第3-2話 カエムワセト~ライラの全て~2

「そうだ。ライラは、兄上と何を話していたんだ?」


 何だか叫び声の様なものも聞こえていた気がするが、と。カエムワセトは訊ねる。


 アメンヘルケプシェフとの会話の内容を訪ねられ、頭を上げたライラは、額の上の冠に触れて見せた。


「この髪飾りを頂きました。何やら、初恋の方にあげそこねた品だそうで」


 ライラの説明を聞いた途端、カエムワセトが盛大に吹き出した。腹を押さえて背中を丸め、爆笑を必死にこらえる。


 滅多に見ない主の姿を前にして、ライラは戸惑った。小刻みに震えている背中に、「あの?」と躊躇いがちに手を伸ばす。

 

「ご、ごめん。とてもよく似合ってるよ。うん、流石は、兄上だ」


 カエムワセトは滲んだ涙を拳で拭いつつ皇太子のセンスを褒めたが、その声はこみ上げてくる笑いで時折震えていた。

 

 皇太子は幼い頃、カエムワセトの母であるイシスネフェルトに想いを寄せていたのである。いわゆる、少年の淡い初恋なのだが、イシスネフェルトがカエムワセトの実母だと知った時の兄の驚きと失望の表情は、カエムワセトは今でも鮮明に思い出せた。

 ちなみに、月日の流れと共に失恋から立ち直った兄は「母親似の妹ができたら一人俺にくれ」と大真面目に申し出て来た。しかしながら、イシスネフェルトはまだ次女にはまだ恵まれていない。

 長女はいるが、残念ながらアレ(ビントアナト)である。


「なるほど。そのような過去があったのですか」


 皇太子の秘話を聞いたライラは、感慨深げに頷いた。


 ということはあの根暗は、未だにイシスネフェルトのまだ見ぬ娘を待っているという事か?

 

 だとすると、随分と気の長い話である。

 

 それにしても、この冠があのネフェルタリに肩を並べる王妃イシスネフェルトの為に用意した品だったとはライラも驚きだった。どうりで細工に気合が入っているわけである。

 本来受け取るべきだった相手の大きさを知ったライラは急に気後れし、やはり返そうかと思いなおし始めた。


「だとするとこれは、私のような女戦士には過ぎた装飾品ですね」


 自嘲を含んだその言葉を聞いたカエムワセトは、会場でライラが受けた嫌がらせを思い出し、頭を下げた。


「すまない。ライラにはいつも助けてもらっているのに、私はライラに駆け寄る事もできなかった」


 頭を下げられ焦ったライラは、両手を左右にバタバタとふりながら必死に主を擁護する。


「何を仰います! 松明と呼ばれようが、投石器と言われようが、私は平気です!」


「投石器?」


 そんな例えはあっただろうか。カエムワセトはライラと視線で火花を散らした黒髪の娘が口にしていた悪口を最初から思いだした。

 流石に投石器とまでは言っていなかった気はするが。


「もしライラを投石器呼ばわりする者がいたら、私が間に立って断固否定するから」


 やや語気を荒げて、カエムワセトは宣言した。

 

 忠臣をけなされ本気で気分を害している主を前に、ライラは天にも昇る心地になった。

 こんな風に家臣を想ってくれる主人は、きっと他にはいないはずだと確信したライラは、ずっと迷っていた案件を願い出る事を決意する。


「あの、殿下。お願いがあるのですが」


 一歩前に出たライラに、カエムワセトは残ったワインを口に運びながら「何?」と聞き返した。


 ライラはごくりと唾を飲み込むと、両手を腹の前で強く握る。


「私を、弓兵隊小隊長の任から解いてくださるよう、陛下にお口添え頂けないでしょうか」


 忠臣からの思ってもみなかった願いを聞いたカエムワセトは、杯を手すりの上に戻すと、自分をまっすぐに見つめて来るライラを見つめ返した。

 ライラの真剣な眼差しから本気を悟ったカエムワセトは、戸惑う。


「それは、軍を辞めるということか?」


「はい」


「辞めてどうするんだ?」


「そ、それは」


 ライラは言い淀みながら、会場でまだ姫君達の相手をしてくれている皇太子をちらりと見る。

 しかしすぐに、意を決したようにカエムワセトに強い眼差しを戻した。


「私は殿下の、親衛隊を作りたいのです。とりあえずジェトとカカルを隊員にして、私は、その隊長に」


「しん、えい、たい?」


 たっぷり数秒間の沈黙の後、カエムワセトがゆっくりと復唱した。

 親衛隊とは、重要人物の身辺警護を行う武装集団のことである。


「職務上、ご旅行の機会が多い殿下には必要だと、ずっと前から考えておりました。私は、現在は小隊長の任にありますし、部下の状態によっては、いつ上官に随行を止められるか分かりません。そうなると、アーデスだけでは心もとなく存じます。――もちろん、アーデスが護衛として力不足だと言っている訳ではありません。私は、王族の方を道中お守りする最低限の人員として、もう少し必要なのではないかと考えるわけで。御給料の出どころなどはまだ不明ですが、ですから、その――」


「分ったよく分ったから」

 

 ずっと考えて来たのであろう言葉を一生懸命両手を動かして並べ立てるライラに対し、カエムワセトは押しとどめる形で、説明を一時中断させた。思ってもみなかった打診に戸惑いながらも、結成を許可する条件を一つ挙げる。


「もう二度と、私の盾にならないと約束してくれ」


 その条件を聞いた途端、ライラが「……え」と不満を顕わにした。


 だが、カエムワセトは断固たる姿勢で「それができないのなら、許可はできない」と譲らない。


 カエムワセトの言いたいことはライラにも分かった。カエムワセトは例え護衛であろうと、他者が自分の為に命をかけることをよしとしない人間である。だが、命をかけられない親衛隊など、結成する意味があるのだろうか。

 ライラには甚だ疑問だった。


「ですが、それでは親衛隊の存在意義が半減――」


 何とか条件の緩和をしてもらおうと再度口を開きかけたライラを、カエムワセトが腕に抱きしめる。


 突然の事にライラは言葉を失い、続けて全身を真っ赤にした。

 目を回す勢いで気が動転しているライラに構わず、カエムワセトは幼馴染でもある忠臣の耳元で、切実な思いを告げる。


「私はね、ライラ。こんな事を言うのはワガママだと言われるかもしれないけれど、ライラを盾にするくらいなら、独りでいる方を選ぶよ」


 先の魔物戦では、ライラはカエムワセトの代わりに背中に矢を受け死の淵をさまよった。その時は幸い、リラが魔術で傷を癒したが、それがなければライラはイエンウィア達と同様、命を落としていたはずである。

 あの時も今のようにライラを抱きしめて回復を喜んだカエムワセトだったが、ライラの死を覚悟した時の絶望は今も忘れられない。


 カエムワセトのこの言い分を聞いて、『何を甘えた事を』と嘲笑する者は多いだろう。だが、幼い頃に自分の命と引き換えに三番目の兄が死に、一時期は危険な旅に身を投じて兄の再生まで図った彼にとっては、これは甘えなどではなく、切実な願いなのである。

 カエムワセトの痛みを知り、トトの書を探す旅に付き従い多くの危険を共にしたライラは、その心境を察することができた。

 この一見弱さにも思える優しさは、カエムワセトの勇ましさと強さにも繋がる。しかし、この強さは諸刃の刃であり、ともすればカエムワセトの命さえ奪ってしまいかねない。


 ――やはり、このお方は私が守らねば。


 強い思いにかきたてられたライラは、決心する。


「承知いたしました。お約束します」


 ライラはカエムワセトに抱かれながら、断言した。


 カエムワセトの盾にはならない。しかし、いざとなったらその辺にいる無関係な一般人を前に放り出してでも、この方を守ろう。

 ライラは心にそう誓った。


 忠臣に非人道的な決心をさせてしまったなど想像もしていない王子は、腕を解いて微笑んだ。


 抱擁を解かれたライラは頬に残る熱を手で煽いで冷ましながら、「さて。それでは私は、会場に戻り任務を遂行いたします」とバルコニーからの退場を申し出る。


「任務?」


 カエムワセトが目を丸くする。

 ライラは鮮やかな唇に、にやりとした笑みを浮かべた。


「腹をすかせた野犬が二匹、餌を待っているもので」


 アーデスを入れたら三匹だが。


 合点のいったカエムワセトが「成程」と笑う。


「それじゃあ、私も行こうかな」


 楽しそうな顔で自分まで会場を抜けようとしている第四王子に、ライラは眉をひそめた。


「この宴で殿下がいらっしゃらないというのは、問題なのでは?」


「王子なんて山ほど居るし、主賓への挨拶は殆どすませたから。私一人消えたところでどうってことないよ」


「そうで、しょうか?」


 この王子は、己を過小評価しすぎているとライラはいつも思う。

 だが、カエムワセトはもうこの会場に留まるつもりはなさそうだった。

 ライラの手を取り、「会場の料理は香油の匂いが移ってしまっているから、厨房へ行こう」と足早に歩き出す。

 

 手を引かれながらライラは、昔を思い出していた。カエムワセトと二人、掌一つ分のご馳走を掴み、手を繋いで賓客達の間をすり抜けて宴会場を出た思い出である。 


「承知しました。お供いたします」


 ライラとカエムワセトは、時折賓客にぶつかりそうになりながら、子供の頃のように笑い合って会場を抜け、厨房へと向かった。

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砂漠の賢者外伝1 ライラの憂鬱 みかみ @mikamisan

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