第7話 メグの距離
先生が来た日、メグは、すぐに分かった。
声の大きさじゃない。話す回数でもない。
止まる場所が、同じだった。
廊下から教室に入るとき。机の間を通るとき。誰かに話しかけられたあと。
先生は、一拍だけ、遅れる。
その遅れを、なかったことにしようとしない。
メグは、それを見ていた。
——ああ、って思った。
小学校のころ、メグは、声が出なかった。
出そうとすると、胸が先に固まった。
先生は優しくて、友達も悪くなかった。
それが、いちばん、困った。
中学に入ってから、返事だけは、できるようになった。
「はい」
「いいえ」
それだけで、一日が終わるなら、それでよかった。
大人には、聞けるようになった。
必要なことだけ。
今日の提出先。
鍵の場所。
それ以上は、いらなかった。
先生は、その「それ以上」を、取りに来なかった。
だから、近くにいられた。
給食のとき、先生は、立たなかった。
それだけで、メグは、決めた。
——何か、作ろう。
理由は、うまく言えない。
助けてもらった、とも違う。
教えてもらった、とも違う。
ただ、同じ速さで、息をしていた。
土曜日、藍染屋に行った。
最初の布は、濃すぎた。
二枚目は、においが、強すぎた。
三枚目は、触った瞬間、違うと分かった。
手は、どんどん青くなった。
でも、止まらなかった。
止まる理由が、なかった。
——青くなっても、何も起きない。
それは、前から知っていた。
でも、誰かに見せるのは、初めてだった。
月曜日、放課後。
先生は、帰る準備をしていた。
今だ、って思った。
遅れたら、無理になる。
「山田先生」
声は、小さかったけど、消えなかった。
紙袋を渡したとき、先生の目が、一瞬だけ、メグの手を見る。
隠さなかった。
そのままで、よかった。
先生は、まだ、何も言わなかった。
それが、いちばん、楽だった。
このあと、先生が、何か言ったのかもしれない。
でも、それは、もう少し先のこと。
先生がいなくなったあと、教室は、元に戻った。
机の位置も。音も。
でも、メグは、一つだけ、変わった。
——大人になっても、ああいう人は、いる。
それだけで、十分だった。
メグは、手を洗った。
青は、少しずつ、薄くなった。
全部は、消えなかった。
それで、よかった。
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