【応援・領怪神犯】ページをめくる手が止まらない(小説編) 

『jail fragment』以来応援していた木古おうみさんの『領怪神犯』が、この度、カクヨムコンのホラー部門で大賞とコミックウォーカー賞を受賞し、書籍化、漫画化が決定しました!

おめでとうございます。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429286418017


『領怪神犯』の魅力は多々ありますが、ここでは、ご本人の許可を取った上で、前回に取り上げた『予測』を効果的に使っている例として取り上げたいと思います。


まず、今回の選評には、このような評が掲載されています。

『各話で怪異をしっかり魅せつつ、徐々に世界や人物たちの真実が明らかになっていく連作短編の構成も上手く嵌まっており、早く続きを読みたい!と思わせる力に満ちていました。』(https://kakuyomu.jp/contests/kakuyomu_web_novel_007


では、この「続きを読みたい!」を生み出していたのは、どのような要素なのでしょうか。「徐々に真実が明らかになる」という点は実際に読んで確かめてもらう必要があるかと思いますが、領怪神犯は、実にうまく『予測』を使っています。


領怪神犯は短編連作なのですが、どの章も「序」と「本編」に分かれる構成になっています。

「序」では、まるで村人が聞き込み調査に答えているかのような独白調の文章。

「本編」は、片岸という役所の職員の一人称。



冒頭の独白調の文章は、以下のようなものです。


 『①あぁ、あの納屋ね。すごいことになってるでしょう。


 ②台風じゃないんですよ。だったら、納屋だけじゃなく家や道の方まで壊れてないとおかしいでしょう。


 ③工事してるわけでもないんです。④気にしないで。⑤事件や事故じゃありませんから。⑥トラックが突っ込んだなら垣根の方も無事じゃすみませんし、どんな力持ちでもあんな風にぺしゃんこにはできませんからね。


 ⑦でも、誰かが壊したっていうのは近いかもしれませんね。いや、誰かというか何かですかね。』

 木古おうみ『領怪神犯』序、ひとつずつ降りてくる神

https://kakuyomu.jp/works/16816700429286418017/episodes/16816700429286564699


一見して気がつくのは、冒頭①が、になっているという点です。おそらく、壊れた納屋についての質問があったことは想像がつきますが、誰が、どんな風にその質問をしたかについては、一切隠されています。


同様に、④の『気にしないで』という言葉からは、どうしても質問をしている人間の表情や顔色を想像してしまいます。


また、②、③、⑤と「〇〇ではない」という否定が続く書き方によっても、可能性の幅は狭められつつも、一つには集約していかない状況を作ることができています。


こうした独白パートは、聞き手も語り手も不明の状態で展開し、対話であるはずが片方の言葉を伏せることによって、まるでミロのヴィーナスの欠けた両腕のように可能性と予測の渦に読者を誘うことになります。



そして、この「序」は、あたかもミステリーにおける出題編のように機能することになります。「序」の謎めいた雰囲気で語られていた不思議な現象は、中立な立場の役所の職員にはどのように見えるのか。


また、この「序」と「本編」で語られる内容は微妙に差異や齟齬があることも多く、そうした点もまた、読者は思考を巡らし続けることになります。


「序」の語り手は、「本編」に現れるのか、現れたならそれは本編中の誰だったのか。

「序」の中で起こされた危機や奇跡の真相はなんだったのか。


そうした構成の妙によって、本作は絶妙にページをめくる手が止まらない作品に仕上がっています。


気になった方はぜひカクヨム上でお手に取ってみてください。




ちなみに、領怪神犯の「序」と似たような独白調から私が連想したのは恩田陸の「ユージニア」でした。


恩田陸は、まさに、「ページをめくる手が止まらない」界のトップランナー、誘引力お化けとでもいうべき作家です。


今回は最後に、恩田陸先生の作品を分析して、小説における「ページをめくる手が止まらない」現象の実例を考察してみたいと思います。


恩田陸先生は、出だしから考え始める作家として非常に有名です。

『三月は深き紅の淵を』の中では、本人が創作をしている最中の思考をそのまま小説としていますが、その中では何度も「こんな書き出しはどうだろう」というフレーズが出てきます。


また,同作の中では、

「書き出しを書いたときに、たいていこの話が面白いのか面白くないのかがわかる」とも語っています。


そんな恩田陸の小説から、ここでは、『麦の海に沈む果実』を取り上げたいと思います。


『①これは、私が古い革のトランクを取り戻すまでの物語である。

②私が思うに、記憶というものはゆるやかな螺旋らせん模様を描いている。③もうずいぶん歩いたなと思っていても、螺旋階段のように、すぐその足の下に古い時間が存在している。④身を乗り出して下に花を投げれば、かつて自分が歩いた影の上に落とすことができるのだ。

⑤私は覚えている。⑥冷たい月に刺さっていた骨のような樹木のシルエット。⑦鏡のような池の水面を横切る水鳥の白い翼。⑧濃い霧の原野に浮かぶ青い草の海。⑨しかし、それはしょせん私の記憶に過ぎない。⑩ただでさえ夢見がちでぼうっとした娘だった私が、少女らしい荒唐無稽こうとうむけいな長い夢を見ていたのだと言われれば、自分でもそうかもしれぬと首を前に傾けそうになる。』

 恩田陸『麦の海に沈む果実』



 『麦の海に沈む果実』は、私が初めて恩田陸の小説に触れた作品ですが、最初の3ページを立ち読みしたところで購入を決めた凄まじい小説です。


冒頭から謎めいたフレーズと印象的な描写が並び、思わず引き込まれてしまったことをよく覚えています。


 まず、冒頭の①は、作品全体に関わる出題となっています。「これは〇〇の物語である」という表現は、想像力を喚起すると共に未解決の謎を提供します。

「古い革のトランクを取り戻す」というのは何かの比喩なのか、それとも、物理的にトランクを取り戻すことが重要なのか、読者はそんな「予測」をせずにはいられません。


そんなことを考えたところで急に話は変わり、②では「記憶」に関する抽象的な独白が始まります。


そして、ここでの言葉の選び方は、まさに恩田陸の真骨頂でしょう。

「螺旋階段」、「古い時間」、「花を投げる」、「かつて自分が歩いた影」

どこか仄暗く、謎めいており、ノスタルジーに満ちた文章表現が続き、全体がセピア色に見える印象があります。


重要なのは⑤の「私は覚えている」です。


この言葉によって、次に描写される「冷たい月」「骨」「シルエット」「鏡」「濃い霧」「原野」「草の海」など、死や影、薄暗さや謎、距離を連想させる単語の数々は、謎を深めると共に、のちに描かれるであろう情景の出題編となるのです。


このように、作品全体が、「少女らしい荒唐無稽な夢のような世界」を描いたものであると提示をすることで、読者を否応なしにその想像へと誘い込んでいます。


そして同時に、語り手である理瀬の控えめでありながら謎めいた知的な語り口は、読者に鮮烈な印象を残します。


この後、『麦の海に沈む果実』では,まるで映画の予告編のように、断片的な少女の記憶が提示されます。


悲惨な死を迎えるであろう麻里衣という人物の名前や、目の前で自ら湿原に沈んでいった少年の死を目撃することになるという独白、そして、「こんなことが本当にあったのだろうか?」という語り手の自問自答は,読者に対する誘いともなります。


「この先は、あなたがその目で確かめてみて」と。


恩田陸の強烈な誘因力は、印象的な単語やノスタルジックな描写だけでなく、先の展開を謎めいた形で予告する構成によって生み出されているのだと感じます。



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