• 異世界ファンタジー

物語は生ものです

 つい先日、拙作『精霊の騎士〈Ⅰ〉災禍の炎』の総文字数が下書き分を含めて、創作界隈でよく言われる10万字の大台を突破しました。この二年間、書いてない時間のほうが圧倒的に多かったので、もっとコンスタントに執筆していればもっと早く達成できたとは思うのですが、そんなことはいまさら言っても仕方がありません。

 そしてこの場を借りてお礼を申し上げたいことがあります。つい先日、これまた拙作『精霊の騎士〈Ⅰ〉災禍の炎』に☆がつきました(しかも☆☆☆)。まだまだ未熟な僕が☆☆☆なんてもらって良いのかという謙遜する気持ちもありますが、素直にうれしいです。


 じゃあ、本題に行きましょう。タイトルを”物語は生ものです”と書きましたが、少し字面を変えて、生物(せいぶつ)としても間違いはないでしょう。

 なんにせよ僕が言いたいのは、物語の中には、そのときその場でしか生まれえない要素があるだろうということです。

 僕はしばしば困った現象に遭遇することがあります。それはなにかと言うと、頭の中ではキャラにこう動いてほしいなと思っていても、キャラがそう動いてくれないというか、そう動くと変な感じがするといった現象です。そうなってしまったときは、たいてい筆が止まってしまいます。ですが、ここで作者の我を通そうとすると、なおさら筆が進まなくなることが多くなるような気がします。ですから、こういうときは、作者の我は捨てて、キャラの赴くように進めてしまうほうが、スムーズに進みますし、結果的にすっきりするようにも思えます。こういうときに、物語というは、キャラクターというのは、生きているのだな実感するのです。


 まあこれは僕が、プロットをほとんど書かずに、頭の中の構想だけで執筆している作家だからかもしれません。ですが、逆そういうことがあるからこそ、プロットをほとんど書かないのです。これはいくら会話のシミュレーションをしたところで、あまり意味をなさないことと同じだと思います。結局のところ物事は思い通りにはいかないということなのかもしれません。それが面白いところなのかもしれませんが。


 というわけで、今回はおまえはイタコかなにかのかという話をしてしまいましたが、この辺で。


 では! 

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