第3話:デジタル戦略係、始動
旧姥捨小学校は、役場から徒歩五分の場所にある木造校舎だ。十年前に廃校となり、今は農機具の倉庫や、村の集会所として使われている。夜の校舎は、控えめに言って「出る」雰囲気で満たされていた。廊下を歩くたびに、ミシミシと床板が悲鳴を上げる。
「……デジタル戦略係、か」
片桐はスマホのライトを頼りに、三階の視聴覚室の前までたどり着いた。ドアには『使用禁止』の張り紙があるが、その上から雑な手書きで『入室時はノックすること(絶対)』と書かれたメモが貼られている。片桐は襟元を正し、コンコン、と二回ノックした。返事はない。もう一度、今度は強めに叩く。やはり返事はない。
「失礼します。役場総務課の片桐です」
ドアを引くと、重たい音と共に隙間が開いた。中から漏れ出してきたのは、カビ臭い空気と、青白いLEDの光だった。
広い教室の中央に、段ボールで作られた要塞があった。その中心で、複数のモニターに囲まれて座る人影がある。グレーのパーカーを深く被り、膝を抱えて丸まっている小柄な人物。モニターの光が、その横顔を青く照らしていた。
「あー……こんばんは」
片桐が声をかけると、パーカーの人物がゆっくりと振り返った。長い黒髪の隙間から、大きな瞳が片桐を捉える。感情の一切が読み取れない、ガラス玉のような瞳だった。彼女は無言のまま、片桐をじっと見つめ、それから手元のスマホを操作した。そして、その画面を片桐に向けた。
『 誰 』
画面には、極太のゴシック体で一文字だけ表示されていた。
「あっ、申し訳ありません。本日付けでデジタル戦略係を命じられました、片桐守と申します。あなたが、淀木リムさんですね?」
リムと呼ばれた彼女は、小さく頷いた。そして再びスマホを操作する。
『 帰れ 』
「そう言われましても、業務命令でして。村長から、あなたと協力して動画を作成しろと……」
リムは深くため息をついた。その仕草だけで「面倒くさい」という感情が痛いほど伝わってくる。彼女は立ち上がると、片桐の目の前まで歩み寄ってきた。身長は片桐の肩ほどしかない。彼女はポケットから小型のカメラを取り出し、レンズを片桐に向けた。録画ランプが赤く点滅する。
「え? 撮ってるんですか? ちょっと、許可なく肖像権を侵害するのは……」
片桐が慌てて手で顔を隠そうとすると、リムは素早く回り込み、ローアングルから片桐を煽るように撮影した。そして、スマホを突きつける。
『 何か面白いことして 』
「公務員に何を求めているんですか! 面白いことなんてできません! 私はただ、村の広報活動として、姥捨村の美しい自然や、特産品の魅力を……」
片桐は熱弁を振るい始めた。村の棚田がいかに美しいか。村のお婆ちゃんたちが漬ける野沢菜がいかに絶品か。そして、地方自治法がいかに美しい法律であるか。リムは無表情のまま、その暑苦しい演説を撮影し続けた。三分後。彼女は撮影を止め、カメラとパソコンをケーブルで繋いだ。キーボードを叩く音が、機関銃のように室内に響き渡る。タタタタタタタタッ! ッターン!
「あの、聞いてます? まずは企画書の作成から始めないと……」
リムが椅子を回転させ、片桐の方を向いた。モニターを指さす。そこには、たった今アップロードされたばかりのYouTube動画が表示されていた。タイトルはこうだ。
『【悲報】田舎の公務員、法律を語りながら発狂する』
「はあああああ!? なんですかこのタイトルは! 品位もへったくれもない!」
片桐が抗議しようとした時だった。動画が再生された。画面の中の片桐は、早回しでコミカルに動き、背景には間抜けなBGMが流れている。『村の自然が!』と叫ぶシーンには、効果音と共に『※必死』というテロップ。『地方自治法が!』と目を剥くシーンには、画面全体が赤くなり『警報:コンプラお化け出現』の文字。そして最後は、片桐が息切れして「ハァハァ」言っている顔のアップで唐突に終わっていた。
「……なん、だこれは」
酷い。あまりにも酷い。しかし、不思議と目が離せないテンポの良さがあった。片桐が呆然としている間に、モニターの端にある数字が動いた。
視聴回数:1
視聴回数:15
視聴回数:102……。
「え?」
数字は見る見るうちに増えていく。コメント欄に文字が流れる。『なんだこいつw』『公務員ってこんな必死なのか』『目がガチすぎて草』『後ろの廃校怖すぎ』
リムが片桐を見上げた。その口元が、ほんの数ミリだけ、ニヤリと吊り上がったように見えた。彼女はスマホを掲げた。
『 採用 』
姥捨村役場、デジタル戦略係。その記念すべき第一歩は、総務課のエース・片桐守の社会的な尊厳を犠牲にして踏み出されたのだった。
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