第一講 つまらないものをつまらないということになんの罪もない。ただちょっと、疎まれるだけ。

ほとんどの授業がお利口にうけていたら損

 教科書通りのことしか言わない先生が、多くいる。確かに国からお金を貰って、教科書に則って授業をすることは結構なことである。そこに口を挟む気はない。だけれども、そんな授業、聞く必要があるだろうか。

「教科書を読めばわかることを、どうして九十分もかけて教えるのだろうか」

 これは藤井壮太氏の言葉をオマージュしたものである。私たちが高い授業料を払ってまでして、どんなものを求めているのか。卒業資格、専門知識……色々あるかもしれない、だから多くの高専生は「どうせ卒業資格もらえるんなら、九十分間粛々と授業をしてくれて、おれたちがスマホをいじったり寝たりするのにいちいち口を挟まないで欲しい」と思っている。だけれども、そんな形骸化したものに授業料を払っていることのばかばかしさと言ったらない(授業料を払っているのが親だから実感がわきづらいのだろう)。質のいい授業とはなにか、そんなことを考えていた私は、きっとどこか自分のことを買いかぶっていたのだろう、教員でもないくせに。――だから、私は授業を質の高いものにするべく、電子書籍を読むだとか、音楽を聴くだとか、アニメを見るだとか、小説のプロットを考案したりしている。教員が九十分かけてする教科書通りの授業など、マイクロソフトの音声読み上げ機能にでも代替させれば良いのだ(たまに教科書に書いていないこともあるので、片耳は開けておくとよい)。

 たちが悪いのは、つまらない授業をしておきながら、スマホなどの利用を咎める教員である。こういう教員にはへらへらと笑って「え、テレビ番組観てる途中でコマーシャル入ったら退屈でスマホ弄りますよね?……」とでも言ってやってください。そうでもしないと、治りませんから、そういう人って。失礼なように見えますか?……いいえ、これはあくまで人助け。


 ちなみに、私の将来の夢は「教科書に書いてあるとおりのことを板書し、読み上げるだけで時給の発生する職業」です☆……いいえ、嘘です。


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浮世離れした高専生による不道徳教育講座 羽衣石ゐお @tomoyo1567

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