第42話 王都からの使者と針の魔術師
整備された石の道は、バルガン領に前例のない繁栄をもたらしていた。 雨の多い時期だというのに、街道を行き交う馬車の列は途切れることがない。 かつては泥の海に沈んでいた国境の道が、今や東と西を繋ぐ大動脈となっていたのだ。
「……皮肉なものです」
塔の最上階で、エリストールは眼下の賑わいを見下ろして呟いた。
「人を拒むためにあるはずの国境が、今では人を招き入れる玄関になっています」
「金貨には足が生えていますからね。歩きやすい道があれば、勝手に集まってくるものです」
マリウスが新しい茶葉の封を開けながら応じた。 東方交易連合との契約により、最高級の茶葉が手に入るようになっていた。 だが、その平穏な空気は、一台の豪奢な馬車の到着によって破られた。 白塗りの車体に、金色の装飾。 掲げられている紋章は『王冠と百合』。 間違いなく、王都からの公式な使者だ。
「……来ましたか」
マリウスの手が、一瞬だけ止まった。 その表情に、いつもの冷徹さとは違う、嫌悪の色が走ったのをエリストールは見逃さなかった。
「お知り合い?」
「……ええ。かつての同僚というか、天敵のような男です。式部省のヴァレリウス子爵。……口先だけで出世した、歩く香水瓶のような男ですよ」
マリウスがこれほど感情を露わにするのは珍しい。 エリストールは少しだけ興味をそそられ、壁の聴音管に耳を当てた。
応接間に通された使者、ヴァレリウス子爵は、部屋に入るなり大げさに鼻をつまんだ。
「おやおや。田舎の空気というのは、どうしてこうもカビ臭いのかね」
派手な色の服に身を包み、濃い化粧をした男だった。 彼は出迎えたマリウスを見るなり、目を丸くし、そしてニヤリと笑った。
「……誰かと思えば。行方不明になっていた氷のマクシミリアン殿ではないか。こんな辺境で執事の真似事とは、落ちぶれたものだねえ」
「人違いでございます。私は執事のマリウス」
マリウスは能面のような顔で紅茶を差し出した。
「それで、本日はどのようなご用件で?」
「ふん、白々しい。……これだ」
ヴァレリウスは、懐から金箔を押した封筒を取り出し、テーブルに放り投げた。
「国王陛下主催の『夏至の園遊会』への招待状だ。……バルガン家の賢者殿をご指名だよ」
「……賢者は病弱ゆえ、外出はできません」
「断れば『王命への反逆』とみなされる。最近、この領地は随分と羽振りがいいそうじゃないか? 陛下は、その富の源泉である賢者に興味津々なのだよ」
ヴァレリウスは意地悪く笑った。
「二週間後だ。王都の離宮まで来るように。……ああ、それと。田舎者のボロ布ではなく、それなりの正装で来るように伝えたまえ。国の恥になるからね」
ヴァレリウスは言いたいことだけ言うと、マリウスが淹れた紅茶には口もつけず、香水のきつい匂いを残して去っていった。
「……園遊会、ですか」
塔の部屋で、エリストールは招待状を指先で弾いた。 これは罠だ。 王都へ行けば、エリストールの身柄は王家の監視下に置かれる。 さりとて断れば、軍隊を差し向ける口実にされるだろう。
「行く必要はありません。病気ということにしましょう」
マリウスが即座に言った。
「ですが、ただ欠席するだけでは角が立ちます。……代わりの『名代』と、王家を黙らせるだけの『贈り物』が必要です」
「贈り物……。ありきたりな宝石や金貨では、侮られるだけです」
エリストールは悩んだ。 この危機を乗り越えるには、王都の貴族たちをあっと言わせるような、圧倒的な文化の力を見せつける必要がある。 だが、今の屋敷には武骨な男や傭兵しかいない。 流行や美のセンスを持つ者が欠けていた。
その時、扉が乱暴に開かれた。
「おい、賢者様! いい拾い物をしたよ!」
入ってきたのはカミラだ。 彼女の背中には、大きな麻袋が担がれている。 カミラはその袋を床に降ろすと、中から一人の少女を引っ張り出した。
「……痛いじゃない!」
現れたのは、ボロボロの服を着た小柄な少女だった。 歳はエリストールと同じくらいか。 栄養失調で痩せているが、その瞳は意志の強そうな蜂蜜色をしている。 彼女の手は荒れていたが、指先だけは奇妙に長く、美しかった。
「この子、市場の隅で古着を繕ってたんだけどね。その腕が尋常じゃないんだ。ボロ切れを繋ぎ合わせて、まるで貴族のドレスみたいに仕立て直してたのさ」
カミラが得意げに言った。
「名前はコレット。元は王都の針子だったらしいが、店を追い出されてここまで流れてきたんだと」
「……針子?」
エリストールは少女、コレットに近づいた。 コレットは怯える様子もなく、逆にエリストールの着ているドレスをじっと観察し始めた。
「……素材はいいのに、仕立てが古い。肩のラインが合っていないし、レースの使い方が十年前に流行った野暮ったい型だわ」
「なっ……」
マリウスが眉をひそめたが、エリストールは制した。 図星だったからだ。 彼女の服は、軟禁される前に父が買い与えた古いものばかりだ。
「あなた、私の服を作れますか?」
エリストールが問うと、コレットはふん、と鼻を鳴らした。
「道具と布さえあればね。……あんた、この塔の囚われ姫様でしょ? 噂は聞いてるわ。賢者だか何だか知らないけど、そんな古臭いドレスじゃ、賢者の名が泣くわよ」
無礼な物言い。 だが、その目には確かな職人の自信があった。 エリストールは思わず笑みをこぼした。 ガエルやカミラとはまた違う、強気で生意気な手合いだ。
「いいでしょう。マリウス、彼女を雇いましょう。……私の専属の侍女兼、衣装係として」
「……本気ですか? どこの馬の骨とも知れぬ娘を」
「彼女の目は確かです。それに、王都の流行を知っているなら、園遊会の対策にもなります」
エリストールはコレットの手を取った。 その指先には、無数の針傷と、硬いタコがあった。 それは彼女が、針一本で生き抜いてきた証だ。
「コレット、契約成立です。……私を、王都の誰よりも美しく飾り立ててちょうだい」
「……給金は弾んでよね。あと、美味しいご飯も」
コレットはニカっと笑った。 こうして、物理と知略のチームに、新たに『美』を司る仲間が加わった。 王都からの呼び出しという最大のピンチに、エリストールは新しい武器を手に入れて挑むことになる。そして実はこの機に脱出できるのではと密かに策略を練るのであった。
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