第3話

第2話 木槍の断層、あるいは絶対者の証明

 シフォンが王立リリウム学園へ編入してから、数日の刻ときが流れた。

 その間に、彼女の名は一種の怪談、あるいは神話のように学園内を駆け巡っていた。

 見る者を魅了する稀少なエルフの美貌。食堂で見せた冷徹なまでの制圧能力。そして、それらとはおよそ不釣り合いな、甘味を前にした際の幼子のような熱狂。

 噂の渦中にある当の本人は、周囲の喧騒などどこ吹く風で、慣れない法学や歴史学の講義に眉を寄せ、放課後の「おやつ」という名の報酬を唯一の糧として日々を消化していた。

 しかし、その平穏は「実技」という名の授業によって、一時的な終焉を迎えることとなる。

 武門の矜持と、死神の残照

 演習場には、貴族の嗜み、あるいは護身の範疇を超えた熱気が渦巻いていた。

 この日の主題は「武器術」。木製の剣や槍を用い、生徒同士が互いの技量を競い合う場である。

 シフォンの前に、一人の少女が立ちはだかった。

 侯爵家の息女にして、武門の名門バイオレット家の血を引く、グレイス・バイオレットである。

 

「シフォン・アルトワール。貴様のような出自不明の者が、何故アリア様と並び立つことを許されているのか。……その無礼、この槍にて正して差し上げますわ」

 

 周囲にはグレイスの取り巻きや、力こそが正義と信じる血気盛んな者たちが集まり、嘲笑を交えた囃し立てが場を支配する。その異様な光景に、アリアが危惧の色を浮かべて歩み寄った。

「シフォンさん、退くべきですわ。バイオレット家は代々、軍部の中核を担い、戦場にて多大な戦果を挙げてきた家系。グレイスさんもまた、幼少より苛烈な研鑽を積んできた槍術の使い手……このクラスに、彼女に抗える者はおりません」

 アリアの警告は至極真っ当なものであった。しかし、シフォンはその瑠璃色の瞳にわずかな温度を宿し、アリアへ向けて一点の曇りもない笑顔を返した。

 

「……心配には及ばない、アリア。すぐに、誰も傷つけずに終終わせる」

 

 その宣言と共にシフォンが手にしたのは、使い古された一本の木槍であった。

 彼女が正対し、槍を構えた瞬間、演習場の空気は一変した。

 それは、作法に則った「型」ではない。無駄を極限まで削ぎ落とし、最短、かつ確実に敵を屠るために最適化された、実戦の構え。武器術に明るくないアリアでさえ、それが「嗜み」の領域を遥かに凌駕するものであることを直感し、背筋に冷たいものが走るのを禁じ得なかった。

 

「始め!」

 

 教官の号令が響く。

 グレイスが鋭い踏み込みと共に放った必殺の突き。それは確かに、学生の域を逸脱した天賦の才を感じさせる一撃であった。

 だが、結末はあまりに無慈悲であった。 

 

「……一本」

 

 開始から十秒に満たぬ間に、シフォンの木槍の穂先は、グレイスの喉元を正確に捉えていた。

 グレイスは何が起きたのか理解できず、呆然と立ち尽くす。

 

「……偶然よ。このようなこと、あってはならないわ!」

 

 逆上したグレイスは、再び、そして三度とシフォンへ挑みかかる。

 しかし、その全てが霧を突くが如く空を切り、気づけばシフォンの槍が、彼女の急所に突きつけられている。

 五回、十回――繰り返される絶望的な実力差の証明。

 二十回を超えた頃、グレイスの呼吸は乱れ、その構えからは武人の気位が消失し、ただの激情へと成り果てていた。

 

「どうして……どうして当たらないの!? 貴様、何者なのよッ!」

 

 喚き散らしながら、グレイスが全霊を込めた大振りを放とうとした、その瞬間。

 シフォンの瞳から、一切の慈悲が消えた。

 

「……これ以上は、時間の浪費だ。おやつが、売り切れになってしまう」

 

 一閃。

 シフォンが振るった木槍は、物理的な質量を無視したかのような速度で、グレイスの槍の柄を打った。

 直後、乾いた音が響き渡る。

 驚愕すべきことに、グレイスが握っていた硬質の樫の木槍は、まるで名匠が鍛え上げた業物に断たれたかのように、平滑な断面を残して真っ二つに両断されていた。

 

「…………え?」

 

 手元に残った残骸を見つめ、グレイスの顔から血の気が引いていく。

 木で、木を斬る。

 その常識を超越した神業と、シフォンから放たれた隠しきれぬ死神の威圧感に、彼女はついに膝を折り、震える声で敗北を認める他なかった。

 

「……参りました、わ……」

 

 降参の言葉を聞くや否や、シフォンは凶器じみた鋭さを霧散させ、元の無機質な少女へと戻った。

 彼女は「ふぅ」と小さく吐息を漏らすと、困惑に包まれる演習場を後にし、アリアの元へと歩み寄る。

 

「……アリア。無事に終わった、はやくアイスが食べたい。」

 

 伝説の死神の片鱗を見せつけながらも、その思考の最優先は、未だ甘味の献上であった。

 こうして、波乱に満ちた学園生活の数日間は、新たな伝説の序章を刻んで幕を閉じたのである。

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