[原作演劇]蝋でできた翼

羽衣石ゐお

第1話 二〇二〇年七月十日 金曜日

 高くの夏空は、まるで世界が終わってしまうかのような深い茜色で、屋上をのっそりと這って行く入道雲にはやや紫がかった暗い色が落ちている。

少しばかり目線を落とすと、雨の前のどこまでも青臭くて、思わず目に涙を浮かべてしまうような、そんな湿気た風がゆるやかな歩武でやってきた、汗ばんだ肌をするりと抜けるとき、あたりから一切の音が失せて、思わず目を瞑ってしまった。光の残滓を瞼のうらにゆらめかせながら、悠一はひとつ、涼し気な声を耳にした。

「どうして、こんなところに鑑くんがいるの?」

 どうにも、この声を聞くと、身体が冷えてくる。どうして期限までに課題を出すのか、どうして無知とは悪であるか、どうしてひとは生きるのか、そんな問いかけが目まぐるしく浮かび上がってくる。

 この声は、教室でいつも気に入らないひとの悪口をばかりを言っていた。そして「すぐそこのコンビニのあんぱんがすごく美味しいんだあ」と笑ったり、「どっちのピアスのが似合うかな」と訊いてきたりするものでもあった。

「夏目さんみたいな声だ」

 瞼も上げずにそう答えた。なんとなくの確信があったのだ。だけれどなかなか答えは返ってこない。薄目を開けて、彼女のほうを見やると、

「どうして、泣いてるんだい」

「な、泣いてないし。いいからさ、はやくどっか行ってよ」

「たしかに、泣くほど夕陽が綺麗なのはわかるけどさ。そんなとこいちゃ、危ないだろう。万が一、足を滑らせたら」

 すると彼女は一歩後ろに下がって、声を張り上げた。

「足を滑らせたら、なに。そこまでわかってるなら、いい加減どっか行ってよ」

「そこまでわかってるから、いい加減にどっかに行けるわけがないだろう」

 涙をなんども、なんどもその厚いブレザーの袖口で拭って、化粧が崩れ、みっともなく顔をぐちゃぐちゃにして、脚をわななかせながらも、

「あのさあ、わたしのことロクにしらないくせに適当なこと言わないでよ!」

「知るわけないだろう。普段から教室にいたってロクに喋りもしないのに」

「だったら邪魔しないで。……そういうお節介が、一番むかつく」

「これはお節介なんかじゃない」

「じゃあなんなの!」

「おれは、」

 仰いだ先の入道雲を、つんざくように、

「おれは、夏目夏那のことが好きだ!」

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