」

 

 老人はそれには答えず、ゆっくりと両腕を広げた。

 

「……この先の道は文字通り、あなたの人生の分かれ道になっております」

 

 老人は右側の道を指し示す。

 

「右の道を進むと、あなたは残りの人生を平穏無事に送ることが出来ます。ただし、それは永遠の凪をくが如き航海です。一切の嵐も無い代わりに、一切の感動や喜びも無い、無味無臭とも言える人生となりましょう」

 

 続いて、老人は左側の道を指し示し、

 

「左の道を進めば、あなたは大切なものを失います。あなた自身の身体からだを損なうこともあるやも知れません。しかし、その代わりにあなたはかけがえの無いものを手に入れ、その乾いた心は満たされることでしょう」

 

 黙って聞いていた成虎は苦笑いを浮かべて腕を組んだ。

 

「……なんつう両極端な人生なんでえ。俺としちゃあ、引き返して別の道を探してえトコだねえ」

何人なんぴとたりとも過去には戻れぬように、例えいま引き返したとしても必ずこの分かれ道に戻ってきてしまうでしょう」

 

 ここまで話すと、老人は道のかたわらへと身を避けた。

 

「……さあ、引き返すことは叶いません。苦しみも喜びも無い穏やかな人生か、大切な何かを失う代わりに大切な何かを手に入れる激動の人生か。お好きな方へ進みなされ」

「…………」

 

 老人の問い掛けに成虎は眼を閉じて思案する。

 

(————『一切の嵐も無い代わりに一切の感動や喜びも無い平穏な人生』、か……。そいつも良いかも知れねえな。最初ハナからアイツらに出会わなけりゃあ、アイツらを失うこともなかった……。もう俺ぁ、置いてきぼりにされんのぁゴメンだ…………)

 

 成虎はしばしの沈黙の後、口を開く。

 

「……俺は————」

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