第4話:公務員の悲哀と数字

翌朝。


片桐守が出勤すると、役場の空気が変だった。 いつもなら「おはよう」と挨拶が返ってくるはずの玄関ロビーで、すれ違う職員たちが、片桐の顔を見るなりプイと目を逸らす。そして、すれ違いざまにヒソヒソと囁くのだ。


「……見た? 昨日のあれ」


「見た見た。総務の片桐さんでしょ? あんな『壊れ方』するなんてねぇ」


「ストレスかしら。真面目な人ほど、ねぇ」


針の筵(むしろ)とはこのことだ。


片桐が青ざめた顔で自分の席に着くと、売店の豆蔵サチコがお茶を配りにやってきた。 彼女は湯呑みを置く際、小声で言った。


「片桐ちゃん、大変だったわねぇ。あの動画、隣町の婦人会でも話題になってたわよ。『姥捨村の役場には、ハンコに取り憑かれた妖怪が出る』って」


「よ、妖怪……!? まだアップされてから十二時間しか経ってないんですよ!?」


「あら、田舎の噂話(口コミ)を舐めちゃだめよ。光回線より速いんだから」


サチコは「うふふ」と不吉な笑いを残して去っていった。


片桐は震える手でスマホを取り出し、昨夜の動画を確認した。 再生回数は『12,400回』。


たかが一万回。だが、人口四百八十人の村にとっては天変地異に等しい数字だ。 コメント欄には『公務員の悲哀を感じる』『この必死さは演技じゃ出せない』といった同情と嘲笑が入り混じっていた。


「……おはよう、スター」


背後から声をかけられた。 厳密に言うとそれは人の声ではなく、スマホが発した擬似音声だった。 振り返ると、昨夜と同じパーカー姿の淀木リムが立っていた。手にはコンビニのおにぎりを持ち、目は眠そうだ。


「リムさん! どうしてくれるんですか! 私の社会的な信用は失墜しました。地方公務員法第三十三条違反で懲戒処分ですよ!」


リムは無表情でおにぎりを齧りながら、スマホの画面を突きつけた。


『 収益化まで あと99万人 』


「気が遠くなるわ! それに、あんな動画は一発屋で終わりです。次はどうするんですか。まさか、また私を晒し者にする気じゃ……」


リムは首を横に振った。 そして、スマホに新しい文字を表示させた。


『 仲間(手駒)が必要 』


「手駒って言いました? 今、手駒って」


リムは無視して、片桐の腕を掴み、強引に席から立たせた。 彼女の指差した先は、庁舎の一階奥にある「建設課」だった。

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