本当に月が綺麗な時は何といえばいいんだろう

宗像律

本当に月が綺麗な時は何といえばいいんだろう

「月が綺麗ですね」


 もし、綺麗な月を見た時に変な意味ではなくて、本当に月が綺麗だということを伝えたいときはどうすればいいんだろう。


 部屋の窓から、夜空に浮かぶ綺麗な満月を眺めていた真矢の頭に、そんなくだらない疑問が浮かんできた。


「夏目漱石はひどい奴だ」


 本来は特段意味のないこの言葉を、「I LOVE YOU」の訳語として使ってしまった。

 そんな夏目漱石に真矢は軽い怒りを覚えた。


 夏目漱石のせいで後世の人間が軽々しく「月が綺麗ですね」と、言えなくなってしまった。そんな今の世の中に愚痴をこぼした。


 もし、好きな人と一緒に外を歩いている時にこの言葉がふと口からこぼれてしまったらどうなるのか。

 ほとんどの人はこの言葉に告白としての意味が含まれていることを知っている。

 というより知ってしまっている。


 だから、こんなことを好きな人の前で不意に言ってしまいでもしたら、相手が疑ってしまってもなんらおかしくない。


 この時代において、月が綺麗であることを好きな人の前で安易に言えなくなってしまった。そんなことをベッドに寝ころびながら真矢は思った。

 好きな人が傍にいて、本当に月が綺麗だということを無性に言いたくなったときはどう言えばいいのか。


「変な意味じゃなくて今日の月綺麗だよね?」


 いやいや、こんな言い方をした方が尚更怪しまれる。


 あなたのことが好きなんですが、今私が言っているのはあなたに対する告白ではなくて、純粋なそのままの意味としての今の気持ちを表すものです。そう言っているようなものだ。


 片思いの相手にわざわざ親切にあなたのことが好きです、というのを確信をもって言う羽目になってしまう。


 じゃあどうすればいいのか


 そもそも好きな人がいる前で、綺麗な満月が浮かぶ夜空の下で、月を見上げる時が来るのか。


 そんな状況にある時点で、すでにロマンチックな雰囲気がムンムンであるのに、それに気づきもせず軽々と月が綺麗だなんて言ってしまうものだろうか。

 くだらない心配が止まらない真矢はベッドに寝ころび、腕を頭の後ろで組みながら深刻そうに考えている。


 考えれば考えるほどに夏目漱石が憎らしくなってくる


 夏目漱石がいた時代に英語を理解していた人はあまり多くはいなかったであろう。いくら夏目漱石がI LOVE YOUを月が綺麗ですねと訳そうが、I LOVE YOUという言葉を知らなければ端から気にする必要がない。


 結局、夏目漱石は自分の都合のいいように告白の言葉を解釈して、悦に浸っているだけなんだ。真矢はこんなひねくれた物の考え方しか出来なかった。


 真矢にとってとてつもなく重要なこのくだらない疑問の答えを見つけ出すために、同じクラスの三郎に相談することにした。


 次の日の朝、真矢のクラスには一番乗りの三郎が一人、椅子に座ってボーッとしていた。朝の教室に一人でただボヤッとしながら過ごす時間が好きな三郎は、いつも一番に教室に着く。そして、いつもその次に真矢が教室に入る。


 教室のドアを開けた真矢は、三郎にこの重大な議題についての意見を聞くことにした。


「おい」

 教室に入ると同時に、おはようの一言も言わず、椅子に座る三郎に真矢は話しかけた。


「大事な話がある」

 深刻そうな顔で三郎に話しかける真矢であるが、三郎自身はすでに面倒臭そうである。


「なに?」


「夏目漱石の言葉で月が綺麗ですねってやつあるだろ?あれの意味何かわかるか?」

 一応、三郎が月が綺麗ですねの裏の意味を知っているのか確認をした。


「あー、好きですって意味でしょ?それ」


「その通り」

 偉そうに腕を組み、首を縦に振りながら真矢は続ける。


「その、月が綺麗ですねって言葉。本当に月が綺麗って伝えたい時はどうすればいいと思う?」

 あまりにもくだらない質問を真面目に聞いてくるものだから、三郎は笑うというよりも呆れた様子である。


「は?なんだそれ」


「なんだそれじゃねぇよ。これは一大事なんだ。お前はわかってるのか?夏目漱石のせいで軽々しく月が綺麗だなんて言えなくなったんだぞ?」


 どうやらスイッチが入ってしまった真矢は、肝心の三郎を無視する勢いで夏目漱石の批判を始めた。


「夏目漱石はどんな歴史上の人物よりもひどい奴なんだ。あいつのせいで何の意味もなかった言葉に意味が生まれてしまったんだ。その結果、今を生きる俺たちが肩身の狭い思いをしてるんだぞ」


「それに……」


 真矢の批判は止まらない。


「大体、なんでI LOVE YOUの日本語訳が月が綺麗ですねなんだよ。月が綺麗なことと、その人が好きなことに何の関係があるんだ。あいつ教科書では大々的に取り上げられてるけど、本当はバカなんじゃないのか?」


「いや、お前の方がバカだよ」

 どうでもいいことを長々と話す真矢に、三郎が見下すように答える。


「いいや、俺と同じ意見のやつは他にもいっぱいいるはずだ。お前にはわかんないだろうけど」

 真矢も三郎を見下すように反論する。真矢に見下されようがどうでもいい三郎は、とりあえず「うんうん」と面倒くさそうに首を縦に振って頷く。


「そもそも、なんでそんなこと急に言い出すんだよ」

 なぜこんな事にここまで真剣になれるのか、純粋に不思議に思った三郎が真矢に聞いた。


「昨日、満月を見てたらふと思ったんだよ。でもそうだろ?今まで俺たちが夏目漱石の意地悪さに気付けて無かっただけなんだよ」


「俺たちじゃなくてお前な?」

 勝手に仲間に巻き込まれた三郎は、咄嗟に「俺は違う」と突き返す。真矢の勝手な妄想だろ、と。


「そもそも、好きな人と綺麗な月の下を歩くなんてそうそうないだろ。そんな状況で一緒に居れるような関係性ならそもそも気にする必要なんか無くない?」


 そもそもの話の前提に疑問を感じた三郎が、真矢の論理の隙を突くように指摘する。


「だからこそなんだよ」待ってましたと言わんばかりに真矢は反論する。


「確かに、お前の言う通りそんなロマンチックな状況で好きな人と二人きりでいるなんてことはそうそうないだろう」


「だからこそ、そんな時にふと月が綺麗だねなんて言ってしまったらどうなる?ただでさえいい雰囲気なのに、その言葉に何の意味もないと相手が考える訳がないだろ」


 真矢のくだらない論理に少し納得してしまった三郎は悔しそうに、「うーん」と唸る。


 このままだと真矢に負けた気がして悔しい。そう感じた三郎は、「てか、お前好きな人いるの?」と真矢に聞いた。


 こんなことを考えるということはきっと真矢に好きな人ができたんだろう。三郎はそう思った。実際、真矢に好きな人がいるのは三郎も薄々、いや、はっきりわかっていた。


「は?いないよそんなの!」

 明らかに焦った様子で返事をする真矢であるが、その顔は既に真っ赤である。


「図星じゃん」

 思った通りと言わんばかりの三郎は、勝ち誇ったような笑顔で真っ赤になっていく真矢の顔に語り掛けた。


「いやっ……」

 真矢が反論しようとしたその時、朝のチャイムが鳴った。強制的に反論の機会を奪われた真矢は、不満そうに自分の席に戻っていった。


 朝の会が終わって先程言い残した反論をしようと、真矢は三郎の席にまたも近づいて行く。


「好きな人とかいないから。俺は単純に疑問に思ったからそう言ったんだよ」

 朝の会のうちに何とか赤らむ顔を元に戻した真矢は、不機嫌そうに三郎に言い放った。


「里奈でしょ?」

 三郎が真矢を無視するようにして話した。突然の三郎の一言に、せっかく元に戻った真矢の顔がまた真っ赤に染まってしまった。


「なんで知ってるの?あっ……」

 あまりに急な一言に、真矢は咄嗟に声が出てしまった。三郎に自分の好きな人が当てられてしまったと同時に、それを認めてしまった。真矢はもう誤魔化せなくなった。


「誰にも言うなよ?」

 真っ赤に染めあがった顔を三郎の耳元に寄せて小声で頼み込む真矢に、三郎は満面の笑みである。


「はいはい」

 完全に真矢の上に立った三郎は、勝ち誇ったような余裕の表情で寛大な計らいを真矢に施す。


 真矢の好きな人を三郎が知っていたのにはいくつか理由がある。


 真矢が好きな「里奈」という人物は、真矢と同じバスケ部に所属するマネージャーで、かくいう三郎もバスケ部に所属している。

 真矢がバスケ部に入ったのは、何を隠そう里奈がバスケ部のマネージャーであったのが理由である。高校に入学して早々に真矢は里奈を廊下で見かけた。一目見た瞬間に真矢は里奈に惚れてしまった。


 そんな時、「あの人は誰だ!」と鬼気迫る様子の真矢が三郎に里奈の名前を聞いてきた時があった。すでにバスケ部に入っていた三郎は、真矢に教えた。すると、真矢は即座に「俺もバスケ部に入る」と言って本当にそのままバスケ部に入部してしまった。


 それからというもの、真矢が里奈にぞっこんであろうというのは傍から見ても明らかであった。しかし、真矢は自分の気持ちが三郎にバレているとは夢にも思っていなかった。


 そもそも、三郎と真矢は小学校からの仲である。地元の小学校、地元の中学校、地元の高校と、真矢と三郎はずっと一緒であった。

 ただでさえ顔に出やすい真矢が、そんな旧知の仲である三郎に里奈への思いを隠すことは端から出来るはずがなかった。


 真矢がバスケ部に入ってからというもの、真矢の様子はガラッと変わっていた。


 それまでは、高校が山の上にあるということから、毎日学校に着いては「坂がきつい」だの、「虫が多い」だの、「電動自転車が欲しい」だの文句を言っていたのが、ある日突如としてピタッと止んだ。


 理由はこれまたわかりやすく、里奈と登下校の道が同じであったからだ。里奈と同じ道を毎日通えるという喜びから、毎日の愚痴が無くなっていった。


 それだけではない


 真矢は部活の時も、練習中にちらちらと里奈の方を見ている。休憩が来ると、それとなく里奈の方に近づいて話しかける。自分から話しかけているくせに顔を赤くしながら恥ずかしがるその真矢の顔は、里奈に対する思いを物語っていた。


 そんな様子を毎日傍で見ていた三郎であるから、真矢が里奈のことを好きなことくらい当たり前の様にわかっていた。


 もうバレてしまったものは仕方がない。真矢は諦めた様子で三郎の顔を見つめている。


「里奈と綺麗な満月の下を一緒に歩いてる想像でもしちゃったのかな?」

 真矢の純粋な男心をくすぐるように、三郎は意地悪な質問をする。


「そんなこと考えてないから」

 怒りながら否定する真矢であるが、真っ赤な顔まではコントロールすることができない。


「だからかぁ」

 なぜ、真矢があそこまでどうでもいい話を真剣に話すのか。その理由がわかった三郎は、すっきりとした様子で頷きながらボソッと呟いた。


「もうバレちゃったんだから」

 前々から知っていたくせに、たった今真矢が里奈のことを好きだということに気付いたという様子で、三郎が真矢の肩を叩きながら励ますように語り掛ける。


「里奈にバレてるかな?」

 自分としては完璧に隠せていたつもりなのに、三郎に里奈のことがバレていた。もしかしたら里奈にもこの気持ちがバレているのではないか。真矢は心配した様子で三郎に聞く。


 もちろん知ってるでしょ。と意地悪な返しをしようかと考えた三郎であったが、さすがに真矢が可哀想だと思ったのか「いや、気づいてないんじゃない?」と思ってもいない嘘をついた。


「そっか」

 三郎の真っ赤な嘘を聞いてほっとした真矢は、その真っ赤な顔と共に高ぶっていた胸をなでおろした。


 そんなわかりやすい真矢の姿も、三郎には面白くてたまらない。ここで笑ってしまうと真矢の怒りが収まらないだろうと、勝手に上がってくる口角を必死に抑える。


 真矢と三郎がこの高校に入学してから半年、真矢の好きな人が三郎にバレてしまってから三か月ほど。すでに、三郎に自分の好きな人がバレてしまっている真矢は、時々三郎に恋愛相談をしていた。


 里奈は自分のことをどう思っているのか、里奈の好きなものは何か、自分が試合で活躍した時はどんな様子であったか。真矢が三郎に聞く内容と言えばこんなものばかりであった。


 真矢はすでに、例の夏目漱石の話を三郎にしていたのを忘れている。


 そんなタイミングで朝学校に着いたばかりの三郎が、以前真矢と例の話をしていたのを思い出した。今度は三郎の方から真矢に聞いてみた。


 いつものように、長い坂道を安いママチャリで一生懸命漕いで汗だくになっている真矢が教室に入ってきた。

 汗を拭きながら水筒を取り出し、キンキンに冷えた水で水分補給をしている真矢に三郎が話しかけた。


「前に話してた月が綺麗だねって話。もし今里奈とそういうシチュエーションになったらどうする?」

 もう三郎には自分の好きな人がバレているというのに、真矢はまたもや顔を真っ赤にして、「なんだよ急に」とキンキンに冷えた水にむせながら答える。


「お前が言い出した話だろ」

 そもそも真矢の方から話出してきたのに、初めてその話を聞いたかのように動揺する真矢に三郎は呆れながら言い返した。


「そんなシチュエーションになるわけないだろ。何言ってるんだお前」


「はっ、お前っ……」

 あれだけ自分で言っていたのに、あまりにぶっきらぼうな真矢の返答に、三郎は言葉が詰まった。誰が言っているんだと思った。


「真剣な話だろ。もしそういう場面に出くわしたらどうするんだよ」

 以前とは完全に立場が逆転して真面目そうに語る三郎に、今度は真矢が合わせるようにして答える。


「もしそんな場面が来ても月が綺麗だねなんて安易に言う訳ないだろ。俺はそう簡単に夏目漱石の罠にはかからねぇよ」

 依然として夏目漱石批判の真矢は、当たり前のことを言うように平然な態度で答える。


「夏目漱石の罠って」


 そこは前と変わっていないのか、と呆れた様子の三郎に、真矢は「今の時代にI LOVE YOUに代わる言葉がいくつあると思ってるんだ?なんでわざわざ月が綺麗だねなんて言うんだよ」


 笑いながら答える真矢に三郎は腹立たしく思った。「何を気にしているんだよ」と、バカにしたような真矢の口調が三郎にそう言っていた。


「もういいよ」

 真面目に話す気がない真矢に三郎は話をするのを止めた。


 数日後、放課後の学校の体育館には、いつものように部活に励む二人の姿があった。


 この日の部活は普段よりも長引いて、すでに日は沈み、外には綺麗な夜空が広がっている。


 練習を終えた二人は、いつものようにダラダラと帰り支度をしていた。着替えを済ました真矢は三郎に一緒に帰ろうと誘う。


「おう」と、三郎が返事をして、いつものように二人は家路につく。でも今日はいつもと少し違う。


 真矢が三郎に声をかけて学校を出た時、ある人が真矢に話しかけてきた。


「あのさ」

 三郎と楽しそうに話をしている真矢の背中に話し掛けてきたのは、里奈であった。背を向けていた真矢には、その声が誰なのかわからなかった。


「んっ?」

 振り向いた真矢は、自分が里奈に話し掛けられたことに気づく。なるべく顔に出ない様に、言葉に出ない様に恥ずかしい気持ちを抑えながら、真矢は里奈に返事をした。


「どうしたの?」

 平然を装っている真矢だが、横にいる三郎には全てバレている。そんな真矢の顔から少し目をそらすようにして、うつむきながら里奈は言葉を続けた。


「一緒に帰らない?」

 少し顔を赤らめながら話す里奈に、真矢は固まってしまった。真矢のあまりの顔の赤さに、普段見慣れている三郎も目を丸くしている。


 必死に顔の赤さを誤魔化そうとする真矢だが、運のいいことに里奈もそれどころではなかった。少し沈黙が続き、真矢がようやく口を開いた。


「うん、いいよ」


 三郎はそっと右足を引いて、一人で帰路についた。


 初めての二人で歩き出したいつもの道は、いつもよりも短くて、迷ってしまいそうなほどに長かった。


 二人が歩き始めてからの最初の会話は真矢からだった。今日の練習は長かったねとか、いつも同じ道通ってるよねとか、どうでもいい話しか出てこなかった。


 対する里奈も、真矢のどうでもいい話に相槌を打って同じようにどうでもいいような話をするばかりである。


 早々に話題が尽きてしまった二人はまた黙ってしまった。互いの顔を見ることなんかできないから、毎日の登下校で見飽きている道端や電柱に目をやる。


そんなことをしてもすぐに見るものがなくなってしまう。目のやり場がなくなってしまった真矢はふと上を見上げた。


 もう夜空くらいしか見るものが無かっただけだったが、普段は見慣れない綺麗な夜空に真矢は少し感傷に浸っていた。


こんなに綺麗だったっけ


 雲一つない綺麗な夜空に浮かぶ満月を見上げて、真矢は純粋にそう思った。満月を見ている間は良い意味で里奈のことを忘れられて、落ち着くことができた。


「月が綺麗だね」


 すっかりリラックスしてしまった真矢の口からポロリとそんな言葉がこぼれた。里奈もそれを言われて「うん」と返事をする。別にその返事には特段の意味は込められていない。


 満月を見上げたままの真矢は、里奈の返事に軽く頷く。軽く頷いて里奈の顔を見た時に、今自分が言ってしまった言葉に気が付いた。

しまった。と思った。


 あれだけ危険視していた言葉を、自分でも気づかずに自然に言ってしまった。ついこの間、三郎にそんなこと言うわけないと言っていたのに。


 そのことに気づいた瞬間、真矢の顔がじわじわと首から赤くなっていった。

 なんで気づいてしまったんだ。


 自分が言ってしまった言葉に後悔するというよりも、その言葉の意味に気づいてしまった自分に後悔した。とはいっても、幸運なことに里奈にはまだ気づかれていない。


 この言葉の裏の意味を知っている三郎もここにはいない。


 ただ、運の悪いことに、そこには顔を真っ赤にした真矢がいる。そんな真矢の顔を見て里奈も不思議がっている。察しのいい里奈は真矢の顔が赤くなっている理由に気づいてしまった。


 夏目漱石の罠にはまるなんて


 あれだけ注意していたのに、まんまと罠にはまっている自分に真矢はとてつもなく腹が立った。いくら頑張っても抑えることのできない顔の赤らみにも腹が立った。


「月、綺麗だね」

 顔の赤さを必死に隠そうとする真矢を横目に、里奈がうつむきながら喋った。


「えっ?」

 なんのこと?とでも言うように、真矢が白々しく返事をする。別に君のことが好きだから月が綺麗と言ったわけじゃない。里奈に勘違いされない様に何とか誤魔化そうと試みる。


「ねっ、綺麗だよね」

 必死に平然を装って、そんな気はないと里奈に見せつけようとするが、声が上がってしまって尚更に怪しくなってしまう。


「それだけ?」

 里奈が不思議がるように真矢に尋ねるが、真矢からしてみればそれだけである。本当の気持ちはそれだけではないが。


 でも、そんなことを言ってしまえば、今の心地良い帰り道が一瞬にして消え去ってしまう。真矢にはそれ以上のことが言えなかったし、勇気が無かった。里奈の言った「それだけ?」がどういう意味なのか。真矢には確信が持てなかった。


しばらくの間、沈黙が続いた。真矢から何か言葉を発することはできなかった。何を喋っても墓穴を掘ってしまいそうな、とにかく何か里奈の方からどうでも良いくだらない話をして欲しかった。


「月が綺麗だね」


 くだらない話を期待していた真矢に、里奈は改めてこの言葉を繰り返した。その言葉からは、月が綺麗なことを伝える以上の意味が込められているように感じた。


  いくら鈍感な真矢でも、二回目のこの言葉の裏の意味には流石に気付いた。


 さっきの言葉はたまたまかもしれない。でもこれは違う。そんなことはわかっていても確認なんかできない。


「ねぇ、それってそういうこと?」

 頭で考えていることと、口に出る言葉が真矢の中で交錯する。自分でも今話している言葉が頭の声なのか、生の声なのか、もはやよくわかっていない。もうやけくそだった。


「そういうことだと思ってたんだけどな」

 里奈が恥ずかしそうに、それでいて割り切ったような声で返事をする。


 そういうことだった。まさかの返事に真矢は固まる。さっきまで真っ赤だった顔も、なぜだかスーッと収まった。かえって冷静になった。


 自分では全くそんなつもりはなかったのに、いつのまにか告白をして成功してしまった。これが成功と言えるのか?正直真矢は未だに確証が持てなかった。が、里奈の一声で背中を押された。


「月が綺麗なんじゃないの?」

 固まったままで動かない真矢に、里奈が恥ずかしそうに聞いてくる。せっかく里奈が覚悟を決めて言ってくれたのに、言い出しっぺの自分が答えないわけにはいかない。


「うん。月が綺麗だね」

 結局、真矢の顔は真っ赤になってしまった。でもそんなことを気にする必要は無かった。


 綺麗な満月の下を真っ赤な顔の二人がゆっくりと歩みを進めていく。


 次の日の朝、教室には三郎よりも先に真矢の姿があった。恐る恐る真矢に近づいていく三郎に真矢は語り掛けた。


「歴史上で夏目漱石ほど偉大な人はいないよ」


  満面の笑みで夏目漱石を絶賛する真矢に、三郎は負けんばかりの満面の笑みで「そうだな」と答えた。

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