• 異世界ファンタジー

物書き嫌いの作家

 随分と矛盾したタイトルから始まりましたが、物書き嫌いの作家、つまり文章を書くのが、実はそんなに好きではないという作家は存在するのでしょうか?


 結論から言いますと、存在します。かくいう僕がその一人です。


 僕は昔から文章を書くのが好きではありませんでした。むしろ嫌いなことベスト3に入るくらいには嫌っていました。実を言うと、いまもそんなに好きではありません。それでも、昔よりはだいぶマシにはなったほうですが。

 どれくらい嫌いだったかと言うと、小学生の時に、事前に自己推薦文、事後に感想文を書くだけで、町役場の負担で沖縄に行けるというチャンスを蹴ってしまうくらいです。まあそれくらいだったら、行っておけよと、いまの僕なら思わなくもないですが。

 そんなこんなで文章を書くのが嫌いだった僕ですが、その根底には、”文章は無理やり書かされるもの”という意識があったのだと思います。いまも変わらないことではありますが、僕はかなりの遅筆人間でして、書き始めるのも遅いし、書き始めてからも納得できる言葉を探すのにかなり時間がかかるほうでした。

 そんなもんだから、ひとたび学校で作文の課題が出れば、まわりの人は授業中に終わらせることもある中、いつも持ち帰り、それでもなかなか書き始めないので、今度は親に監修され、時には半べそをかきながら書くこともしばしばありました。というのが小学生時代で、さすがに中学生になってまでも半べそをかかされるということはありませんでしたが、それでも各行事ごとに作文は付いて回ってきますから、そのたびにギリギリになっては一夜漬けする。それがいつもの作文ルーティンになっていきました。


 そんな僕の文章はうまいのかと問われれば、僕の答えはNOです。僕は自分の文章をうまいと思ったことはあまりありません。
 もちろん一文一文を見れば、嫌いではないなと思う文章はありますが、トータルすれば、ここはだめだ、あそこもだめだ、なんかズレてる……と、赤をつけ始めたら止まらない勢いです。最近は、ある程度やったら、自重するようにはしていますが。やり始めたら、いつまでたっても終わらないので笑

 一方で他者評価はと言うと、おまえ書くのは遅かったけど、昔から文章は下手じゃなかったぞとか、実は隠れファンがいたなんてことを読書家の母にだいぶ後になって言われたことがあるので、自分が思っている以上には下手ではないのかもしれません。

 ここで僕の怒りポイントなのですが、そういうことはその当時に言ってよね、こっちがどういう気持ちで当時文章を書いてたか知らないでしょ、というのが正直なところです。そうしてくれれば、もう少し執筆を嫌わずにいられたかもしれません。まあ、言っても詮ないことですが。

 というわけで、僕の物書き人生でしたが、いまは文章は僕のライバル的な存在です。まあ、あっちのほうが、確実に立場は上ですが。でも必ず勝ってやるんだからという気持ちで、いまは執筆活動をしています。結構な確率でボコボコにされて、閉じこもることも多いですし、これからもあるでしょうけど、それでもいつかは絶対従わせてやるからなっていうのが、いまの気持ちです。

 さて、ちょっと長くなりすぎてしまったので、今回はこれで終わりにしようかと思います。本当は、執筆嫌いの僕が、なぜ小説なんて書いているのかということも、触れようかなと思っていたのですが、それはまた今度――近いうちにとはならないでしょうが――にしようかと思います。

 では!

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