第48話:処刑台に咲く女神


 アルヘッザル領の城下町。

 その中心にある広場は、すでに人で埋め尽くされていた。


 冬の冷たい風が吹き抜ける中、処刑台の上に俺はうつ伏せにされ、首を台に乗せられていた。


 空はどこまでも青く、雲ひとつない。

 まるで、俺の死を祝福するかのように、晴れ渡っていた。


 処刑方法は斬首。

 黒衣の男が手にした剣は、異様なほどに大きく、鈍く光っていた。


 その刃が、俺の首を狙って振り下ろされるのを、ただ待つだけ。


 一太刀で終わればいいが。

 あの男の性格を思えば、わざと外して何度も振るう可能性もある。苦しまずに死ねる保証はない。


 視線を横に向けると、群衆の中に見知った顔があった。


 父も母もいない。

 代わりに、長男と長女がいた。

 彼らの顔には、歪んだ笑みが浮かんでいる。

 まるで、待ち望んだ瞬間が訪れたとでも言いたげに。


 ――やはり、処刑を仕組んだのはあの二人か。俺が邪魔だったのだろう。領主の座を脅かす存在として。


「さてさて、フェイ様、何か言い残すことはございますか?」


「…ない。早くしてくれ、首が痛い」


「…最後までむかつくガキだ」


 男の呟きが、冷たい風に紛れて耳に届く。

 剣が振り上げられる。

 その動きは、まるで儀式のように滑らかだった。


 俺は目を閉じた。


 盗技を使うことも考えた。

 だが、誰かを犠牲にしてまで生き延びることに、意味はあるのか。


 ――俺は、俺のままで死にたい。


 風が鳴る。

 剣が空を裂く音が、耳元に迫る。


 ――短い人生だった。

 次は、平穏な人生を――


 そのとき。


「待ちなさい」


 その声は、鐘の音のように澄んでいた。


 処刑人の剣が止まる。

 空気が凍りつく。


 視線が、一点に集まる。

 真紅のドレス。金色の髪が風に舞い、陽光を受けて輝いていた。


 その姿は、まるで神話から抜け出した女神のようだった。


 声は女性のように聞こえたが、彼女の威風堂々さが、幼い体に大人のような印象を与えたのだろう。


「…ミリアリア様」


 黒衣の男の声が震える。

 その名に、俺の記憶も反応する。


 ――王位継承権第3位、ミリアリア殿下。


 助かったのか。

 いや、まだ分からない。

 死の淵から急に引き戻されたせいで、胸の奥がざわつき、現実感が薄れていた。


 だが、確かに何かが変わった。

 運命の歯車が、静かに音を立てて回り始めた。


 蒼穹のように澄んだ瞳が、黒衣の男を射抜く。まるで心の奥底まで見透かすようなその眼差しに、男は一瞬で気圧され、無意識に剣を地に置いた。


 膝をつき、額が床に触れるほど深く頭を垂れると、声を震わせながら言葉を発した。


「恐れながら!!発言をお許しください!」


 その叫びにも似た懇願に、ミリアリアは微笑みを浮かべた。だが、その笑みは、幼さを感じさせるものではなく、王族としての威厳と余裕を湛えたものだった。


「疑問は当然のことです。どうぞ、お話ください」


 その声音は柔らかくも、決して侮れぬ芯の強さを含んでいた。


「ありがとうございます!私は処刑人、ギロンと申します。本件は、アルヘッザル領内のことでございますゆえ、ミリアリア殿下の寛大なお心には感服しておりますが、干渉されるのはお控えいただければと…」


 ギロンの声には、礼を尽くしながらも、領主の威光を背にした確固たる自負が滲んでいた。


「ギロン様」


 ミリアリアの声が、静かに空気を切り裂く。


「はい」


「事は、アルヘッザル領内だけの問題ではありません」


 その一言に、場の空気が張り詰める。


「…と申されますと?」


「フェイ様が処刑される理由は、盗賊のロールを授かったことにあると聞きました」


「はい。その通りです。エルドラード王国のみならず、世界各国において、盗賊はもれなく死罪です」


 ギロンの声は揺るがず、まるで当然の理を述べるかのようだった。だが、その言葉を受けたミリアリアは、わずかに頷き、静かに口を開いた。


「ロールは神が人に与えた役割です。フェイ様が盗賊のロールを授かったのは、神の意思によるもの。もし、それを理由に命を奪うというのならば、それは神の御心に背く行為。教会はそれを、神への反逆と見做します」


 その声音は凛としており、幼き少女のものとは思えぬほどに重みがあった。


「教会の意思は、我らエルドラード王国においては、すなわち国王の意思でもあります。この言葉の意味、ご理解いただけますと幸いです」


「な、何を!?」


 ギロンの顔が引きつる。

 彼の中で揺るがぬはずだった正義が、今、根底から崩れかけていた。


 ミリアリアはその隙を逃さず、懐から一通の書状を取り出す。白銀の封蝋には、神聖なる教皇の紋章が刻まれていた。煌めく蝋の赤が、まるで血のように見えた。


 その瞬間、俺の胸に走ったのは、驚きと安堵、そして戸惑いだった。教会が、俺の処刑を神の意志に反すると認めたのだ。ミリアリアの「領内だけの問題ではない」という言葉の真意が、ようやく腑に落ちた。


 ギロンは唇を固く結び、拳を握りしめた。

 だが、教会の総意を前にしては、いかなる権威も沈黙を強いられる。


 そのとき――

 広場の奥で、重厚な扉が軋む音が響いた。

 ざわめきが波のように広がる。


「…ミリアリア殿下、我が領内で勝手は慎んでもらおう」


 低く響く声とともに現れたのは、堂々たる体躯を持つ男。金獅子のような髪と鋭い眼光を持つその姿は、まさに戦場を駆け抜けた英雄の風格を漂わせていた。


「これはグレン様」


 ミリアリアの声にも、わずかな緊張が混じる。


 アルヘッザル家当主、グレン。

 王族に匹敵する権威を持つ男が、ついに姿を現したのだ。


「フェイを処刑せずに見過ごすことはできん。盗賊はもれなく死罪。それを看過すれば、秩序は崩壊する。神の意志を盾に混乱を招くことこそ、真の冒涜ではないか?」


 その言葉は、雷鳴のように広間に響いた。

 ミリアリアは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに顔を上げ、毅然とした態度で応じる。


「…グレン様のお言葉もごもっともでございます」


 蒼天の瞳と深紅の瞳が交差する。

 互いに一歩も譲らぬ意志が、無言の火花を散らす。


「ミリアリア殿下、お引き取り願おう」


 グレンの言葉に、ミリアリアは一礼し、静かに口を開いた。


「グレン様、教皇からの書状をどうか」


 彼女は両手で書状を差し出す。

 その所作は、まるで神託を授ける巫女のように神聖で、周囲の空気すら凍りつくようだった。


 グレンは無言で書状を受け取り、目を通す。

 やがて、低く唸るように呟いた。


「…なるほど」


 その視線がギロンへと向けられる。


「ギロン、フェイの処刑は中止だ。その身柄はミリアリア殿下へ預けよ」


「っ!?」


 ギロンの顔が驚愕に染まる。

 だが、グレンはそれ以上何も言わず、背を向けて歩き出した。その背中には、決して揺るがぬ覚悟が刻まれていた。


 ギロンは呆然とその背を見送る。

 だが、現実へと引き戻したのは、鈴の音のように澄んだミリアリアの声だった。


「ギロン様、よろしいでしょうか?」


「っ!」


「フェイ様の御身柄はこちらで」


「え、あ、しょ、承知しました!」


 ギロンは慌てて俺の拘束を解き、手錠を外す。自由を取り戻した俺に、ミリアリアは柔らかな微笑みを向けた。


「それでは、フェイ様、まずは教会へ。事情をお話しますわ」


「…分かりました」


 俺は静かに頷いた。

 心の奥底に、まだ消えぬ不安と疑念を抱えながらも。


 そのとき、空気が一変した。

 どこからともなく現れたのは、漆黒の鎧に身を包んだ騎士。全身を覆う甲冑は禍々しく、まるで闇そのものが形を成したかのようだった。


「…彼はサキュウス、私の護衛です」


「サキュウスと申します」


 その鎧から発せられた声は、意外にも幼く、澄んでいた。まるで、鎧の中にいるのは年端もいかぬ少年のようだった。


「…よろしくお願いします」


「ふふ、では参りましょうか。あまりお待たせしてはいけませんもの」


 ミリアリアの笑みは、まるで夜明けの光のように、冷え切った空気を優しく照らしていた。


 思えば、これは俺の初恋だった。

 それは今も変わらない…

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