エピローグ

 ◇

 私は三十七歳になりました。

 卒業して直ぐに、占川家に婿入りし、名前は占川秀になりました。

 彼女は私を主夫として、ひとりでの外出の一切を禁じました。そして私の娘は、意欲的に化学を勉強するようになって、今年の春、無事に市井野高専の生物化学科に入学してくれました。

 彼女は、二年生になると、分析化学を愛してやまない娘になりました。同級生からは若干の距離を置かれてしまいそうになったと言います。

 そして彼女が帰省していたある日、ふと、リビングのソファに寝転びながら、こんなことを口にしました。


「ああ、そろそろパスワードの有効期限がきれちゃうみたい」と。


 私は深幸に土下座して、なんとか外出の許可を頂戴し、娘とふたりで結瀬山に遊びに行きました。その時には酷く苦労したものです。深幸は、

「あら、パパとふたりでデート? いくら可愛い可愛い紬ちゃんでも、パパを寝取ったら許さないよ……?」

「紬も多感な年頃なのだよ……そのノリ卒業したらどうなのかね」


 そんなこんなで、結瀬山の小動物園に遊びに行って、娘の可愛らしさに幾たびもシャッターを切りまくり、そして、四阿へと足を運びました。

「お前はどんなパスワードなのかね」

「え、言うわけがないでしょ」

「つれないねえ。まあ、まさか『abcd1234@』などといった、阿呆なものではあるまい」

「……え、なんでわかったの!」

 そうして、いよいよ四阿に辿り着く頃、雨がしとしと降ってきました。

 娘と同時に、飛び入るようにして石畳に着地。――それを、ひとり笑う方がいらっしゃいました。

 振り返ると、傘をさした青年がひとり、四阿に入ってこようとしていました。

 青年の髪は亜麻色。長さとしてはミディアムヘアで、そのあちらこちらがはねていました。綿生地のワイシャツを着、紺色のチノパンを穿いていました。

「はて、貴方をどこかでお見掛けしたことがありましたでしょうか」

 彼はそう言って、緋色の花を萎ませました。

 そして、その翳りの一切入らぬヘーゼル色の虹彩に、私はどこまでも取り込まれてしまうのです。


        了



 ※実際の人物、団体名とは一切関係がございません。本作品はフィクションです。

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茉莉花に名を添えて 羽衣石ゐお @tomoyo1567

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