第35話:水面を駆ける者たち


「アニー!!!」

 

 甲板に立つミリアリアの金髪が風に舞い、彼女の叫びが波間に響き渡る。

 その声は、切迫と焦燥、そして何よりも――抑えきれない不安に満ちていた。


 空中では、茶髪の少女アニーを背に乗せたグリーが、水の精霊の鋭い水刃を紙一重でかわし続けていた。水飛沫が陽光を反射し、空に煌めく虹を描くが、それはまるで命の綱渡りを彩る皮肉な演出のようだった。


「ちょっと!ミリアリア!このままじゃ!!お母さんがやられちゃう!!」


 銀髪を風に靡かせ、メグーがミリアリアに詰め寄る。その瞳は揺れ、焦燥と怒りが入り混じった感情が滲んでいた。彼女の視線は空を舞うアニーに釘付けで、今にも駆け出しそうな勢いだ。


「お母さん…」

「っ…」


 アニーとグリーは、見事に水の精霊を船から引き離していた。だがそれは同時に、仲間たちの支援の射程からも外れてしまったことを意味する。船を動かすには精霊を退けねばならず、だが精霊を退けるにはアニーを助けねばならない――


 その矛盾が、皆の胸を締めつけていた。


「…ただ、眺めていることしかできぬのか」


 ミリアリアは唇を噛み、白い拳を震わせる。

 その横顔には、船長としての責任と、仲間を救えぬ無力さが交錯していた。


 その時――


「あ、あの!!」


 地味な服装のケビンが、声を裏返しながら叫んだ。


「み、水の精霊にスキルが使えます!!」


 その言葉に、メグーの顔がぱっと明るくなる。


「本当!?」

「は、はい!!…アイテム名は…『水精のジュレ・ドーム仕立て』、『水精の氷結カルパッチョ』、『水精の蒸し雲丹と氷花の吸い物』の3つから選べます!!」


「どれでもよい!!!」

「ケビン!!早くして!!」

「あ、はい!!」


 ケビンは慌ててスキルを発動しようとするが――


「だ、ダメです!!!どれもアニーさんの許可が要ります!!」


 その瞬間、ミリアリアの瞳が見開かれ、声が鋭く空を裂いた。


「アニー!!戻ってこい!!!」


 だが、彼女の声は届かない。

 アニーは今も、精霊の猛攻を必死にかわし続けていた。


「ミリアリア!」

「メグー?」


「私とケビンで!!お母さんに近寄るわ!!」

「馬鹿を言うな!!どうするつもりだ!?」


「…水に…私達は沈まない!!歩ける!!」

「な、いや…待て!!」

「何!?」

「ならば、船を縛り付ける水の鎖を解き放つことはできぬのか!?」

「それは無理!!」

「なぜだ!?」

「…今の体内の魔力じゃダメ!あいつの支配を受けていない水なら…魔力が持つはず!時間がない!!行くわ」


 その言葉と共に、メグーとケビンの身体から、淡い水色の光が立ち上る。まるで水そのものに祝福されたかのように、彼らの存在が水との調和を始める。


 それは、魚や水龍などが水に適していることに違和感を覚えるほど、自然に、静かに水と調和している。ミリアリアは言葉を失い、ただその光景を見つめる。その隙に、メグーはケビンの腕を掴み、軽やかに跳躍した。


「おわ!!」

「ほら!行くわよ!!」

「ちょ、ちょ!!ちょぉおおお!!!」


「待たんか!!メグー!!」


 ミリアリアの制止を振り切って、船上から水面へと落ちていく二人。ミリアリアは思わず身を乗り出すが、その手は空を掴むだけだった。


「メグー!!!」


 だが次の瞬間、奇跡が起きる。水面に触れた二人の足が、沈まない。まるで大地を踏みしめるかのように、しっかりと立っていた。


「う…うん?あれ?」

「ほら!!いくわよ!!」

「え、あ!!はい!!」


 メグーとケビンは水面を駆け出す。

 その姿は、まるで神話の英雄のようだった。


「お母さん!!!」


 その声に、アニーはグリーの背から下を覗く。

 そこには、銀髪をなびかせるメグーと、必死に走るケビンの姿があった。


「メグーちゃん!!ケビンさん!!」


『…馬鹿な。やはり、水を直接…その性質を操っているのか。だが、構わん。水よ…その性質を戻せ』


 水の精霊の声が、空気を震わせる。

 しかし、精霊の声に、水は耳を貸す様子を示さない。


『なぜ、沈まないのだ…水よ…我の命に従え…』


 精霊の視線は水面を走るメグーとケビンに釘付けである。そして、その声には、明らかな動揺が滲んでいた。


『水が言うことを…聞かない…なぜだ…ダメだ…私よりも…権限が?馬鹿な…馬鹿な…馬鹿な…』


 精霊の姿が揺らぎ、両手で頭を抱え、苦悩するように体を前後に揺らし始める。その隙を、メグーとケビンは見逃さなかった。


「お母さん!!!許可して!!」

「許可…」

「アニーさん!!お願いします!!」


『馬鹿な…馬鹿な…私以上の権限だと…』


 メグーとケビンの叫びに、アニーは即座に意図を理解し、ケビンに向かって叫ぶ。その対象である水の精霊はぶつぶつと何かを呟き続けており、まるで放心状態であった。チャンスはまさに今だ。


「許可します!!!」

「はい!!」


『それでは…まるで…』


 次の瞬間、水の精霊のつぶやきが途切れ、その全身が白煙に包まれると、軽快な音と共に、空中に水色の杯が現れる。その上には、ぷるぷると揺れるドーム状の物体――まるで宝石のように美しい料理が乗っていた。

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