第2話 ノア、ヒロインを助ける

「クソッ、クソッ……! 間に合ってくれよっ!」


 はぁはぁと大きく息を乱しながら、ノアは一心不乱に走る。足が鉛のように重く、心臓が痛くなっても、走ることを止めない。


 レイラのイベントはゲーム内において、一番最初に発生するイベントだ。

 そして悪役であるノアの回想シーンも兼ねている。


 ノアのためにお菓子を作ろうとするところから、レイラの不幸は始まる。

 黒髪で美しい容姿の彼女が、護衛もつけずに一人で歩いていたことが原因で、市場からの帰りに、浮浪者たちに襲われてしまうのだ。


(もちろん原作ルートなら浮浪者たちの慰み者になりそうなときに、主人公が助けるはずなんだけど……)


 このゲームの世界の主人公─アベルがレイラルートに干渉しないのであれば、悲劇が起きてしまう。それも、女性にとって一生消えない傷を、心と体に残す形で。心身ともに傷を負ったレイラはそれでも気丈にふるまうのだが、彼女の不幸はそれだけでは終わらない。


(もしルート通りなら屋敷に戻ったあと、レイラには毒殺未遂の疑いがかかる。そして俺はレイラを屋敷から追放する……そして最後は……)


 ゲームの展開を思い出してしまっただけで、うんざりした気持ちになってくる。


 屋敷から追放された後、レイラはノアを毒殺しようとしてしまった罪悪感から自殺してしまうのだ。そして、この毒殺未遂には不幸な事故が関わっていることを、ゲームの知識を持つノアだから知っていた。


 誰だって大好きなゲームの、それも一番好みのヒロインが、悲しむ姿なんてそうそう見たくない。だからこんな必死になって走っているんだろうとノアは思う。


(間に合って……間に合って……)


 体の芯が軋もうが、足は止まらなかった。レイラの無事を願って地面を蹴る音が、祈りのように響く。


(あった! ここの角を曲がればもうすぐで──)


 ノアが角を曲がった瞬間。

 ぜぇぜぇと大きく息を切らしているノアの眼前には、レイラと二人の浮浪者がいた。衣服はキレイなままで、無理やり脱がされたような形跡もない。


「ま、間に合った……ギリギリだったけど……」

「ノ、ノア様ぁ……」


 そして突如として現れた男がノアだと気付いて、レイラは安堵の声を漏らしていた。


「チッ、なんだよ……いい所で邪魔が入りやがって……おらクソガキ、どっかに行けよ」

「はいそうですかって言って、帰るわけないでしょ。その人を早く返せよ」


 木剣を浮浪者たちに向けながら、ノアは話す。


「このクソガキ……少し痛い目に合わねぇと、分からないみてぇだな」


 こめかみに青筋を浮かべる浮浪者が、指をぽきぽき鳴らしながら近づいてくる。


「の、ノア様っ! 私のことは気にせず逃げてくださいっ!」


 悲鳴にも近いレイラの声が人気のない路地に響く。


「へへっ、もうおせぇよ。この邪魔者をぶっ飛ばしてからお楽しみといこうじゃねぇか。おらっ! ガキが調子にのってんじゃねぇぞ!」


 拳を振りかぶって、ノアを殴ろうとする浮浪者だったが。


(え、おっそ……)


 浮浪者のパンチが、ノアにはまるでスローモーションのように見えた。


(だけど、これなら……!)


 パンチを放ってくる浮浪者の動きに合わせる形で、ノアは木剣を浮浪者の手首に叩き込む。


「ぐあっ!」


 手首を抑えてひるむ浮浪者に、ノアは追撃を叩き込む。脇腹を真っ二つにするように、思いっきり木剣を振りぬいた。


「うぐぁっ……がはっ!」


 脇腹を押さえて、うずくまる浮浪者。ノアはもう一人の浮浪者に木剣を向ける。


「どうする? コイツみたいに、お前の肋骨も折ってやろうか?」

「く、クソ……覚えてやがれ……」


 そう言って、倒れた相方を担ぎながら浮浪者はどこかに逃げていく。


「す、すごい……」


 そしてそんなやり取りを見ていたレイラは、茫然とした様子で呟く。


(流石、ノア……今の年齢でこんなに強いのか……)


 13歳のノアが大人を圧倒できたのは理由がある。


 ひとえに、スペックがチートレベルで高いのだ。主人公よりも剣術・体格共に優れ、倫理観なんてものは持っていないため、どんな外道な行為でも容易に行えてしまう。だからこそ、悪逆非道だって重ねてこれた。


 そして、へたり込んだままのレイラと目が合う。恐怖で腰を抜かしてしまったのだろうか。


 慌ててノアはレイラの元に駆け寄る。


「だ、大丈夫? あいつらに何も変なことはされてない?」

「は、はい……ありがとうございます……ノア様……」


 目を丸くさせるレイラがポカンとした表情でノアを見ている。そんな彼女の近くには、紙袋から零れ落ちた食材が散乱している。


「ちょっと休憩して歩けるようになったら、大通りの方まで移動しようか」

「え、ええ……」


(レイラを助けたはずなのに……嬉しいはずなのに、なんでこんなに胸が痛いんだろう……)


 なぜか、誇らしさや嬉しいという気持ちは湧いてこなかった。

 そして帰り道でもノアは決してレイラと目を合わせなかった。


                ※


「ノア様、今日はありがとうございました。お礼という訳ではないのですが、こちらは今日の市場で買ってきた食材で作ったスコーンです」


 給仕用のカートを押してやってくるレイラ。カートにはミルクティーとスコーンがあった。二つともノアの大好物である。


「一つが、砂糖を使わずハチミツの甘さだけで仕上げたスコーンになります。もう一つがナッツを砕いて混ぜたものです。お口に合えばよろしいのですが」


 先ほどあんなことがあったというのに、レイラは恐ろしいくらいに平常心だった。穏やかな笑みを携えたまま、レイラはノアの元にお菓子とお茶を並べていく。


「あ、ありがとう……」


 ノアからお礼の言葉が信じられなかったんだろう。レイラは目をぱちぱちと瞬かせていたが、フッと嬉しそうに表情を緩めた。


「ノア様が私にお礼を言ってくださるなんて初めてですね。何か心境の変化でもあったのですか?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど……」


「そうですか……ですけど私は、今のノア様の方が好きですよ。それに今のような感じでいてくれるほうが、屋敷で働く者も辞めず、私の仕事量も減るというものなんですけどね」


 少しばかり冗談めかして話すレイラは、機嫌が良さそうだった。


「さ、早いうちにスコーンを食べてください。今日のは自信作ですから」


 だが、ノアの手がスコーンに伸びることはなかった。それどころか、微動だにしない。


「ノア様、どうかされたのですか? もしスコーンの気分でないなら、すぐに別のをご用意いたしますが」

「……そうじゃない、そうじゃないんだよ」


 絞り出すようにして出たノアの声音は、悲痛に満ちていた。


「……ノア様?」


 首をかしげているレイラは、純粋に不思議がっている様子だ。


(どうしてレイラはそんな顔ができるんだよ……俺にもっと言いたいことがあるはずだろ)


 繰り返しになるが、前世の記憶を取り戻す前のノアは、屋敷で働くメイドや衛兵に対して、常にパワハラしていた。我儘を繰り返し、その日の気分でクビにしたことだって一度や二度じゃない。当然、屋敷ではメイドや衛兵たちから煙たがられている。

 

 その中で、レイラだけが親切にしてくれていた。

 

 暴言を吐かれようが、足を引っかけて転ばされようが、レイラだけはずっとノアに優しくしてくれていた。どうして親切にしてくれるのって、相手の善意を素直に受け取れない自分の意地汚さが苦しくて仕方ない。


「ご……」


 考えれば、考えるほど訳が分からなくなってくる。


 きっと前世の記憶を取り戻すノアだとしても。

 仮にノアが助けなかったとしても。


 レイラは同じように出来立てのスコーンを用意してくれたのだろう。事実、レイラは浮浪者たちの慰み者になったときでさえ、その事実を隠しノアのためにスコーンを用意した。


 暴言を吐かれることも承知で、もしかしたら暴力を振るわれるかもしれなくても。それでもノアのために。


 前世の記憶を取り戻したことが関係しているのだろうか。何か苦しいものがこみ上げてきて、必死に抑えようとしたが、肩の震えは止まらなかった。そしてとうとう抑えることもできなくなって、涙が止まらなくなってしまった。


「ご……ごめんなざい~! 今までいじわるしてごめんなさい……ずっとずっと、ひどいことしてごめんなさい……」 

「へっ!? の、ノア様!? 大丈夫、大丈夫ですよっ! 私は気にしてませんから!」


 さすがのレイラも、ノアが泣き出したことに焦っていた。

 そのあと、レイラは俺の涙が止まるまでずっと背中をさすり続けてくれた。


 前世の記憶があるからよく分かる。イジメることの非道さも、イジメられる人の辛さも。


 今後の人生がどういう風になっていくのかは分からない。それでも誰かを不幸にすることは絶対にしないとそう心に誓った。


──────────────────────────────────────


 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 本日はあともう一話、20:24に投稿します。

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