二十二、幸せな時間



 逢魔おうまは邸を出て、碧水へきすいの市井を回ることにした。ここに留まってもう半月以上になる。


 そうしている内に事態は色々と展開していて、今は各一族から数人ずつこの碧水へきすい白群びゃくぐんの邸に集まっていた。

 

 顔馴染みも数人おり、玉兎ぎょくと姮娥こうがの一族も来ていた。女宗主の暁明きょうめいとその妹の聖明せいめいである。逢魔おうまはふたりのことを親しみを込めて姐さんと呼んでいた。


 そんなふたりに偶然出くわしたのは、白群びゃくぐんの広い敷地と市井を隔てる大きな門の前だった。


「あれ?姐さんたちも市井に行くの?」


 自分の声に反応して、門の前にいた美人ふたりが同時に振り向いた。いくつになっても迫力美人な暁明きょうめいと、瞳の大きな可愛らしい顔の聖明せいめいは、初めて会った時とほとんど変わらない容姿で目の前にいた。


 あれから何度も玉兎ぎょくとに立ち寄ったが、いつも快く迎えてくれるのでまるで親戚の伯母さん、もといお姉さんのようだった。


 ふたりが来ているのは知っていたが、逢魔おうまはまだ挨拶もできていなかったのだ。なので、ふたりに会うのは二年ぶりくらいである。


 思い出したように腕を前に囲って作揖し、行儀よくお辞儀をした。


暁明きょうめい姐さん、聖明せいめい姐さん、お久しぶり」


逢魔おうまか。お前も市井に行くのか?神子みこ黎明れいめいは一緒じゃないのか?」


「また背が伸びたんじゃない?あの子とほとんど変わらないもの。市井に行くなら一緒に行きましょう?」


 ふたりは嬉しそうに交互に逢魔おうまに訊ねてくる。しかしそれらに答える前に、逢魔おうま聖明せいめいの腹を見て首を傾げる。


 それに気付いた聖明せいめいはその視線の先にあるものに触れ、ふふっと笑みを浮かべた。


「五人目がもうすぐ生まれるの。今度こそ男の子だと思うわ。だってものすごく元気にお腹を蹴って来るんですもの」


聖明せいめい姐さんおめでとう!あ、でも、なんでそんな大変な時にこんな危ない場所に来ちゃったの?暁明きょうめい姐さんも俺たちもいるけど、万が一があったら大変だよ」


 大きな腹は、今にでも赤子が出てきそうで、逢魔おうまは心配になった。


 他の四人の子供たちは下の子が五歳、上の子が十二歳だったはず。毎回訪れるたびに一人増えていたような記憶さえある。


「私もそう言ったのだが、聞かなくてね。戦に出向くことはないが、碧水へきすいにいる間は役に立ちたいと言って」


「ふふ。あとふた月もすれば生まれるかも。良いことを思いついちゃった!逢魔おうま、無事に生まれたら赤子に名前を付けてくれない?」


「だめだよ、俺なんかに頼んじゃ!旦那さんが普通は付けるんじゃないの?」


 突然の提案に逢魔おうまはぶんぶんと首を横に振る。こんな、人でもない自分に赤子の名前なんて決められるはずがない。


「いいの!これも何かの縁だもの。私は逢魔おうまに付けて欲しいわ。考えておいてね?約束よ」


「わ、わかった。でも嫌だったら断ってよ。俺、そういうの苦手だからさ。その時は神子みこに考えてもらって」


 頬を搔きながら照れた顔を見られないように横を向いて、肩を竦める。お願いね!と満面の笑みを浮かべられ、なにも言えなくなった。


「では一緒に行こう。どこか行きたい場所はあるか?私たちは息抜きがてら茶でもしようと思っていたのだが」


 宗主が従者も付けずに歩き回るのはどうかと思うが、逢魔おうまはそれが要らぬ心配であることも知っている。


 なにより碧水へきすいは他のどこの地より安全で、平穏であることも理解していた。


「俺はふたりに気を利かせて邸を出てきたら、特に行きたい場所はないよ?姐さんたちの護衛も兼ねて、好きな場所に付き合うよ」


「頼もしいかぎりだな」


 わしゃわしゃと髪の毛を撫でて、暁明きょうめいはふっと口元を緩める。幼い頃から知っているため、子ども扱いをされることが多いのだが、嫌ではなく、むしろ嬉しいとさえ思う。


 三人はゆっくりと長い石段を下りていく。逢魔おうまは必要以上に聖明せいめいが心配で何度も手を貸すと願い出たが、さすが黎明れいめいの姉で、まったくもって心配無用のようだ。


 市井しせいで夕方近くまでふたりとお茶を飲み、菓子をつまみながらおしゃべりをして過ごした後、再び邸に戻って来た逢魔おうまは、縁側で仲良く並んで座っている神子みこ黎明れいめいの姿に眼を細める。


(俺は、このふたりを守りたい。この場所を守りたい。俺をふたりが守ってくれたように。ずっと、この三人でいる場所を)

 

 帰る場所はここだと、ここでいいのだ、と。


「おかえりなさい」


 神子みこが小さく手を振って微笑んでいた。黎明れいめいはその横で静かにそんな神子みこを見つめていて。


「ただいま。門の前で姐さんたちと偶然会ってさ。一緒にお茶してきた」


「そういえば逢魔おうまはまだ会えていなかったもんね。聖明せいめいのお腹にびっくりしたんじゃない?」


「名前を考えてって言われたよ。俺、どうしたらいい?」


 甘えるように神子みこの横に座って、頭を撫でられている逢魔おうまは、どこまでも嬉しそうで、まるで少年のようだった。


 他愛のない話をし、こうやっていつまでも一緒にいられたら、それだけで良かったのに。どうして、そんなささやかな幸せさえ許されないのか。


 ここに来て何度目か解らないほど見た夕焼け空を見つめ、黎明れいめいは決意を込めて小さく頷く。



 そんな願いも虚しく、別れの時は、もうすぐそこまで来ていた。



〜了〜



 そして、物語は本編へと引き継がれる――――。




【〜起承編〜】第五章21話以降へと続きます。

https://kakuyomu.jp/works/16817139555360581458/episodes/16817330651349034112

誠に勝手ながら、この【−泡沫語−】は、二十二話で「完」にすることにしました。本編で結末を書いてしまっているので、この終わり方がベストかな、と急に思い立ったためです。正直な話をすれば、しんどい結末なため、再度書くのが辛いというのもあります。

本編をすでに読んでいただいた方は、ご存知のとおりです。彼らのお話は、楽しいことも悲しいことも、本編の回想などで続いていきますので、どうぞお楽しみに!


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございましたm(_ _)m


※現在、コンテスト参加のため、本編は第三章以降が未公開となっております。コンテスト終了後再度公開しますので、ご了承くださいませ!




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彩雲華胥 ー泡沫語ー 柚月なぎ @yuzuki02

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