第49話:始まりの出会い
天使の零落が私に見せたいもの。
それは封じていた欲望。
あの頃に戻りたい。
五人で旅をしていた、あの時間に。
笑って、怒って、泣いて、手を取り合っていた、あの世界に。
そして、やり直したい。
あのとき、もっと早く気づいていれば——
もっと強く抱きしめていれば——
カレンにあんな顔をさせなくて済んだのだろうか。
ミリアリアの視界は再び遠い日の情景を映し出した。
……木造りの床が、俺の足音に応じて軋んだ。その音が、静寂に包まれた空間に不気味に響く。窓のない部屋は、まるで外界から切り離された牢獄のようで、唯一の光源であるランタンが、壁に揺らめく影を落としていた。
この場所に王族がいるなど、常識では考えられない。薄暗く、湿った空気が肌にまとわりつく。そんな部屋の中央に据えられた、年季の入った木の机と椅子。俺とミリアリアは、そこに向かい合って座っていた。
扉の前には、黒曜石のような禍々しい鎧に身を包んだサキュウスが立ち、その無機質な仮面の奥で、鋭く周囲の気配を探っている。この部屋の中だけでなく、廊下の向こうに潜む気配にまで、彼の意識は張り詰めていた。まるで、言葉の一つが命取りになることを知っているかのように。
「フェイ様、このような場所で申し訳ございません」
ミリアリアの声は、静かに、しかし確かな響きを持っていた。その声音には、王族としての威厳と、少女としての柔らかさが同居している。
「いえ、俺のことはお構いなく」
俺は努めて平静を装った。だが、心の奥では、冷たい汗が背中を伝っていた。
ミリアリアは微笑んだ。その笑みは、まるで冬の陽だまりのように優しく、だが、どこか遠くを見つめているようでもあった。
「フェイ様、早速ですが、本題に入りましょう」
その言葉と共に、空気が一段と重くなる。まるで、部屋の温度が数度下がったかのように感じた。
「まずは、フェイ様に誤解があってはなりませんので…申し上げにくいことですが、フェイ様の処刑は中止になったわけでなく、正確には延期となりました」
その言葉は、まるで氷の刃のようにフェイの胸を刺した。だが、彼の表情は変わらない。9歳とは思えぬほどの冷静さで、彼は静かに問い返す。
「…つまり、処刑を回避するには条件があるということですね」
「はい。フェイ様は、巫女のことはご存じでしょうか?」
「私もアルヘッザル家の人間です。魔王復活の件は聞いています」
巫女の存在——それは、王国の中でも限られた者しか知らぬ禁忌の情報だった。未来を曖昧に読み取るその力は、時に希望を、時に絶望をもたらす。
そして、あの巫女が告げたのだ。魔王の復活が近いと。
「…そして、同時に、勇者の誕生も巫女は予言していた。確か、そんなお話だったかと思います」
フェイの言葉に、ミリアリアは静かに頷いた。その仕草は、年齢にそぐわぬ威厳と覚悟を感じさせる。
「教皇から魔王復活に際して、密命を受けています。私の使命は、かつて勇者が魔王を倒すために使用した12の聖武具、そのすべての回収です」
その言葉に、フェイは眉をひそめた。
「…神話の話だけで、その1つも見つかってすらいないのでしょ?」
皮肉交じりの問いに、ミリアリアは微笑みながら首を横に振った。
「いいえ、フェイ様。12の聖武具の内、6つは教会で確保しており、2つは場所が、1つは持ち主が判明しております」
「…うえぇ!?」
思わず声が裏返る。冷静を装っていたフェイの仮面が、わずかにひび割れた。
「フェイ様?」
「あ、いえ、すみません。驚きのあまり取り乱しました」
胸の奥がざわつく。伝説の聖武具——その響きに、少年の心が高鳴るのを止められなかった。まだ9歳。夢と現実の境界が曖昧な年頃だ。少しくらい浮かれても、許されるだろう。
「それでですが…私の処遇と、その聖武具に何の関係があるのでしょうか?」
「フェイ様が聖武具の選定者の可能性があるのです」
「お、俺が?…い、いえ、私がですか?」
思わず素が出る。だが、ミリアリアは微笑を崩さず、静かに頷いた。
「はい。順序立てて説明いたします。まず、聖武具は選定者でなければ、装備や使用はおろか、その場から動かすことができないのです」
「…確か、2つは場所が判明していると仰っていたのは、聖武具は見つけたけど、選定者が見つかっていないということですね?」
「はい。その通りです。もし、フェイ様が選定者であれば、その2つの武具は回収できると考えています」
「…私が選定者というのも、巫女の予言でしょうか?」
「フェイ様、申し訳ありませんが、お話できないこともあります」
「分かりました。詮索はしません。別の質問なのですが、選定者は12人だと思っていましたが、違うのでしょうか?」
「はい。選定者は合計4名です。魔王を討伐した勇者の仲間を含めた4名がそれぞれ使用していた3つの武具を聖武具と呼んでいるのです」
「なるほど…」
フェイの脳裏に、情報が次々と組み上がっていく。冷静な思考が、状況の輪郭を浮かび上がらせる。
(…む?)
6つの聖武具が回収済み。つまり、選定者は2名。さらに、持ち主が判明している武具が1つ。これで3名。仮に自分が選定者なら、役割は『盗賊』。つまり——
「もしかして、すでに勇者は見つかっているのですか?」
「いいえ、現在、判明している選定者は2名ですが、どちらも勇者ではありません」
「…教会で確保している聖武具は6つなのでは?」
「3つは元から教会で保管していたものです。3つは教会に協力的な選定者が発掘したものです」
つまり、1人の選定者はすでに3つの武具を揃えているということか。
「私の役目は分かりました。もし、私が選定者であれば、私に対応する聖武具を集めること…そして、魔王を倒すことが求められているということですね」
「はい。その通りです」
神話の中の存在だった聖武具。それを現実に集めるという重責。フェイは小さく息を吐いた。
「フェイ様、ご安心を」
「はい?」
「聖武具がどこにあるのかは別の者達が調査しております。フェイ様が選定者であれば、ただ聖武具を回収するだけです」
「つまり、探す手間までは考えなくて構わないってことですね」
「はい。フェイ様が選定者であれば、いずれ復活するであろう魔王を倒すことだけに集中していただければと思います」
「…私が選定者かどうか、それは聖武具を目の前にするまでわかりませんか?」
「残念ながら」
「そうですか…」
もし、自分が選定者でなければ——その先に待つ運命は、想像に難くない。処刑。冷たい刃が、首筋をなぞる未来が脳裏をよぎる。
「フェイ様、ご安心ください。もし、フェイ様が選定者でなくとも…聖武具の発掘にご協力いただけるのであれば、処刑されずとも済むように手配することはできます」
「…」
その言葉は、優しさに包まれていた。だが、フェイの耳には、絹の手袋をはめた拳のように響いた。脅しだ。だが、彼女の瞳には一片の悪意もない。
「誤解を招いていれば申し訳ありません。聖武具の発掘に尽力したという実績があれば、フェイ様の処刑を回避するには十分な材料となります。他意はありません」
「なるほど…確かに…」
フェイは静かに頷いた。冷静な瞳の奥に、わずかな決意の光が宿る。
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