赤に映える

石井一軒

赤に映える

先輩と僕は、小さな折りたたみ式のテーブルに食べきれるか心配な程のおつまみと大量の酒を乗せ、それらを間に挟み座って飲み食いしていた。


 先輩の家に招かれるのも今日が初めてではない。先輩の家は、僕が想像していた女子の部屋とはかけ離れていて、床には空き缶やペットボトル、脱ぎっぱなしの衣服やコスメが無造作に転がっており、男の僕が来るにも関わらず下着さえも放置されたままである。最初に訪れた時は驚いたものの、今となっては見慣れた光景で、目の前の先輩もタンクトップにハーフパンツと露出の高い格好で酒を煽っていた。


 カシュッと軽快な音と共に再び酒の缶が開かれ先輩の喉へと吸い込まれていく。その後は灰皿に置かれた吸いかけのタバコを口に含むのが決まった流れだ。 


「あの、先輩、そんなに飲んだり吸ったりしていたら体壊しますよ。」


 先輩にとっては余計なお世話かもしれないが、流石に心配になる飲み方なせいで僕もつい口を挟む。


 すると先輩はあっという間に缶を空け、ニンマリと笑みを向ける。


「これは課金だよ。課金。」 


 課金……意味がわからず僕は口の中で先輩の言葉を反芻する。


「私は死ぬための課金をしているんだ。」 


 でも。先輩はタバコをもう一口飲んで続けた。 


「でも生きがいになりつつある。だから奪うなよ。これなんか1箱で600円なんだからな!」


 先輩はガリガリとかさぶたになった腕に残る無数の傷跡を掻く。


 先輩には自傷癖がある。普段バイト先では隠しているが、僕のことは気心を許しているのか曝け出している。


 僕はその傷を見て、痛々しいとか気持ちが悪いなどの感情は抱かなかった。彼女が残したそれは彼女がこれまで懸命に生きようとした証だと、今までの彼女の振る舞いをみて思ったからだ。


 先輩は本当に死にたいだなんて思っていないに違いない。さっきもそう。生きがいだと言っていたから生きたいに違いない。


「先輩は死にたいんですか。」


 僕は自分の考えを再確認するかのように先輩に問いかける。すると先輩はハハハとわらって缶をぐしゃりと潰した。


「いいや?痛いのも苦しいのも生きているうちで充分だ。」

「なら尚更酒もタバコも程々にした方が。病気になったら苦しみますよ。」

「それは安心してくれ。機を見計らって辞めるさ。言っただろう?生きがいだって。その時が来るまで好きにさせてくれ。」


 そう言って先輩は大きなハイボールの瓶の蓋を緩めた。


 僕はちらりと先輩の部屋の壁に飾ってある絵を見やる。


 先輩は美大に通っていて油絵が専攻だ。どの絵も下に何かの絵が書かれているが、その上から赤い絵の具で血飛沫のように塗りつぶされている。


 先輩は僕が絵を見ているのに気が付いて一緒に目を遣る。そしてハイボールをアイスで割っただけのものを口にして話し始める。


「赤は良い。なんにでも映える色だから。」


 先輩は恍惚とした表情で絵を眺めた。先輩は死にたいのではなくて死そのものを崇拝しているようだと僕は感じた。


「そうだ。私が死んだら真っ赤な花で棺を埋め尽くしてくれよ。白い花なんてつまらない。死には赤がお似合いだから。」


 そんな縁起でもないこと言わないでくださいと言うのが道理であろうが、僕の喉を伝った言葉は違った。


「葬式に僕も呼んでくれるんですか。」


 そう返されるとは思ってもいなかったかのように、先輩は目を丸くしたと思いきやケラケラと笑い後ろのクッションに倒れ込んだ。


「はー。呼ぶ呼ぶ。呼ぶさ。だから君も私が死ぬまで生きていてくれ。」


 先輩の最期の晴れ舞台に自分も呼ばれる確約ができて、僕の口角は緩んだ。


「さあ、もう終電だろ?早く帰りな。」

「え、でも僕は……」


 今日こそは先輩と一夜を共に出来ると意気込んでいたが、今日も先輩はそれを許さなかった。上着やらカバンやらをぽいぽいと投げつけられ、あっという間に玄関に追いやられる。


 玄関を出るといつの間に降ったであろう雪で辺りが白く塗りつぶされていた。この真っ白な世界。確かに赤は映えそうだと僕は思いながら帰路につく。


 数日後バイトに訪れた僕は、先輩が昨晩未明にトラックの轢き逃げに遭い死んだことを知らされた。先輩は酒でもタバコでもなく別の死に方をした。先輩もあの絵のように赤い血飛沫を上げたのだろうか。僕は縁起でもないと首を横に振り仕事に戻った。皆従業員が一人死んだというのにも関わらずいつも通り働いている。僕はもっと悲しみに浸りたかったのだろうけれど皆がそうしているからそれにならった。


 僕は事故の現場に訪れていた。結局バイト先の一後輩である僕は葬式になんか呼ばれなかった。


 現場に来ると白い百合の花束と先輩が好きだった銘柄のタバコがポツンと置かれていた。その光景が先輩のあっさりした最期を際立たせる。


 僕はその横に花束をドサッと置いた。このような場には似つかわしくない赤い花で埋め尽くされた花束を。


 辺りに積もった雪の中でそれは一際美しく映えていた。

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赤に映える 石井一軒 @oniku_89

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