終章:それでも、守った
戦争が終わってから、三ヶ月が過ぎた。
地下司令部の空気は、かつての張り詰めた冷たさを失い、今はただの静寂に満たされている。
中央の戦術地図は、もう赤く染まることはない。
穏やかな青色の光が、復興が進む国土を淡々と映し出しているだけだ。
「――報告します。ベルン市周辺の農地、復旧率八〇パーセントを達成。今年の収穫には間に合う見込みです」
「第四開拓村の再建も順調です。焼かれた森林も、ドルイド部隊の魔術で芽吹き始めています」
オペレーターの声にも、悲鳴のような切迫感はない。
事務的で、どこか安堵を含んだ日常の業務報告だ。
私は、積み上げられた書類の山に一つ一つ決裁印を押していく。
かつては「戦死者報告」や「弾薬請求」ばかりだった書類が、今は「種籾(たねもみ)の配給願」や「新生児の出生届」に変わっていた。
インクの匂いは変わらない。
だが、その意味は劇的に変わった。
これは「死の記録」ではない。「生の記録」だ。
「……平和だな、ルクシオン」
ふと、背後から声をかけられた。
魔王ゼルヴァス。
彼は玉座ではなく、私の隣に立ち、眩しそうに地図を見上げていた。
その顔からは、憑き物が落ちたように険しさが消えている。
「はい、陛下。……退屈なほどに」
「世界は、我々をどう呼んでいる?」
「『敗残の悪魔』です」
私は即答した。
躊躇う必要などなかった。
「人類圏の新聞は、連日のように『魔王軍の脅威は去った』『聖なる勝利』と書き立てています。我々は、歴史の闇へ逃げ込んだ、惨めな敗者として定義されました」
それが、外の世界の「真実」だ。
我々がどれほど理路整然と反論しようとも、彼らの巨大な拡声器(メディア)の前では、蟻の囁きにもならない。
勇者の少年――今は「名無しの少年」として、農村で静かに暮らしている彼――が、真実を語る日も来ないだろう。
彼の心は、あまりに深く壊されていた。
癒やすには、長い長い年月が必要だ。
「悔しいか? ルクシオン」
魔王が、悪戯っぽく私を覗き込む。
「お前の知略も、ガルドゥの武勇も、全ては『なかったこと』にされたのだぞ」
「……悔しくはありません」
私は、出生届の束をトントンと机で揃え、魔王に差し出した。
「ここを見てください、陛下。この三ヶ月で、新たな命が百二名、誕生しました」
魔王が、目を細める。
「我々が戦わなければ、この子たちは生まれる前に灰になっていた。……あるいは、歴史書の数字の一部になっていた」
私は、青く輝く地図を見渡した。
そこには、無数の光がある。
畑を耕すオーク。
市場で笑うハーピー。
壊された家を直すドワーフ。
そして、その足元を走り回る子供たち。
誰も、自分たちが「歴史的な敗者」だとは知らない。
ただ今日を生き、明日を夢見ている。
その当たり前の光景こそが、我々が泥と汚名を被ってでも守りたかったものだ。
「正義は、勝てませんでした」
私は、独りごちるように言った。
「我々は侵略者の汚名を着せられ、世界中から後ろ指を指され続けるでしょう。この先、何百年も」
言葉を一区切りし、私は胸を張った。
「だが――民は生きています」
魔王ゼルヴァスは、深く頷いた。
その瞳に宿るのは、かつて見た悲しみでも、激情でもない。
全てを受け入れた、父のような慈愛だった。
「ならば、我々は敗者でいい」
魔王の声が、静かな地下室に染み渡る。
「歴史など、勝手に書かせておけばいい。名誉など、くれてやればいい。……民が生きるなら、それでいい」
それが、この長い戦争の結論だった。
誰にも称賛されず、誰にも理解されないハッピーエンド。
だが、私たちにはそれで十分だった。
「……業務終了の時間です、陛下」
私は、司令部の主電源スイッチに手をかけた。
「ああ。……帰ろう、ルクシオン。皆が待っている」
パチン、と乾いた音がした。
戦術地図の青い光が消える。
地下室は、優しい闇に包まれた。
こちら魔王軍司令部。
人類侵攻戦争、防衛完了。
本日も、異常なし。
(了)
こちら魔王軍司令部。人類の「侵略」を撃退しましたが、歴史書には「人類の勝利」と記述されました。【完結済】 早野 茂 @hayano_shigeru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます