間章 〜硝子細工みたいに脆い蝶〜

16 追憶の小瓶

 ふと客室内のカーテンを開けてみる。

 巨大な窓の先に広がっていたのはどこまでも続く青い空と雲海。非常に美しい風景だが、高所恐怖症の人が見たら卒倒しそうだ。


「ひぇ、飛行機に乗っているみたいです」

「飛行機? ああ、君が産まれた世界でよく見かける鉄の塊か」


 テーブルの上から青年の声が響く。

 客室内の本を読んでいるアルシエラだ。

 恐らく声がした方向を見ればモフモフの小動物が小さな前足を使ってページをめくる珍妙な風景が見られるだろう。


「所で君に同行している男についてだが」

「あぁ、メルランさんですか? メルランさんが私に同行しているというより、私がメルランさんの家路に同行しているのですが」


 どうして彼がログレシアへの旅路に同行する事になったのか。理由はシャナさんが彼に、私がログレシアを経由してワダツミ島へ向かおうとしている事を伝えたからだ。

 それを聞いたメルランはログレシアに居る間、私を家に泊めてくれるばかりか魔法道具店も紹介してくれるらしい。

 気前が良すぎる。


 ちなみに、現在、先程も述べた通りメルランがログレシアに帰る所を同行させていただいている。


「あいつの精霊核オドから強い魔力反応があった」

「凄腕の精霊師マギーズという事ですか? 」

「いや、神霊が人間に与える精霊核オドの魔力変換量を遙かに超えている」

「つまり、神霊ですか? 」

「それも違う。基本的に神霊は俺のような特殊ケースを除いて、自分のテリトリーから長く離れない。数ヶ月など、もってのほか」


 自分のテリトリー。即ち守護している都市からは、長く離れない。

 アルシエラの言葉を信じるならば、確かにメルランは神霊ではない。

 現に彼は、数ヶ月間フランドレアに滞在していた。


「つまり、メルランさんを警戒しろという事ですか? 」

「警戒までする必要はない。ただ、念頭には置いておいた方が良い」

「なんですかそれ」


 私は、ぶっきらぼうに返答したが、彼はこれ以上何も言わなかった。



――さて船が到着するまで何をしましょうか?



 船に乗る前、メルランからは、ログレシアの港に到着するまでの間、船内を自由に探索して良いと言われている。

 折角、空飛ぶ豪華客船に乗船しているのだ。船内を隅々まで探索すべきだ。


 しかし、私には一つやるべき事がある。

 それは、シャナから貰った瓶の中身を見る事。


 ショルダーバックの中に手を突っ込む。

 瓶を掴みたいと、頭の中で念じれば勝手に、手元に瓶が来る。

 掴んだ瓶を取り出す。

 瓶の状態は貰った時と変わらず、中には光の粒が詰まっていた。

 

――これ、どうやって使うのだろう。


 冷静に考えたら一番聞くべき事を聞きそびれていた。

 これの中身がジュースにならこのままコップに注ぐだけだが、残念ながら瓶詰めの記憶の使い方は心得ていない。


 とりあえず瓶の蓋を外してみる。


 異変は直ぐに起きた。

 なんと、中に詰まっていた光の粒が瓶から溢れ出したのだ。

 そして、粒は私の視界を覆った。



*



 目を覚ます。

 視界に映るのは、赤いカーペットとブラウンの家具が並べられた上品な部屋。

 壁に掛かった白いレースのカーテンは、少し開いた窓から吹き込む風に揺られている。


 中央に置かれたテーブルの上には、何枚も巨大な紙が重ねられており、よく見るとそれらは洋服の設計図だった。

 刺繍が施されたロングスカートに、ノースリーブのトップス。そして、透明なカーディガン。壮麗かつ華美なデザインはフランドレアの雰囲気に良く合っている。

 

――ここは何処でしょう? シャナさんの言葉を信じるなら、此処はシャナさんの記憶でしょうか。


 服の設計図を見ていると突然扉が開く音がした。

 慌ててテーブルの下に隠れる。

 

 部屋に入ってきたのは一人の少女。


 赤髪とエメラルドグリーンの瞳そして片目につけた眼帯が特徴的な彼女はステファニーと容姿が似ている。

 幼少期のシャナだろうか。


 子供のシャナは、部屋の隅にあったリュックの様な物を取り出した。そして、部屋の冷蔵庫からいくつかの食べ物を取り出した。

 冷蔵庫といっても私が産まれた世界にある様な、長方形の電化製品では無い。この世界での冷蔵庫は大体戸棚の形をしており一見すると、ただの戸棚だが中に手を突っ込むと、ひんやりする。

 空気中の魔素エレメントを吸収して稼働しているらしく、魔素エレメントが無い場所では使用できない。

 平たく言えば、精霊師マギーズでは無い、一般人でも扱える魔法道具である。


 食材が詰め込まれたリュックの中には、他にも服やら財布が入っている。なんとなく嫌な予感がした。

 

 シャナは、リュックを背負うとそのまま窓からバルコニーへ出た。そして、非常用ハシゴを使って地上へ降りる。



――家出です。これは完全に家出です。



 「フランドレアの外に憧れていたのよ」確かに、シャナさんはこう言っていた。でも、まさか家出を決行していたなんて。

 

 慌てて彼女の跡を追う。

 そして、いつの間にか私は隠れる事を辞めていた。



*


 静寂に満ちたフランドレアの夜道を少女は駆ける。

 彼女が向かう先は予測できた。 

 恐らく港だろう。

 平原に囲まれたフランドレアで、他の都市へ移動するのに一番有力な手段は、港から船で移動する事だ。


 しかし、港へ向かっている道中謎の声がこだました。


『ねぇ? 何処に行くの? 』


 声を聞いたシャナさんが立ち止まる。

 そして周囲を見渡した。

 どうやらシャナさんにも声が聞こえるらしい。 

 いや、シャナさんが聞いた声を私が聞いているのであろうか

 しかし、声を発したと思われる人間の姿は無い。

 さらに奇妙な事に声は空気を伝って響いたというより頭の中へ直接語っている様であった。


『行っちゃだめ。早く戻って。取り返しが付かなくなる前に』


 声は少女の様な少年の様な、なんとも形容しがたい物であった。




『ねぇ。願って。祈って。請うて。祝福を』




「なんのつもりよ。ミネヴァ」


 シャナがぽつりと呟く。




『はよう。はよう。はよう』




 謎の声は、急かすように呟き続ける。

 神秘的ではあるが、少し気味が悪いそんな声。思わず耳を塞ぎたくなる。

 しかし、気味の悪い声はすぐに止んでしまった。代わりに響いたのは何人かの悲鳴と騒ぎ声。


「早く誰か助けを! 」

「ミネヴァ様のご加護を! 」


 これを聞いたシャナは、慌てて声がした方へ駆ける。私もそれに続いた。



*



 騒ぎが起きていたのはフランドレアの主要水路の側。二十人ほどの人集りが出来ていた。

 ふと、壁に貼られている新聞の記事を見る。


『〇〇国王の戴冠式。首都は〇〇〇〇。〇〇〇〇の処刑から二年』


 日付を確認した所、これは三十年程前の

出来事らしい。肝心の記事の内容は殆ど読めない。別に、新聞が汚れたり破れたりしているのでは無く本当に読めないのだ。

 なんとなく、文字の形は分かるが内容が頭に入ってこない。

 周囲を見渡してみるとフランドレアの町並みも所々ボヤけている。もしかしたら、シャナさんがあまり覚えていない部分は、曖昧に映るのかもしれない。


「何かあったのですか? 」


 シャナが、人混みの中にいた男性に話かける。


「実は水路に女の子が落ちたらしいんだ。あー、女の子は、さっき、救助されて、病院に運ばれたらしいんだけど、こんな事珍しいじゃん? だから俺もこいつらに混ざって祈りを捧げていたんだ。彼女が無事に助かるように」


 そう言って男性は人混みを指差した。

 よく見ると野次馬のように見えた人々は皆、両手を胸骨の辺りで交差して重ねている。食事前に祈りを捧げる時と同じポーズだ。


「その女の子は誰か分かりますか? 」 「確か、クエレブレのお嬢さんだよ。ほら、ファッションデザイナーで有名な」


 その言葉を聞いたシャナさんは青ざめた。

 そして、再びその場から離れ走り出した。

 

――えぇ、また走るんですかぁ。


 仕方がないので、再び、彼女を追尾するべく私も走る。ここまでかなりの距離を走っているが、自身の肉体は一切疲労しなかった。記憶の中にいるのだから当然かもしれない。しかし小学生ほどの身長しかないシャナさんも、一切疲労している気配がない、

 

――もしかしてシャナさん体育会系だったりします? 



*



 辿り着いたのは礼拝堂。

 礼拝堂の中に入ったシャナは川辺にいた人々の様に神像に向かって祈りを捧げる。

 

「私が悪かったわ。あぁ、ティナ貴方、まさか、私に気づいて追ってきたのね。それで、足を滑らせて水路に……」


 男性が言っていたクエレブレのお嬢さんというのはティナの事らしい。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい。えこひいきばかりされていた貴方の事は、余り好きでは無いけれど、でも貴方の幸せは誰よりも願っていたわ。あぁ、ミネヴァよ。祝福を下さい。ティナを救って」


『ティナは私と違って才能があった』シャナさんは、そう言って自身を卑下していた。


 周りからチヤホヤされる妹。シャナからしてみればこの上なく邪魔な存在だった筈だ。しかし、シャナは妹の事を、妹の幸せを誰よりも願っていた。


――そんなシャナさんだからこそ。余所者の私を家族同然に扱ってくれたのですね。


 しかし、そんな思考を一つの声が遮った。


『なんで、お姉ちゃんが謝っているのよ』


 声がしたのは、礼拝堂の入口。

 入口の方を見た私は戦慄せざる得なかった。


「ティナ……どうして? 」


 そこにいたのは、シャナにそっくりな少女。しかし、一箇所だけシャナさんと違う部分がある。少女の目はオッドアイではない。

 水路に落ちた筈の妹が無事に帰ってきた。通常なら喜ぶべき状況だ。しかし、ティナの異様な姿がそれを許さなかった。


 濡れた髪。まるでさっきまで水の底にいたかの様な。


 切り傷から溢れた血で染まった手。まるで必死に水の流れに逆らって水路の壁をよじ登った様な。


 血の気を感じない白い肌。まるで、脈がない様な。


――ティナさんの姿が……生きる屍……動く死人の様です。


『これは私の自業自得よ。まさか、お姉ちゃんが私がこうなる事をミネヴァ様に願った訳じゃ無いでしょ? 』


 肝心のティナは何事も無かったかの様に微笑みながらこちらに近寄ってくる。


「近づかないで! 貴方は誰? ティナの体を奪ったミネヴァ? それとも、ミネヴァを取り込んだティナ? 」


 その言葉を聞いた。ティナは上げていた口角を下げいわゆる真顔の状態になる。


――えぇ、どういう事ですか!? 理解が追いつきません!


 急展開すぎて状況が掴めない。

 冷静になるべく、深呼吸をする。


 私はてっきりティナの正体がミネヴァなのだと思っていた。しかし、よく考えてみれば、ティナはいつの日か「貴方はミネヴァか? 」という質問に対して、「半分はそうだが、半分はそうでは無い」と答えていた。つまり、ティナの半分はミネヴァである。


 そして、シャナは先程ミネヴァに対して祝福を願っていた。つまり、結論はこうだ。


『幼少期シャナは家出をしようとした。しかしシャナの家出に気づいたティナも、シャナさんを追うべく家を飛び出す。しかし、ティナさんは誤って水路に転落』



――それを知ったシャナさんはティナさんの無事を願って祝福を授かった。でも受けた呪いは、救いたかったティナさんが半神になる事。


『ふーん、やっぱり分かるんだ。お姉ちゃんの魔眼便利だね。私はティナだよ。同時にミネヴァでもあるけど今はティナ』


 シャナの前に立ったティナさんは再び微笑む。


『あのね、お姉ちゃん。お姉ちゃんは自分が無能だって言うけど、全然そんな事無いよ。魔眼だってそうだし、なによりお姉ちゃんみんなに好かれるでしょ? これって滅多に無い才能だよ』


「何言ってんのよ! いつも大人達からチヤホヤされているのは貴方じゃない! 」


『それは、価値観の違いだよ。フランドレアの人々は芸術ばっかり重んじる。だから、お姉ちゃんの才能に気づけていない。それだけだよ。だから、お姉ちゃん私の代わりに外を見てきて。フランドレアの外を。新しい価値観を見つけてきて』


「外って、貴方私を止めるために、家から……」


『違うよ。私はこれを伝えるために、家から飛び出したの』


「そんな…嘘」


『嘘じゃないよ。私、お姉ちゃんが家出を模索している事ぐらいずっと前から気づいていたんだからね。もし、お姉ちゃんがフランドレア外に出る日が来たら今までの誤解を解いて仲直りしようとしてたの』


 ティナさんは両手を合わせるとシャナさんの前に差し出した。


『縫飾神ミネヴァの名を以って貴方に祝福を与えます。ありがとう。お姉ちゃん。私の無事を願ってくれて。私はもう家には帰れないけど、これからはずっとフランドレアを、お姉ちゃんを見守り続けられるよ』


 手の上には見覚えのあるものが乗っている。銀色の糸を、ピンク色の宝石を覆っている。多少見た目に違いはあるが、あれは紛れもない精霊核オドだ。



*


「いゃぁぁぁあ! 」


 客室の中で、悲鳴と硝子が割れる音がこだまする。暫くすると悲鳴は私の物で、割れた硝子は、私が壁に投げつけた物だと分かる。


 辺りを見回す。客室のテーブルでは、読書に勤しんでいる銀髪の青年がこちらを見ていた。アルシエラだ。


 どうやら現実世界に帰ってきたらしい。


「やかましいぞ、何事だ……本当にどうした? 息が荒いし、脈も乱れている」


――あれ? 息はともかく、脈って見ただけで測れましたっけ? 


「アルシエラこれはですね、シャナさんから貰った小瓶の中身がですね……てか何で人形なんですか!? 」

「そりゃ、獣の姿では本を読みづらいからな」

「そうじゃなくて人形になれたんですか? てっきり、私がアルシエラ様の精霊核オドを取り込んだから獣の形になったのかと」


 慌てふためく私とは対照的にアルシエラは至って冷静だった。そして、「何いってんだお前」と言わんばかりにこちらを見てくる。


「これに関しては話すと長くなる。まぁ、ひとまず俺の隣に座れ。時間はいくらもある、ゆっくり話そう。ついでに君が見た物についても話してくれ。思い出したくないと言うのなら無理強いはしないが」


 そう言って、アルシエラは隣にの椅子を引いた。温かい台詞に対して表情が合っていない。


「その時は、占星術について話してやろう。きっと気が紛れるぞ」

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