第35話 沈黙を選ぶ者が、評価される日


オフィス・午前。

月例の評価フィードバックが始まる日。

フロアは、

いつもより静かだった。

誰もが、

自分の席で

画面を見つめている。

佐伯ミナは、

通知を開かない。

順番が来るのを、

ただ待つ。

――先に呼ばれたのは、

別の名前だった。

会議室。

評価面談。

上司

「今期、

 とても安定してたね」

社員

「ありがとうございます」

上司

「トラブルもなかったし、

 現場を

 よく見てくれてた」

社員

「……いえ」

上司

「特に、

 余計な波風を

 立てなかったのが

 良かった」

その言葉に、

社員は

小さく笑った。

社員

「気づかないように

 してましたから」

上司

「それが、

 大事なんだよ」

評価は、

上向いた。

――同じ日。

同じ部署。

佐伯ミナの面談。

上司

「是正案件、

 助かりました」

佐伯

「業務です」

上司

「ただね……」

一拍。

上司

「今期は、

 少し

 評価を

 下げました」

佐伯

「理由を

 お願いします」

上司

「周囲への影響が

 大きい」

佐伯

「内容に

 誤りは

 ありましたか」

上司

「……ない」

佐伯

「規程違反は」

上司

「……ない」

佐伯

「結果は」

上司

「是正されています」

沈黙。

上司

「……でも、

 場が

 荒れた」

佐伯

「“荒れた”とは、

 どの状態を

 指しますか」

上司

「……空気だよ」

佐伯

「評価基準に

 空気は

 含まれていますか」

上司

「……佐伯さん」

上司

「評価って、

 数字だけじゃ

 ないんだ」

佐伯

「承知しています」

佐伯

「では、

 沈黙を選んだ場合、

 評価は

 どうなりますか」

上司は、

一瞬だけ

視線を逸らす。

上司

「……安定する」

佐伯

「理解しました」

それ以上、

佐伯は

聞かない。

――面談後。

給湯室。

田中が、

紙コップを

持ったまま

立っていた。

田中

「……聞きました」

佐伯

「何をですか」

田中

「評価」

佐伯

「はい」

田中

「……俺、

 ちょっと

 上がりました」

佐伯

「理由は」

田中

「……特に

 何もしなかったから」

田中は、

自嘲気味に

笑う。

田中

「問題、

 見えてたんですけど」

田中

「黙ってました」

佐伯

「それが、

 合理的です」

田中

「……え?」

佐伯

「組織において、

 沈黙は

 最も

 コストが低い」

田中

「……じゃあ」

田中

「正論って、

 損ですか」

佐伯

「短期的には」

即答。

佐伯

「長期的には、

 組織が

 損をします」

田中

「……でも」

田中

「評価されるのは、

 今ですよね」

佐伯

「はい」

二人の間に、

短い沈黙。

田中

「……正直」

田中

「黙ってる方が

 楽です」

佐伯

「否定しません」

田中

「……え?」

佐伯

「沈黙は、

 戦略です」

佐伯

「そして、

 評価されやすい」

田中

「……それでも」

田中

「佐伯さんは

 言う」

佐伯

「はい」

田中

「……なんで」

佐伯

「それが、

 私の

 役割だからです」

田中

「役割……」

佐伯

「評価のために

 働いていません」

佐伯

「基準のために

 働いています」

――夕方。

フロアの端で、

先ほどの社員が

同僚に言う。

社員

「今期、

 楽だったな」

社員

「何も

 起きなかったし」

その背中を、

佐伯は

見ない。

――ナレーション

沈黙は、

賢い選択だ。

問題を

見ないことで、

自分を

守れる。

正論は、

コストが高い。

時間を使い、

空気を壊し、

評価を

下げる。

だから、

沈黙を選ぶ者が

評価される日が

来る。

ここは、コミュニケーション許可局。

佐伯ミナは今日、

何も言わない選択が

最適解である世界を、

正確に理解した。

それでも、

沈黙を

選ばなかった。

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