第三話 祝宴の断罪
その日は、皮肉なほどに晴れ渡っていた。
都内でも有数の高級レストラン。そのメインホールは、きらびやかな装飾と高価な生花の香りで満たされていた。
「美咲さんの再出発を祝う会」。表向きはそう銘打たれたパーティだが、実質は美咲と新堂の婚約発表会であり、同時に俺、高村聡の「公開処刑場」でもあった。
俺は指定された席――会場の隅、まるで罪人が座るかのようなパイプ椅子に腰を下ろしていた。周囲の視線が痛いほど突き刺さる。
「あれが、例の旦那?」
「よく来れたわね。恥知らずな」
「美咲ちゃんをあんなに追い詰めて……」
ヒソヒソという囁き声が、さざ波のように広がっていく。参列者は五十名ほど。美咲の両親、親戚、共通の友人。そして新堂の会社の同僚や上司と思われるスーツ姿の男たち。
彼らの目には、俺は「DV加害者のモンスター」として映っている。美咲と新堂が丹念に作り上げた虚像だ。
ステージには、純白のドレスに身を包んだ美咲と、タキシードで決めた新堂が立っていた。
スポットライトを浴びる二人は、まるで物語の主人公のようだ。
新堂がマイクを握り、朗々とした声でスピーチを始めた。
「本日はお忙しい中、私たちのために集まっていただき、ありがとうございます。美咲さんは、長い間、暗いトンネルの中にいました。信頼していたパートナーからの裏切り、暴力、そして言葉による虐待……。彼女の心は、粉々に砕かれる寸前でした」
新堂の芝居がかった口調に、会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえる。特に美咲の母、かつての義母は、ハンカチで顔を覆って泣き崩れそうになっていた。
「しかし! 私は誓いました。彼女を必ず守り抜くと。地獄から救い出し、本来あるべき笑顔を取り戻させることこそが、私の使命だと!」
新堂が高らかに宣言すると、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
美咲が潤んだ瞳で新堂を見上げ、マイクを受け取る。
「……皆さん、ご心配をおかけしました。本当に、辛い日々でした。自分が悪いんだって、ずっと自分を責めて……でも、裕也くんが手を差し伸べてくれて、やっと気付いたんです。私は、幸せになっていいんだって」
震える声、今にも折れそうな儚げな姿。
完璧だ。アカデミー賞ものの演技だった。
俺は無表情のまま、その茶番劇を見つめていた。胸ポケットのスマートフォンが微かに振動する。探偵の黒田からの合図だ。
『準備完了。いつでもいける』
俺はポケットの中で、画面を一度タップした。
それが、終わりの始まりだった。
「さて、今日はここで一つのケジメをつけたいと思います」
新堂の声が一段と低くなった。
「この会場には、美咲さんを苦しめた張本人、高村氏も来ています。彼には、皆さんの前で謝罪をし、二度と彼女に近づかないと誓約していただきたい」
会場の空気が凍りついた。全員の視線が、一斉に俺に集中する。憎悪、軽蔑、憐れみ。
新堂が手招きをする。まるで、飼い犬を呼びつけるかのように。
「さあ、高村さん。こちらへ。あなたの口から真実を語ってください」
俺はゆっくりと立ち上がった。
足取りは重くない。むしろ、羽根が生えたように軽い。
静まり返った会場を、俺はステージに向かって歩を進める。コツ、コツ、という靴音がやけに大きく響いた。
ステージに上がると、新堂が勝ち誇った笑みを浮かべてマイクを差し出してきた。その瞳は「さあ、土下座しろ」と語っている。美咲は俺の顔を見ようともせず、新堂の背後に隠れて震えるふりを続けている。
俺はマイクを受け取った。
ずしりと重いその金属の塊は、断罪のハンマーのように感じられた。
「……ご紹介にあずかりました、高村です」
マイクを通した俺の声は、自分でも驚くほど冷静だった。
「今日は、美咲と新堂くんのために、これだけの人が集まってくれたこと、夫として……いや、元夫として感謝します」
「早く謝れよ!」
客席から野次が飛ぶ。新堂の同僚だろうか。
「ええ、謝罪します。私は、とんでもない勘違いをしていました」
俺は一度言葉を切り、会場を見渡した。そして、視線を新堂と美咲に戻す。
「君たちが、ここまで愚かだとは」
「……は?」
新堂の顔から笑みが消えた。
俺は振り返り、ステージ後方の巨大なプロジェクタースクリーンを指差した。
「新堂くん。『真実を語れ』と言いましたね? その提案、喜んで受け入れましょう。ただし、語るのは僕の口からではない。君たち自身の声で語ってもらう」
俺が指を鳴らすような仕草をした瞬間、会場の照明が落ちた。
そして、スクリーンに映像が映し出された。
それは、幸せな二人の生い立ちムービーではない。
薄暗いリビングで、ワイングラスを片手に笑い転げる二人の姿だった。
『ギャハハ! 見てよこれ、マジでアザに見える!』
『だろ? 俺、美術の成績良かったからさ。これで「突き飛ばされた」って言えば、医者も騙せるって』
会場に、新堂と美咲の笑い声が大音量で響き渡る。
映像の中の美咲は、今の儚げな様子とは似ても似つかない、下品な笑顔で自分の腕を見せびらかしていた。その腕には、新堂の手によって紫色のアイシャドウが塗られている。
「な……!?」
新堂が息を呑む音がマイクに入った。美咲が悲鳴のような声を上げて口元を押さえる。
客席がざわつき始めた。
「え、何これ?」
「メイク? 嘘でしょ……?」
映像は切り替わる。今度は、ソファで抱き合いながら作戦会議をする二人だ。
『ねえ、聡の貯金、あとどれくらい抜ける?』
『慰謝料ガッポリ取るから大丈夫だって。あいつ、真面目だから言えば出すよ。「怖がってるから金で解決したい」って思わせればチョロいもんさ』
『やっぱり裕也くん頭いい! 愛してる!』
『俺もだよ。あんなつまんない男、早く社会的に殺して、二人で幸せになろうぜ』
決定的な言葉。「社会的に殺して」。
会場の空気が、困惑から戦慄へと変わった。
DV被害者と、彼女を救った英雄。その感動的な物語が、音を立てて崩れ去っていく。
美咲の両親が、信じられないものを見る目でスクリーンを見つめている。義母はその場に崩れ落ち、義父は口をパクパクとさせて言葉を失っていた。
「や、止めろ! 止めろオオオ!」
新堂が絶叫し、スクリーンの電源コードを引き抜こうと走り回る。だが、映像は止まらない。俺が雇ったハッカーが、会場のシステムを完全に掌握しているからだ。
さらに、追い打ちがかかる。
会場にいる全員のスマートフォンが、一斉に通知音を鳴らした。
ピコン、ピコン、ブブブブ……。異様な音がホールに満ちる。
俺が事前にリストアップしておいた連絡先――ここにいる全員に、一斉送信メールが届いたのだ。
「な、なんだこれ……」
「LINEの履歴?」
「うわ、最低……」
送られたのは、二人が不倫関係を結び、俺を陥れる計画を練っていたLINEのスクリーンショット数百枚。そして、さらに致命的な「別件」の証拠だ。
「おい、新堂!」
客席の前方に座っていた、貫禄のある初老の男が立ち上がった。新堂の上司、不動産会社の部長だ。彼は真っ赤な顔でスマートフォンを握りしめている。
「このデータはどういうことだ! 横領の証拠だと!?」
メールには、新堂が会社の経費を不正利用し、美咲へのプレゼントやホテル代に充てていた裏帳簿と、俺が解析した通信ログが添付されていた。
新堂の動きが止まった。顔色が土色になり、脂汗が吹き出す。
「ぶ、部長、違うんです! これは……これは捏造です! 今流行りのAIですよ! ディープフェイクってやつです!」
新堂は必死に叫んだ。
「あいつはシステムエンジニアなんです! パソコンでこういう偽造を作るのが得意なんですよ! 騙されないでください!」
「往生際が悪いぞ、新堂」
俺は冷たく言い放った。
「AIで、君の会社のサーバーに残っているアクセスログまで偽造できると思うか? そのデータは、君が僕の家のWi-Fiを使って会社のシステムに侵入した時のものだ。IPアドレスも、端末情報も、すべて記録されている。警察が調べれば一発で分かることだ」
論理的な詰み。
新堂は膝から力が抜けたように、その場へへたり込んだ。
隣では、美咲が「嫌、嫌、見ないで」と頭を抱えてしゃがみ込んでいる。
「嘘よ……みんな、信じて……私は被害者なの……聡くんが、聡くんが私を殴ったの……」
美咲はまだ、壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返している。だが、先ほどまでの同情的な視線はもうどこにもない。
かつての友人たちは、汚いものを見るような目で彼女を見ていた。
親族席からは、怒号と悲鳴が入り混じったような声が聞こえる。
「恥を知りなさい!」
「なんてことをしてくれたんだ!」
美咲の実家は、地元でも名家として知られている。親族一同の前で、娘が不貞と詐欺、そして夫を罠に嵌めた事実が暴露されたのだ。その社会的ダメージは計り知れない。
俺はステージの端に立ち、混沌とする会場を見下ろした。
これが、俺が味わっていた地獄だ。
身に覚えのない罪を着せられ、周囲から白い目で見られ、居場所を奪われる感覚。それを今、彼らは数倍の規模で味わっている。
だが、不思議と胸がすくような快感はなかった。あるのは、ただ重苦しいほどの「虚無」と、やるべきことをやり遂げたという「疲労感」だけだった。
「……高村くん」
震える声で呼び止められた。見ると、義父――美咲の父が、ふらふらとステージに近づいてきていた。その顔は数分前とは別人のように老け込み、涙で濡れている。
「すまなかった……本当に、すまなかった……!」
義父は床に手をつき、土下座をした。
「君を信じてやれなかった。娘の嘘を……こんな、こんな馬鹿げた嘘を信じて、君を罵倒してしまった……!」
俺は静かに義父を見下ろした。怒りはなかった。だが、許すつもりもなかった。
「頭を上げてください。もう、他人ですから」
その一言は、どんな罵倒よりも鋭く、義父の心に突き刺さったようだった。彼は声を上げて泣き出した。
俺はマイクを演台に置いた。
ゴト、という乾いた音が、ショーの終わりを告げる。
「美咲、新堂くん」
俺は最後に、へたり込む二人に向けて声をかけた。
二人がビクリと肩を震わせて顔を上げる。その表情は、恐怖と絶望に歪んでいた。
「婚約、おめでとう。お似合いだよ、君たちは」
それだけ言い残し、俺は背を向けた。
「待って! 聡くん、待って!」
背後から美咲の叫び声が聞こえた。
「違うの、私は騙されてたの! 裕也くんが無理やり……! 私、聡くんのこと愛してるの! お願い、捨てないで!」
見苦しい命乞い。
自分の保身のために共犯者を売り、あれほど侮辱していた夫にすがりつく。その醜悪さに、俺は吐き気すら感じなかった。ただ、哀れだと思った。
俺は一度も振り返ることなく、会場の出口へと歩いた。
背後では、新堂が部長に胸倉を掴まれている怒声と、美咲が母親に頬を張られる乾いた音が響いていた。
重厚な扉を開け、ホールの外に出る。
外の空気は、中とは対照的に澄んでいて、冷たかった。
俺は大きく息を吸い込み、そして吐き出した。
肺の中に溜まっていた澱が、すべて外に出たような気がした。
「……終わったな」
スマートフォンの画面を見る。
探偵の黒田から『お疲れ様。完璧だった』というメッセージと共に、動画サイトのURLが送られてきていた。
『会場の様子、ライブ配信しておいたから。アーカイブも残るよ』
俺は苦笑した。黒田も性格が悪い。
この動画は瞬く間に拡散されるだろう。「DV冤罪をかけた妻と間男の末路」として。
ネットの海に放たれた事実は、二度と消すことはできない。彼らはこの先、どこへ逃げようとも、このデジタルタトゥーを背負って生きていくことになる。
俺はタクシー乗り場へと向かった。
これからの手続きは弁護士に任せてある。慰謝料請求、財産分与、そして新堂への損害賠償請求。徹底的に、最後の一円まで絞り取るつもりだ。情けはかけない。それが彼らへの、せめてもの「誠意」だからだ。
タクシーに乗り込み、シートに身を沈める。
「どちらへ?」
運転手の問いかけに、俺は少し考えてから答えた。
「……海へ。少し、遠くへ行きたいんです」
窓の外を流れる東京の街並みは、いつもと変わらず煌びやかだ。
だが、俺の目には、昨日までとは全く違った景色として映っていた。
自由だ。
傷つき、裏切られ、すべてを失いかけたが、俺は自分の手で自分を取り戻した。
その事実は、これからの人生を歩む上で、何よりも強い糧になるはずだ。
俺は目を閉じ、エンジンの振動に身を委ねた。
長く、苦しい戦いが、今ようやく幕を閉じた。
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