第50話:黎明


 それから、私はフェイと旅をした。

 世界の果てにまで散らばった聖武具を集める旅。それは、王女としての地位を確かなものにするため。


 教会に恩を売り、王位継承の道を盤石にするため。そう思っていた。最初は、確かに。


 けれど、旅は私の心を変えた。

 フェイの静かな瞳と、どんな時も冷静な判断。彼の隣にいると、私はただの「王族」ではなく、「仲間」になれた気がした。


 やがて、妹のカレンが加わり、姉のミリアリーデも合流した。


 カレンは、最初は旅に不慣れで、よく転んでいた。

 小さな体で大きな荷物を背負い、文句を言いながらも、誰よりも早く立ち上がった。


 花を見つければ足を止め、私の髪にそっと挿してくれた。

 夜になれば、焚き火の前で歌を歌い、私たちを笑わせた。

 フェイが落ち込んでいるときは、冗談を言って彼を笑わせた。

 ミリアリーデが怒っているときは、袖を引っ張って「ねえねえ、聞いて」と無邪気に話しかけて、その愛嬌で彼女を笑わせた。


 あの子は、誰よりも優しくて、誰よりも強かった。常に人の笑顔が側にある子だった。



 ――その夜までは。


 ある晩、私たちは森の外れで野営していた。

 焚き火の火が小さく揺れ、虫の声が遠くで響いていた。


「カレンの容体はどうだ?」


 私はフェイに尋ねると、彼は笑みを見せてくれる。


「かなり熱は下がった。あとは体力が回復するのを待つだけだ」

「そうか…見張は私が引き続き行う。フェイは休んでいてくれ」

「ああ、お言葉に甘えさせてもらうよ」


 フェイが自身のテントへ戻ると、再び静寂が訪れる。森の囁きの中に、焚き火のパチパチとする音が鳴る。そんな静かな夜になるはずだった。


「お姉ちゃん……」


「カレン!?もう起き上がって大丈夫なの!?」

「うん…もうへっちゃら」


 カレンは屈託のない笑顔を見せるが、どこかその笑みに影が差していることに私は気付いた。


 私が隣に座ると、カレンは膝を抱え、しばらく黙っていた。焚き火の光が、彼女の赤い髪を揺らし、影を長く伸ばす。


「……私ね。起きたら…ロールが変異してたの」


 その瞬間、カレンの肩がびくりと震えた。

 私は気づくべきだった。

 あの震えが、どれほどの恐怖を押し殺していたのか。


「……魔王、になっちゃった」


 焚き火の音が、やけに大きく聞こえた。

 風が止まり、世界が静止したようだった。


「……何を…言っている…の?」


 声が震えたのは、私のほうだった。


「えへへ」

「カレン…」


 カレンの笑みはいつもと違う。

 胸を温かくさせるものではない。胸を冷たく締め付けるものだった。


「カレン…」

「怖いよ……お姉ちゃん……私、誰も傷つけたくないのに……どうして、私なの……?」


 カレンは泣きながら、私の腕にしがみついた。その小さな体は、震えていた。必死に、必死に、泣くのをこらえながら。


「大丈夫よ、カレン。大丈夫……」


 私は抱きしめることしかできなかった。でも、本当は気づいていた。それが何の救いにもなっていないことを。


 あのとき、私はもっと強く抱きしめるべきだった。もっと真剣に向き合うべきだった。カレンがどれほどの恐怖と孤独を抱えていたのか、理解しようとすらしなかった。


「…みんなには…黙っておくのよ」

「え?」


「いい…絶対に私以外に…話さないで」

「…うん」


 カレンは涙を拭い、無理に笑顔を作った。

 その笑みが、どれほど痛々しいものだったか。

 私は、そのとき気づけなかった。


 焚き火の光が弱まり、夜の闇が私たちを包む。

 カレンの震えが腕越しに伝わってきて、胸が締めつけられた。


 ――守らなきゃ。

 そう思ったはずなのに。


 翌朝、カレンは何事もなかったかのように振る舞った。いつものように花を摘み、フェイに冗談を言い、ミリアリーデを笑わせていた。その明るさが、かえって私の胸に重くのしかかった。


 あの子は、誰よりも優しくて、誰よりも強かった。

 そして、誰よりも孤独だった。


 それでも旅は続いた。

 笑い合い、時にぶつかり、涙を流しながらも、前に進んでいた。


 その日々は、まるで夢のようだった。

 王位なんて、どうでもよかった。

 この旅が、永遠に続けばいいと、心から願っていた。


 でも——終わりは、訪れる。

 私は、見ないふりをしていた。

 カレンのロールが「魔王」だと知ったとき、胸の奥に生まれた不安を。あの子の笑顔の裏に、どれほどの恐怖が隠れていたのかを。


 私は、姉なのに。

 守るべき立場だったのに。

 何もできなかった。

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