第4話

第3話 甘美なる対価と、銀槍の盟約

 

 王都の休日は、黄金色の陽光と人々の活気に満ちていた。

 王立リリウム学園に編入して以来、初めて迎えた休日。シフォンはアリアに連れられ、迷宮のように広がる王都の広場へと繰り出していた。

 

「見て、シフォンさん! あちらの露店、今は季節限定の林檎飴を売っているようですわ」

「……りんご。蜜の、匂いがする」

 

 お嬢様然とした気品を纏いながらも、どこか浮き足立った様子のアリアに対し、シフォンは普段通りの無表情を保っていた。しかし、その瑠璃色の瞳だけは、道行く人々が手にする色とりどりの菓子を鋭く追っている。

 銀髪の美しきエルフと、金髪の気高き公爵令嬢。

 並んで歩く二人の姿は、行き交う人々が思わず足を止めるほどに華やかであった。

 だが、今の彼女たちに「次期国王候補」や「伝説の死神」といった重苦しい肩書きを想起させるものはない。

 露店の隅で、焼きたてのクレープを頬張り、瞳を輝かせるシフォンの姿は、どこにでもいる年相応の少女そのものであった。

 

「シフォンさんは、本当に美味しそうに食べますわね。見ているこちらまで幸せな気分になりますわ」

「……美味しいものは、尊い。この平和は、砂糖でできていると思う」

 

 シフォンは真面目な顔で答え、口元についたクリームを指で拭った。

 数日前、演習場で木槍を振るい、名門の息女を圧倒した怪物と同じ存在だとは、この時のアリアには到底信じられなかった。

 やがて、立ち並ぶ露店を抜け、街の喧騒が遠のいたあたり――人通りの少なくなった石畳の路地に入ったところで、シフォンの足が止まった。

「……アリア。止まって」

 

 その声の温度が、一瞬で数度下がった。

 アリアが怪訝そうに振り返る。しかし、シフォンの瞳には先ほどまでの柔和さは欠片も残っていない。 

 

「どうしたのかしら、シフォンさん?」

「……ネズミがいる。五人。さっきの広場からずっと、一定の距離を保ってついてきている」

「えっ……?」

 

 アリアが背後を振り返ろうとするのを、シフォンが手で制した。

 シフォンは周囲の空気を探るように目を細める。彼女の五感は、一般人には感知し得ない微かな「殺気」を捉えていた。それは、獲物を狙うプロの、それも極めて冷酷な刺客の匂いだった。

 

「アリア。心当たりはある?」

「それは……」

 

 アリアの顔から、急速に血の気が引いていく。彼女は震える声を絞り出すようにして答えた。

 

「……おそらく『革新派』の過激な一派だと思いますわ。彼らは王制の抜本的な改革を謳い、そのために私のような中立派を傘下に引き入れようと、執拗な勧誘を繰り返してきました。数日前、私は正式にその申し出を断る書状を送ったばかりなのです」

「断ったから、次は実力行使というわけか」

 

 シフォンは短く吐き捨てた。

 

「彼らは……手段を選ばないことで有名ですわ。まさか、白昼堂々このようなことをするなんて……」

「向こうは本気だ。隠している武器の匂い、指のタコ、それから呼吸。……あれは『脅し』じゃない。『暗殺』の準備だ」

 

 アリアは絶望に瞳を揺らした。護衛もつけずに街へ出た己の不徳を呪う。しかし、そんな彼女の前に、シフォンの小さな背中が割り込んだ。

 

「アリア、提案がある」

 

 シフォンは振り返らずに言った。その声には、かつて数多の戦場を支配した絶対的な自信と静謐さが宿っている。

 

「私は元々、金で雇われる傭兵だった。……それも、あなたが想像するよりずっと質の悪い、人殺しの専門家だ」

 

 アリアは息を呑んだ。学園で見せたあの槍術。木で木を斬る神業。それらがどこで培われたものか、その一端を理解したからだ。

 

「本来なら、私はもう二度と槍を持たないと決めていた。……けれど、さっき食べたあの高級なケーキ。あれは、一人で食べるには少し甘すぎる」

 

 シフォンはわずかに首を傾げ、アリアの瞳を真っ直ぐに見据えた。

 

「依頼料だ。あのケーキや、あの店のアイス。それを定期的に、飽きるまで私に提供すると約束しろ。……そうすれば、私が、あなたを殺そうとする全ての『障害』を排除しよう。」

 

 アリアは数瞬、思考を停止させた。

 目の前の少女が、たった数個の菓子のために、国家規模の陰謀に首を突っ込むと言っている。それがどれほど馬鹿げた、そして同時に、どれほど救いに満ちた言葉であるか。

 

「……本気、なのですか? 相手は政治的なバックボーンを持つプロの集団ですのよ?」

「プロか。……いいんじゃないか。私もそうだった」

 

 シフォンはふっと、どこか寂しげに、けれど獰猛な笑みを浮かべた。

 アリアはその笑みに、言いようのない信頼を感じていた。この少女が隣にいる限り、自分は決して折れることはないのだと。

 

「……わかりましたわ、シフォンさん、いえ、シフォン・アルトワール。貴女を、私の正式な護衛として雇います。……報酬は、王都で最も贅沢な甘味の数々。それで……よろしいかしら?」

「契約、成立だ」

 

 シフォンがそう言った瞬間。

 路地の影から、五人の黒衣の男たちが音もなく姿を現した。その手には、毒の塗られた短剣や小型のクロスボウが握られている。

 

「……シフォンさん、気を付けて」

「アリア。そこに座って、十秒ほど待っていてくれ、片付けてくる」

 

 シフォンは懐から、一通の巻物を取り出した。それは魔力を込められた極小の空間転移。その中から現れたのは、美しく、そして禍々しいまでの存在感を放つ、二メートルもの銀色の槍であった。

 

「――おやつを邪魔した報いだ。相応の対価を払ってもらおう」 

 

 銀髪をたなびかせ、シフォンが地を蹴った。

 次の瞬間、路地には鋼のぶつかり合う音すら響かなかった。聞こえるのは、風を切る銀の閃光と、絶望に満ちた男たちの短い呻き声だけである。

 アリアが十を数え終わる頃。

 そこには、返り血一つ浴びずに、銀槍を消し去ったシフォンが佇んでいた。

 彼女はアリアの元へ歩み寄ると、まるで「明日の天気はどうだろうか」とでも言うような平淡な声で言った。

 

「……終わった。さあ、帰ろう。冷める前に、次の店へ行かないといけない」

 

 アリアは震える手でシフォンの服の裾を掴み、そして微笑んだ。

 最強の護衛と、命を狙われる王女。

 二人の不可思議で、甘美な学園生活の本当の幕開けであった。

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