卒業日に「また会おう」と約束した桜の木が、12年後ガールズバーになっていたんだが

ぽんぽこ5/16コミカライズ開始!

三十歳の桜は、ガールズバーの前で

 卒業式の日のことは、正直そこまで鮮明に覚えているわけじゃない。


 校長の話は長かったし、体育館は寒かったし、第二ボタンがどうこうってイベントも、俺の人生には縁がなかった。



 でも、あの桜だけは、やたらと覚えている。桜ケ丘公園に一本だけ立っていた、あの桜だ。


 学校から少し歩いた先にある、桜ケ丘公園。地元じゃそれなりに知られている、一本だけやたら存在感のある桜だ。



「すごい咲いてるね」


 隣でそう言ったのが、朝比奈 美桜みおだった。


 地味な女子、という言葉が一番しっくりくる。肩より少し下まで伸びた黒髪は、いつも真ん中分けで、毛先も特にいじっていない。


 制服もきっちり着ているタイプだった。

 スカートは校則どおり、膝がちゃんと隠れる長さ。シャツのボタンは一番上まで留まっていて、リボンも曲がっていない。


 カバンは、学校指定のやつ。

 キーホルダーはひとつも付いていなくて、落書きもなし。中身も多分、教科書と筆箱だけ――そんな感じだった。


 クラスの中で目立つわけじゃない。

 正直、美人とか可愛いとか、そういう言葉は当時の俺の頭には浮かばなかった。美桜って名前にしては大人しいなという印象。


(逆に俺は名前負けしてないけど)


 なにせ只野ただの 陽斗はるとが俺の名だ。

 名前の読み方を変えれば“ただのひと”。



「たしかに満開だ。卒業のお祝いかな?」

「桜が? ずいぶん空気が読める木だね」


 そんな他愛ない会話。

 特別な関係だったわけじゃない。俺たちはただ、三年間同じクラスで、話しやすくて、帰る方向が一緒だっただけだ。



「ねえ」


 美桜が、ちょっとだけ間を置いて言った。


「もしさ。三十歳まで、お互い結婚してなかったらさ。そのときは、またここで会おうよ」


 一瞬、風が吹いて、花びらが舞った。


「いいけど。忘れてたらどうするんだよ」

「忘れないでしょ。陽斗はるとくん、そういうのだけは律儀だもん」


 失礼な話である。だが否定もできない。



「じゃあ約束な」

「うん、約束」


 指切りもサインもなし。でもその場のノリとしては、わりと本気だった……気がする。



 ――で、現在。


 只野陽斗、三十歳。

 独身。恋人なし。

 貯金、そこそこ。

 仕事は介護職。


 要するに、ただのひとだ。


 ヒーローにもなれず、職場のエースにもなれず、気づけば人生のベンチ要員。学生時代に想像していた三十歳とは、だいぶ違う。


 それでも。

 あの桜の下での約束だけは、なぜか忘れなかった。



「……三十歳、か」


 スマホのカレンダーを見て、俺は小さく息を吐いた。


 約束を守りに行くだけだ。それだけ。

 ――たとえ、何も起こらなかったとしても。



 そう自分に言い聞かせてから、数日後。俺は久しぶりに、地元の駅のホームに立っていた。

 空はすでに夕焼けで、ホームの照明が一斉に点き始めている。


 地方あるあるの二両編成。

 窓の外はだんだん暗くなっていて、街灯が一本ずつ灯っていく。


 ドアが開いた瞬間、聞こえてくるのは電子音と、どこか間の抜けたカラスの鳴き声。



(……帰ってきちゃったな)


 その数日前、俺は仕事を辞めてきたばかりだった。


 上司は、最初から俺のことが気に入らなかったらしい。ミスをすれば人前で怒鳴られ、ミスがなくても「向いてない」「顔が暗い」と言われる。しまいには、


「正直、辞めたほうがいいと思うんだよね」


 ――あっさり、そう言われた。


 言い返せなかった。

 違います、とも言えなかった。ただ「すみません」と頭を下げて、そのまま退職届を書いた。


 帰り道で、一人で泣いた。

 いい歳した男が、アスファルトに座って、静かに。思い出すと、今でもちょっと胸が痛い。



 改札を抜けると、見慣れた風景が広がっていた。


 懐かしい、でも落ち着かない。

 歓迎されている気もしないし、拒絶されているわけでもない。


 地元は、正直好きじゃない。

 でも、親がいる。


 それに――


 介護職なら、この町でも仕事はある。

 人手不足なのは、どこも同じだ。



(でも逃げてきたって事実は、一生ついて回るんだろうな)


 自覚はあった。

 それでも、今はそれでいいと思うことにした。



 駅前から歩いて、かつて桜ヶ丘公園があった方向へ向かう。

 ……はずだった。


 途中で、嫌な予感がした。


(……あれ?)


 公園に着いた――つもりで、俺は立ち止まった。


 いや。

 正確には、公園そのものが、ない。

 ここが本当に公園だったのかすら分からない。記憶の中の風景と、目の前の現実が噛み合わなかった。


 周囲は再開発途中らしく、田舎特有の方向性の定まらないネオン街になっていた。


 夕方なのに看板だけ派手なスナック。

 何を売っているのか分からないバー。

 昼はシャッター、夜になると本気を出す店たち。


 そして――

 かつて、あの桜が立っていたはずの場所。


 そこにあったのは、桜色のネオン看板だった。しかも、やたらチカチカしている。



(……いやいやいや)


 そのネオンの真下に建っているのが、ガールズバー『Cherry Drop』。


 看板は全面ピンク。

 そして、誇らしげに書かれた文字。


《JKコスプレ》



「……成仏してくれ、俺の青春」


 思わず、そう呟いていた。


 帰ろうかと思った。

 本気で。


 でも。


 約束の場所には、確かに来た。

 桜はなくなったけど、形を変えて光っているだけ……なのかもしれない。


 そう思うと、急にどうでもよくなった。


「この店で酒でも飲むか」


 自棄になった俺は、店のドアを押した。



 中は、思っていたよりずっと落ち着いていた。


 もっとこう、ピンク! ネオン! 酒! みたいな空間を想像していたのに、実際は木目調のカウンターに暖色の照明。どこかバー寄りで、変にギラついていない。

 BGMも耳障りじゃなく、会話の邪魔をしない程度の音量だった。


(……あれ? 思ったより健全じゃね?)


 正直、少し拍子抜けする。



「いらっしゃいませ〜。お一人? こちらへどーぞー」


 カウンターに通され、俺は端の席に腰を下ろした。メニューを見るふりをしつつ、内心はかなり落ち着かない。


(三十路男、地元のガールズバー初体験……字面がもうキツい)


 少しして、キャストがやってきた。


「こんばんは〜。サクラでーす。お兄さん、よろしくね〜」


 彼女はそう言って、にこっと笑った。



 ……やばい。


 完全に、俺の好みど真ん中だった。

 まず顔がいい。派手なのに下品じゃなくて、目が大きくて、笑うと口元がきゅっと上がる。メイクはしっかり盛っているのにケバさはなく、つやのあるリップがやたら目に入る。


 明るめの茶髪はがっつり巻かれていて、JK風の制服もただ着ているだけじゃなく「着こなしてる」。スカートは短め、脚は長い。全体のバランスがずるいくらい整っていた。



(……いや待て。これ、俺が通ってた高校の制服と似てないか? まさか現役――)


 見た目だけなら完全にアウトだが、壁に貼られた「※全員成人です」の張り紙が目に入る。よかった。社会的にセーフ。



「あ、もしかして違う街の人? この店来るの初めてじゃない?」

「そう。地元だけど、久しぶりに帰ってきました」


 それを聞いた彼女が、ほんの一瞬だけ懐かしそうに目を細めた。でもすぐに、いつもの営業スマイルに戻る。


「そっかそっか〜! じゃ、とりあえずお帰りってことで、かんぱーい」

「か、かんぱーい」


 勧められるがままに酒を飲む。

 もともと強いほうじゃないのに、彼女のペースに合わせていると、すぐに酔いが回ってきた。



「聞いてよサクラちゃん……上司がさ、マジで酷いこと言うんだよぉ〜」


 そこから話は、仕事の愚痴に流れた。

 向いてないと言われたこと。気づいたら辞めていたこと。

 どうしてか、妙に話しやすい。


「え、それ普通にキツすぎじゃん……ガチお疲れ〜」

「うう……ありがどう……」


 なんて優しいんだ、この子は。

 普段、愚痴を聞いてくれる相手なんていなかった俺は、調子に乗って酒を重ねてしまう。



「てかさ〜、お兄さんって優しすぎるんじゃない? 全部一人で抱え込むタイプじゃん」

「そうなんですよおお! 分かってくれますかぁあ!?」


 気づいたら、俺は身を乗り出していた。


「ちょ、ちょっと! 陽斗くん!」


 ぱしっと、両肩を掴まれて止められる。

 次の瞬間。


(……あ)


 彼女の目が、見開かれた。

 自分で言ってしまった、という顔だ。


 数秒の沈黙。

 周囲の雑談の音だけが、やけに大きく聞こえる。


「ご、ごめん。嬉しくて思わず……って、あれ? 俺、自分の名前言いましたっけ?」

「……っ」


 彼女は一度だけ視線を逸らし、すぐにいつもの調子に戻ろうとする。


「ほらほら、酔いすぎ〜。勘違いだって」

(いやいや、待て)


 違和感が積み上がる。

 初対面のはずなのに、どこか既視感がある。



「……どこかで、会いました?」


 俺がそう言うと、彼女は一瞬だけ黙った。

 そして。


「バレちゃったか〜。久しぶり、陽斗くん」


 世界が止まった。


 声も出ない。

 思考も動かない。


 目の前にいるのは垢抜けた、大人の女の人。

 なのに、その呼び方だけが、十年前のままだった。



「……え?」


 情けない声が漏れる。


「朝比奈……美桜?」


 彼女は、楽しそうに笑った。


「正解」


 完全に、主導権を握られていた。


「もしかして、今気づいた?」


 ぐさっと来る質問。


「……まあ」

「あはは、やっぱりね。でもそれ、ちょっと嬉しいかも」


 そう言って、彼女はカウンター越しに身を乗り出す。


「可愛くなってた?」

「……ま、まぁ」


 俺はただ、肯定するしかなかった。


(俺と同じ時間を、生きてきたはずなのに……)


 地味だったあの頃の面影と、今の彼女が、頭の中で噛み合わない。



 そのまま、閉店時間まで時間が飛んだみたいだった。


 何を話したのかも、どんな返事をしたのかも、正直よく覚えていない。気づいたら、店内の客はほとんどいなくなっていて、BGMも少し静かになっていた。


「そろそろ閉めなんで〜。よかったら外、出よっか」


 美桜にそう言われて、俺は頷いた。


 店の外に出ると、夜風が思ったより冷たい。さっきまでの店内の暖かさが、一気に引いていく。


 ネオン街の裏手。

 表の派手さとは違って、ここは妙に静かだった。



「あ、ここ」


 美桜が立ち止まった先に、小さな切り株があった。


「……これ」


 言われなくても分かる。

 ここに、あの桜があったんだ。



「覚えてる? 約束」


 美桜は、切り株を見下ろしながら言った。


「忘れるわけないじゃん。だからここに来た……っつーか」


 俺がそう返すと、彼女は少しだけ笑った。



「だよね。うちもさ、ずっと覚えてた」


 高校を卒業してからも、この町を出なかったこと。

 進学もうまくいかなくて、就職も続かなかったこと。


 友だちが一人、また一人と地元を離れていく中で、街だけじゃなく、自分まで置いていかれる感じがしたこと。


「桜切られたとき、マジでキツかったんだよね」


 桜がなくなって、代わりにネオンが立った日。思い出が無かったことにされたみたいで、悲しかったこと。



「でもさ」


 美桜は、ネオンの光をちらっと見上げた。


「どうせ変わるなら、うちも変わろって思った」


 地元に残りながら、生活費を稼げる仕事が限られていたこと。

 どうせなら、誰かに選ばれる側になりたかったこと。

 地味だった自分を、ここなら変えられる気がしたこと。


「桜色だったじゃん、このネオン」


 笑いながら言う。


「木が無くてもここならさ、陽斗くんが来てくれるかなって思ったんだよね」


 でも、約束のことは、忘れたふりをしていたらしい。期待して、忘れられていたら傷つくのが怖かったから。



「会えなかったらさ……適当に男みつけて結婚しようかなって思ってた」


 胸が、少しだけ締めつけられた。


「俺はさ」


 今度は、俺が口を開く。


「何者にもなれなかった。正直、今の美桜に相応しい男じゃない、と思う」


 仕事も続かなくて、誇れるものもなくて。

 美桜と違って、なにも変われていない気がする。



 しばらくの沈黙。

 美桜が、ふっと息を吐いた。


「でも変わらなくて良かったところもあるじゃん?」

「――え?」


 そう言って、俺を見る。


「だってさ。やっぱり約束は守る男だったじゃん」


 ピンクネオンの光が、美桜の頬を淡く照らしていた。




 それから数週間後。


 休日の昼下がり、俺と美桜は並んで歩いていた。気づけば、手を繋ぐのも特別なことじゃなくなっている。


 あの日と同じ切り株の前で、二人して立ち止まった。背後では、相変わらず桜色のネオンがちかちか光っている。


「でさ、近況報告ね」


 俺は少し照れながら話した。

 地元の介護施設に就職したこと。

 人手不足で、即戦力として歓迎されたこと。

 怒鳴られることもなく、ありがとうがちゃんと飛び交う職場だということ。



「……俺、ここでなら、ちゃんと役に立てるみたい」


 美桜は、うんうんと頷いた。


「それ、めっちゃ良いじゃん」


 からかうみたいに笑われて、俺は視線を逸らす。


「だからさ」


 意を決して言った。


「俺と……付き合ってくれないか」


 一瞬の沈黙。


「なにそれ〜」


 美桜は楽しそうに笑う。


「とっくに付き合ってるもんだと思ってたよ? やること、ちゃんとやってたし」

「……うるさい」


 この数週間であったアレやコレやソレを思い出し、思わず赤面する。



 ――と、そのとき。

 ポケットの中でスマホが震えた。


 見れば元の職場からの電話だった。


『俺が悪かった。やっぱり戻ってきてくれないか』


 普段の態度とはまるで違う上司の声に、一瞬だけ、思考が止まる。


 いつものイエスマンな俺なら、条件反射で「はい」と答えていただろう。

 でも、今回は違った。



「すみません。もう、必要としてくれる場所があるんで」


 そう言って、通話を切る。

 顔が熱い。

 美桜が、少し誇らしそうに俺を見ていた。


「へぇ~? ちゃんと自分の気持ち、言えるようになったじゃん」


 俺は苦笑いして、肩をすくめる。

 以前なら、きっと断れなかった。


(俺でも、変われたんだな……)


 必要だったのは、一歩踏み出すだけの勇気だけだったんだ。



 桜はもう、ここには咲かない。

 でも。


 (俺の隣には、いつでも笑顔満開の桜がいる)


 俺たちは、切り株の前で、そっと距離を縮めた。



――――――――――――

拙作をお読みくださり、本当にありがとうございます。

皆さまからの応援が、日々筆を取る力になっています。


もしお気に召しましたら、他作品も読んでいただけましたら嬉しく、今後の創作の励みになります。


『【最凶の暗殺ギルドマスター】と畏怖された俺、呪いでショタになる。引退宣言したのに過保護すぎるギルメンが辞めさせてくれません。』

https://kakuyomu.jp/works/822139841590943872


これからも少しでも楽しんでいただける物語を紡いでいければと思っております。

心より感謝をこめて──今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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卒業日に「また会おう」と約束した桜の木が、12年後ガールズバーになっていたんだが ぽんぽこ5/16コミカライズ開始! @tanuki_no_hara

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