欠けた記憶と始まりの記憶(5)

 ――戦場での華々しい功績から爵位を得た成り上がり者の息子。彼は幼い頃よくそんな陰口を叩かれていた。

 彼自身、自分の出自に引け目を感じていたらしい。十歳までは平民の子だったため貴族らしく振る舞える教育も受けていなかった。

 でも父王ハザンは彼の父親をいたく気に入っており、妻と息子もよく宮廷に招いて食事を共にさせた。だから自分たち姉妹も二歳上のコテツと接する機会が多かった。

 そういった厚遇を受ける彼ら親子に対しての嫉みは強く、周囲は執拗に陰湿な言葉を投げかけ嫌がらせも行った。なのに、あの少年はけして動じなかった。

 そう、彼は強かった。心も体も。

 鉄錆のような赤茶けた髪と強い意志を感じさせる黒い瞳。オオヒトの姓は代々背が高く体格の良い男子が生まれてくる家系だからと遠い昔に住んでいた地の領主から与えられたらしい。

 その名の通り、彼も大きくて力強かった。十五で元服を迎えた頃には並の大人を頭二つ分上回る背丈で鎧を着た兵士が三人でしがみついても歩みを止めることのできない剛力。病を知らず怪我の治りも早い頑健な肉体。しかも王家への忠誠心は父親以上。

 だからこそ、まだ年若いうちにシランとシケイの護衛として取り立てられた。彼以上に信頼できる守護者は他にいないと父王ハザンも認めていたほどである。

 そして父の血を引く自分たち姉妹もまた、彼に惹かれた。



『会いたいだろ』

「当然よ」

 でも会えない。金の書を守るために、彼との再会を願うことは許されない。

 それに――

「どんな顔で会えばいいって言うのよ……私は、どっちかもわからないのに」

『難儀な話だ』

 彼と会えたとして、シランとして接すればいいのか、それともシケイとして接するべきか、何度想像しても決められないのだ。こんな有り様では彼も混乱させてしまう。

 あの暗殺事件から生き延びた直後、彼に金の書を託して別れた時にはシケイとして命令を下した。だから多分、彼は自分をシケイだと思っているだろう。

 それをシランの記憶が嘆く。自分もここにいるのに。まだこの世界で生きているのにと。

『どっちかわかんないなら、自分で決めちまったらどうだい?』

「そんな簡単な話じゃないわ」

 シケイになろうとすればシランの記憶が邪魔をする。逆も然り。

 どちらも自分でありたいのだ。なのに姉妹の死を受け入れたくもない。だから相反し、それでいて互いを引き離すことも消し去ることもできずどっちつかずの半端な状態のままであろうとする。

「もうやめてくれない?」

 いい加減この話を打ち切りたい。自分の正体について考えると頭の中がぐちゃぐちゃになってひどく疲れる。思考が千々に乱れ、その状態でいくつもの渦を作り出し、今の自分をバラバラに引き裂いて飲み込んでしまいそうになるのだ。

 だから彼女は何年も前に結論を出して折り合いをつけた。自分はもうシランでもシケイでもない。リグレットという名の全く異なる人間なのだと。頭の中に二人の王女の記憶を持つだけの他人。そうと思わないと自身を保っていられない。

 西側諸国でよく使われる西方言語で名付けたのもシランとシケイから別人に生まれ変わったのだと強く印象付けるため。この身はリグレットだと自分に言い聞かせてさえいれば、王女たちの記憶に振り回されずに済む。

 無論、忘れることはできないし、したくもないが。シランでもシケイでもない別人に成り果てたとて、彼女たちの無念を晴らす復讐をやめるようなことはしない。それだけは絶対に無理。

「過去を振り返るのはやめて、これからの話をしましょう。今の拠点はどこ? どうやら西に向かっているようだけれど……」

 それに気付いた時から嫌な予感がしている。船縁から下を覗き込むと眼下の雲が切れて予想通り海が見えた。海上を飛び続けている。

「あなたたち、まさか……」

『そのまさかさ』

 得意気なフリーダの声。こいつはやっぱり頭のおかしい女だとその声で再認識した。

「霧の海? あんな危険な場所を根城にしてるって言うの?」

『正確にはその手前、あの海の怪物共の餌食になった船が流れつく船の墓場さ。アタシら以外には怖がって近付きもしない。大陸全土でお尋ね者になってる海賊団にゃ最高の隠れ家だろ?』

「正気じゃない……」

 船乗りなら誰もが知っているはず。西のガナン大陸との間に横たわる晴れない霧に包まれた海域には近付くなと。あの霧の中は人知を超えた怪物や異常な現象の巣窟。近付くだけで何が起きるかわからない禁断の海域なのだ。

 世界を支える七柱が砕け散った後、忽然と現れたあの霧の海に今まで多くの船乗りが果敢に挑み、その大半が戻って来なかった。ごく少数の生還者は口を揃えて言っている。入れば死ぬと。よほどの幸運に恵まれない限り、自分たちのように生還することは叶わない。自分たちはあの海から戻れただけで一生分の運を使い果たしたと。

「よく無事だったわね」

『住めば都さ。墓場に怪物は現れない。少なくとも今のところあの島で見かけるのは漂着物と鳥と魚介類くらいだ』

「島なのね」

 少し驚くリグレット。難破船の流れ着く場所があるとは聞いていたが、それが島だという事実は初めて知った。なにせマトモな人間なら船乗りでなくたってあの海域へは近付こうとも思わない。

『ああ。とは言ってもほとんど岩礁だけどね。この三年でだいぶ整備が進んで今は居心地が――待て、どういうことだ?』

 何か異変を察したらしくフリーダの声のトーンが変わる。毎度不思議なのだが木像のくせにどうやって生前の声を再現しているのだろう?

 リグレットが何事かを問うより早くメインマスト上の見張り台からも報告が上がる。

「お頭! てえへんです! 霧が消えてやがる!」

「は?」

 耳を疑いつつ再び船首へ戻るリグレット。現在のフリーダこと女神像によって支えられているバウスプリット、舳先の長い棒の上に立ち前方の海域を見渡した。確認のため船も高度を下ろし雲より低い空へ降下を始めている。

 雲の中に突っ込み、船全体を包む気流の膜によって薄い靄を押し退けながらさらに高度を下げていく。ほどなく雲下へ戻った彼女たちは目を見開くことになった。

『なんだい、こりゃあ……』

「嘘でしょ……」

 霧が無い。千年もの間、西のガナン大陸との行き来を妨げていた霧が完全に消失している。

 視界は晴れ渡り、波も穏やかで、まるで最初から霧の海域などここに無かったとでも言うような静けさ。しかも雲間から差し込む月明かりは遥か彼方にわずかに見える黒い影を際立たせた。

「あれ……まさか、ガナン大陸……?」

『だろうね、生まれて初めて見たよ。案外近いな……』

 もっとも、この高度だから辛うじて見えているのであって、海上からなら影も形もわからないだろう。おそらくこの船でも到着にはそれなりに時を要する距離。

「こ、こりゃあ何事だ……」

「どうして……?」

 船員たちも次々に甲板へ出てきて呆然とする。誰にも何もわからない。ただ目の前の現実が思い知らせるだけ。

 霧は晴れた。千年間、全ての船乗りにとって恐怖の象徴だった海域はもはや存在しない。

 当たり前の海が戻って来たのだと、誰もがそう実感した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る