第5話

 昼休みになってから、僕はビルの屋上へ向かった。屋上は社員なら誰でも使えることになっているが、昼は外に食べに行く人が多く、好き好んで屋上までやってくる人はいないため、ランチタイムは誰もいない穴場スポットになっている。

 コンクリートの床に、都会特有の乾いた風が吹いている。一つだけあるベンチに腰を下ろし、弁当箱を開けた。

  いつの間にか、クニは屋上の床に座っていた。胡座をかき、指先で何かをいじっている。

「なあ、圭」

 呼ばれて視線を向けると、彼の指先に白い糸が浮かんでいた。それは、淡い光を発していて、先ほど電車の中で見たものと同じだった。タコさんウインナーを食べながら、聞く。

「それ、何ですか」

「縁だ。俺が念じた瞬間だけ、圭にも見えるようになる」

 予想していた答えだったが、実際に言われると不思議な感覚になった。この頼りない糸が誰かと結ばれれば、僕は幸せになれるんだなあ。

「意外と細いんだ」

「一人分だとな。人の縁はな、基本こうなってる」

 クニは宙に糸を何本か出現させる。それぞれが、ふわりと緩く揺れている。

「最初は細い。絡まっても、ほどける余地がある。少しずつ撚れて、太くなって、ようやく結ばれる」

 どこかから出てきた二本の糸が、ゆっくりと結び目を作る。優しく、無理のない形だが、一本だった時よりは確実に太く確かなものになっている。二本の糸は徐々に赤くなり、最後には朱色になった。

「これがいわゆる"運命の赤い糸"だな。普通は、ここまで来るのに時間がかかる」

 クニが指を鳴らすと、赤い糸は消え去り、また二つの白い糸が出ていた。しかし、今回の糸は少し様子が違う。片方の糸がもう片方の糸に強く絡まり、繊維の中にある細いものをいきなり強く引く。撚られる前に、暴こうとしているようだ。結び目ができる前に、糸の芯が露出する。

「お前の縁はな」

 片方の糸の侵食はもう片方の糸には負担だったようで、絡まっているものの、先ほどの糸達のように自然な絡まりではなく、歪で不自然で、ぎちりと音を立てて軋んでいる。

「好きになった瞬間、こうなる。赤くなる前に、全部暴こうとする」

「……」

 僕は喉が詰まって、何も言えなかった。タコさんウインナーを無理やり飲み込む。

「お前は縁を試してるんだ」

 クニから言われたことはまだショックだけど、でも僕はそれでも誰かと縁を結びたい。

「じゃあ、どうすればいいの」

 彼は糸を一本取り、今度はゆっくりと引いた。

「この力でも切れねえ縁だけが、赤くなる資格がある」

「それが……僕の縁?」

「ああ。そういう人間を見つける必要がある」

 クニは糸を離し、こちらを見上げる。

「それはそうと、今のお前の状態な」

 クニは、近寄ってきたかと思うと、僕の胸元に人差し指をついて、何かを呟いた。その瞬間、僕の周りに短く切れた糸が沢山浮かんでいるのが見えた。

「結ばれかけた縁の残骸だらけ」

「……」

「俺の神社に来る前のことは知らねえけど、お前は誰とも縁を結べなかった。違うか」

 図星だった。過去を思い出して、胸の中が黒く染まっていく。悲しみは乗り越えたと思ったのに、まだ僕を離してくれないみたいだ。

「今は聞かねえ。でもな」

 クニは、最後に一本だけ、太い糸を出した。

 色は漆黒で、不思議と存在感がある。それが僕から出る白い糸と確かに繋がっている。

「今、お前の縁はこれに繋がれてる」

「……それって」

「俺だ」

 静かに、断言する。

「俺は神だ。お前ごときで縁は切れねえし、壊れねえ」

 胸が、どくんと鳴った。

「安心するだろ、圭」

 クニは、意地悪そうに笑った。


 クニside

 圭は、無防備な顔で昼飯を食っている。その様子を横目で見て、これからを思案する。

 圭は綺麗な顔をしている。横から見ると、長いまつ毛は頬に影を作るほどで、黒く丸い瞳は見つめられたら吸い込まれてしまいそうだ。形の良い鼻と唇は、姫巫女のような清楚さを思わせるし、その顔に感情が浮かぶたび光を帯びるかのようだ。

 俺は空を見た。そして、圭との出会いを思いだす。

 小さな祠にぽつりと灯りが点く頃、人の気配が消え、風の音だけが残る夜の神社に、圭はやってきた。

 俺は縁叶神社以外にも祀られており、神社を巡回しながら、願いを聴いたりしていた。縁叶神社は参拝者が滅多にいないため、なかなか巡回に来なかったのだが、たまたま行った時に圭がいた。

 仕事帰りの、疲れた匂いを纏ったままで、誰に見られているわけでもないのに、律儀に二拝二拍手した。そして、願い事をする時の顔が、やけに真剣だったのが印象的だった。

 人間の祈りなんて、たいていは濁っている。欲や保身、それに言い訳だ。だが圭の祈りは違った。縁がほしい。誰かとちゃんと結ばれたい。欲深いくせに、驚くほど澄んでいた。

(……厄介だな)

 あんな祈りをする人間が、縁を繋いでは壊している。そのアンバランスさを放っておけなかった。せめて藤堂とは上手くいくようにアドバイスしたが、時すでに遅しだった。だから、姿を見せた。けれど、これでよかったのかと責める自分の思考を一瞬にして否定する。

 縁を司る側として、問題のある人間を監督しているだけで、それ以上でも以下でもないのだから。

(……干渉しすぎている気はするが)

 それも、必要な管理の範囲内だ。そうでなければ困る。俺は神だ。人間一人に、理由もなく目を奪われるほど、暇じゃない。神は平等でなければならない。ただ、圭は俺の管轄を荒らしかねない。だから、管理しているだけ。

 俺は視線を逸らし、もう一度、自分に言い聞かせた。

 圭は、管理対象だ。それ以上の意味はない。

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