晴れた霧と晴らした者たち(1)

 上空での衝撃的な体験から数分後、クレイジー・ミューズ号は拠点としている『船の墓場』に着陸した。フリーダが言っていた通り島というよりは少し大きめの岩礁といった風情で周囲には無数の難破船の残骸が鎮座している。無謀にもあの海を超えることに挑んだか、あるいは迷い込んだ者たちの末路だろう。

 クレイジー・ミューズ号にも素早くボロ布や乾燥させた長い海藻などを用いて偽装が施された。帆も畳めば、よく手入れされた船が瞬く間に難破船の群れに仲間入りである。見た目だけは。

「なるほど、遠目にはわからなそうね」

『近付いて来る命知らずもいなかったしね。今までは、の話だけどさ』

 霧の海が消えたことで今後はわからないと嘆くフリーダ。せっかくの拠点も放棄せざるを得なくなる可能性が高い。教団や西側諸国とて霧の消失に気付けば調査を始めるだろう。

 おかげで今しがた戻って来たばかりの船員たちは慌てて物資の補給を始めている。いつでもまた飛び立てる状態にしておけとフリーダに命じられた。

『まあ、そんなすぐには来ないだろうけど、念の為だ』

「用心深いのはいいことだわ」

 島に残っていた者たちの報告に曰く、霧の消失は昨日の昼に始まったらしい。リグレットの居場所を掴んだフリーダたちが島を発った直後のことだったという。

 フリーダは船首の女神像の下に居残り組を呼び出し、引き続き事情を聞く。リグレットも耳を傾けた。

『少しずつ晴れていったって?』

「へえ、そうです。完全に消えるまで半日ほどかかりました。すっかり晴れたのは夜中のことなんで、陸の連中はまだ知らんでしょう」

「いや、昨日も晴天じゃった。沖に出た漁師たちは異変に気がついたと思う。おそらく一部にはすでに伝わっとりますわい。少なくとも、そう考えて行動した方がええ」

『そうか……』

 やはりそうすべきだと老船員の言葉に考え込むフリーダ。リグレットは今後のことより原因の方に興味を抱く。

「自然に拡散した……ということかしら?」

『どうもそんな感じだね。つまり、あの霧を生み出していた元凶に何か起きたのかもしれない』

「元凶?」

『眉唾物の話だが、こんな噂があるのさ。あの霧の原因は世界を支える七柱の欠片なんじゃないかって』

「それって……海の底にも『金の書』が眠ってるってこと?」

『単なる噂だ。根拠は無いし、アタシに訊かれても困る。だが金の書の実在を知って以来アタシもありえない話じゃないって思うようになった。本当に七柱が存在して崩れちまったんなら、アンタのオヤジが見つけた以外にもまだ欠片が残っていたって不思議じゃない』

「そうね……」

 あまり考えたくなかったが、たしかにその可能性もある。

 海は陸よりずっと広い。本当に天地を支えるほど巨大な柱が存在したなら、崩れ落ちたその破片をより多く受け止めたことだろう。人の手が届かない深海でそれらは眠り続けているのかもしれない。

 そもそも、千年晴れない霧や船を沈める怪物など人工的に作り出せるものでなかったのは確かだ。あれらが金の書やそれに近い何かによって引き起こされた現象だったと考えると、たしかに辻褄が合う。

「でも、もし本当に海の底に『金の書』があって、それが原因だったと仮定した場合……」

『別の問題が生じるね。いったいどうして霧が消えたのか。もしこれが誰かの手によって引き起こされたことだったりしたら、そいつは危険な遺物を手に入れちまったってことになる』

 無論、経年劣化などの理由で欠片が力を失い自然に終息した可能性もある。とはいえ、そう考えるのはあまりに楽観的。

『教団だとしたら最悪だ』

 フリーダとリグレットは同じ危惧を抱く。万が一にも教団が霧の海域に侵入して海底から『金の書』かそれに相当する遺物を引き揚げたなら、こちらはさらなる苦境へ追い込まれるだろう。今も数多くの偶像兵器を所有し腕利きの錬金術師たちまで味方に付けている奴らなら不可能な話ではない。

 だが、報告に来た島の見張り番の一人が手を挙げた。隙っ歯だらけの中年の男だ。

「それなんですが、お頭。実は妙なものを見まして、あれが霧を消したのかもしんねえ」

『なんだい今さら? そういう情報があるなら最初から言いな』

「いや、ごもっともなんですがね……ヘヘッ、実はその、いつも通りにコイツをクイッとやってやがったもんで」

 男はそう言うと長年使い古した風情のスキットルを取り出す。つまり酒が入ってる時の目撃談だったと言いたいらしい。

 だがフリーダは叱責しなかった。彼女たちは海賊団、酒にだらしない酔っ払いなんか腐るほどいる。

『ダイラック、お前が飲んでるのなんかいつものことじゃないか。いいから早く言えっての』

「へえ。酔っ払って見た夢かもしれねえと思って迷ってやしたが、でもやっぱりあれは夢じゃねえや。お頭たちが姫さんを助けに行った直後のことです。霧が薄くなり始める前、見張りに立ってたあっちの難破船の上で小便してると、南の空を馬鹿でけえトカゲが飛んでいきました」

「トカゲ?」

「ありゃ多分ドラゴンってやつです。ほら、おとぎ話なんかでよく出てくるでしょう。火を吹いて空を飛ぶやつですよ」

 ダイラックは身振り手振りを交えて説明する。その表情は大真面目で嘘やホラ話を語っているようには見えない。

「他の連中に話してもだあれも信じちゃくれねえ。みんなオイラが飲みすぎて見た幻覚だって言うんです。それか居眠りでもこいてたんだろと、こうぬかすわけですよ。まあ実際かなり飲んでたし、もしかしたらそうなのかもなあと思ってました。でも姫さんの顔を見たらパッと思い出したんです」

「私?」

 空飛ぶ巨大生物を見た話だったのに、そこにどうしていなきり自分の顔が絡んでくるのか? 眉をひそめたリグレットに彼は答える。

「似てたんでさあ」

「ドラゴンと? 殴るわよ」

「い、いえいえいえ! そうじゃなくて! あのでっかいトカゲの上に姫さんみたいな女の子が乗ってたんです!」

「!」

 目を見開くリグレット。フリーダの意識を宿す女神像も表情こそ変化しないが神妙な雰囲気で腕を組む。

『偶像使いか……』

「でしょうね」

 怪物だけなら霧の海に蔓延っていたうちの一匹が外へ出て来ただけと考えられる。だが人を背中に乗せていたとなると話は別。

「もっと詳しく話して。その怪物は、どれくらい大きかったの? 姿も詳しく」

「ええと、そうですね……けっこう高い場所を飛んでたからなあ。でも多分、クレイジー・ミューズ号よりでかかったかと」

『そんなに? 前例が無いわけじゃないが、本当にその通りならアンタのオヤジさんの偶像の次に大きいかもね』

「……」

 フリーダの言葉でシケイの記憶が蘇ってくる。先の大戦の最後の戦いはクレイジー・ミューズ号でヤマト王都に突入した反乱軍の精鋭と父王ハザンの戦いだった。そしてその場にシケイもいた。

 金の書は人の理想や願望を実体化させる遺物。大陸の東半分をすでに支配していながら、残り半分まで手に入れようと戦争を起こした父王の野心はとてつもなく大きく、それに見合う巨大で強力な偶像兵器を顕現させた。

「焔の龍王……」

『ありゃでかかったね……つうか、長かったというか。頭の先から尻尾の先まで王都ぐるりと囲めるほどあった』

 全身真っ赤な炎で包まれ、口からは熱線を吐き、雷を落とし、暴風も巻き起こす史上最強最大の偶像兵器である。今思い返しても勝てたのは奇跡に近い。

「さすがにあそこまでじゃありませんや」

 再びパタパタと手を振り、頭も左右に振りながら否定するダイラック。それはそうだ、そこまで大きかったら見張り全員が気付いたはず。

「形はそうですね……さっきも言ったようにドラゴンなんですが、より具体的にってえと……まず目を引いたのは羽かな。コウモリの羽みたいな形でした」

「つまり、コウモリの羽を生やしたトカゲ?」

「そう、まさにそんな感じです。ウロコは濃い緑色で目は金だったかな。口の中にぞろりと鋭い牙が並んでいて、爪はちょっぴり丸みがあったな。でもでけえから一本一本が破城槌みたいなもんでさ」

 かなり距離があったという割に思ったよりも細かいところまで詳しく語るダイラック。リグレットはまた少し彼を疑った。

 直後、疑念を察したフリーダがフォローを入れる。

『こいつは目の良さが自慢だ。視力じゃ誰にも負けない』

「そうです。で、そのオイラでなきゃ気が付けない程度には遠く離れていました。でも間違いねえ、でっかいドラゴンの背中に女の子が乗っていた。他にも何人かと馬」

「馬?」

「多分そうだと思いやす。馬も乗ってやした」

 何故馬が? 顔を見合わせるリグレットとフリーダ。しかし直接目撃したわけでもない彼女たちがそうしたところで謎の一団の事情など計りようもない。

 それからもしばし聞き取りを続け、ダイラックが見たものをまとめたところこうなった。

 おとぎ話に出てくる架空の怪物ドラゴンが南の空を横切った。彼方へ過ぎ去る前に見た限りでは、少なくとも三人の男女と一頭の馬が背中に乗っており、そのうち一人は桜色の髪の少女だった。

「桜色……珍しくもない特徴だわ」

 手がかりとしては少々弱い。とはいえ本当に『少女』だとすると絞り込むのは容易にも思える。

「教団の手で偶像使いになった手合いね」

『子供なら、そうだろうね』

 先の大戦で共に戦った仲間の中にもシケイを含めてまだ子供と呼べる年齢の者は何人かいた。だが生きていれば今は全員大人である。その上、桜色の髪の持ち主は一人もいなかった。

 敵になら一人いたけれど、あの女は大戦中にすでに死んでいる。年齢も合わない。

 リグレットは当時の偶像使い全員を記憶している。無論未知の使い手もいるかもしれないが、年若い偶像使いなら三年前に二枚目の金の書を破壊する以前のタイミングであれに接触し偶像兵器を得た教団関係者と見るのが自然。

『とにかく、ここまで偶像使いが来てたってのは確かなようだ。しかもかなりの猛者』

「霧の海から生還した時点でただものじゃないわ。撤収を急がせて」

 いつそいつらが戻って来るかわからない。その連中でなくとも教団の手がここへ迫って来るのは時間の問題。ダイラックが目撃したなら相手も彼を見つけた可能性がある。

 惜しいが、フリーダは素早く決断を下した。

『このアジトは放棄だ! 詰めるだけの荷を積み込んだらさっさと次へ移るよ!』

 隠れ家は他にもあるらしい。流石だと頷き、リグレットも出港の準備を始めた。

 まあ、彼女の荷物なんてこの服と『鏡』だけなのだが。他は捕まった時に取り上げられてしまった。

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