『君系ライトノベル』よ、俺はあんたを許さない

萩津茜

僕は『君系ライトノベル』が嫌いです。

 中学時代、部活動の友人から一冊の文庫本を薦められた。丁度、母から貰ったお下がりの『こころ』という小説を読み終えた頃だった。おそらく、その書の感想でもばらまいていたのであろう。すすめられた本の題は『君の膵臓すいぞうをたべたい』。僕も流石に書名は知っていた。『こころ』という名作に浮かされてか、僕は友人から借りた本を一晩で読み切った。

 ――ただ、夜中の飢えた腹が引き裂かれた、感じがした。



 さて、回顧録はこのあたりにしておこう。住野すみの、という作家はご存知であろうか。まさに『君の膵臓をたべたい』という作品の作者である。同作は彼のデビュー作であるのだが、大ヒットに至るまでの過程は中々興味深い。彼は同作を某出版社の文学賞に応募したのだが、一次審査で落選。ただ作者自身、この作品にどこか感じるところがあったのか、加筆修正のうえで「小説家になろう」というサイトに投稿した。結果、幅広いユーザーに認められるところとなり、大ヒットを飾ったのだ。住野よる氏の作品では他に、『よるのばけもの』と『また、同じ夢を見ていた』を読んだことがある。少なからず僕は、いや大いにだ、影響を受けていると公言してよいだろう。僕はこれら三作品をそれぞれに愛している。

 どうやら住野よる氏の『君の膵臓をたべたい』は、俗に言う「ライトノベル」というジャンルに分類されるらしい。それにしてもライトノベルというワードは随分と曖昧なものだ。ネットで検索しても、しっくりくる回答が得られない。「ライトノベル」というジャンル分類は近年急増しているように感じる。所謂いわゆるや、後述する君系。こういった作品群と、例えば太宰だざい伊坂いさか伊坂幸太郎いさかこうたろう氏)らの作品とは、何が違うのだろうか。この議論を当時本科五年生の方としていたのだが、その中でしっくりきた回答が一つ得られた。

 ライトノベルとは、である。

 ああ、なるほど、と納得した。きっとこの回答は、普段漫画を読まない僕ではどうやっても出なかっただろう。ライトノベルをこの様に説明できる根拠は幾つかある。まず、ライトノベルは一作のぺーじ数が平均的に多い。すなわち、会話文が多い。漫画のコマ進みは会話の吹き出しによって成り立つところがあるように思う。次に、人物の心情や背景を説明しきる傾向がある。漫画というのは言葉に加えて、絵という視覚情報が存在する。それを補うように、ライトノベルでは事細かに人物の心情などが描写されているように思う。

 では、とはなにか。この言葉自体が僕の造語であるのだが、個人的な君系ライトノベルと呼べるか呼べないかのチェックリストが次のようにある。一に、タイトルに「君」の字を含む。二に、ストーリーがボーイミーツガール――男子と女子が出会い、交流することを主軸としたストーリーのこと――である。三に、病気や事故による人の死を扱ったもの。この中の二つでも当てはまれば、君系ライトノベルと称してよいと思う。サブ要素としては、主人公が小説家を志望若しくは現職、現実世界で読者が拝読する物語自体が主人公の創作物、など。こういったものを総合的に鑑みて、君系ライトノベルか否かを見分けている。具体的には住野よる氏の『君の膵臓をたべたい』や佐野徹夜さのてつや氏の『君は月夜に光り輝く』が該当する。

 ここで読者は疑問に思ったのではなかろうか。あんた、なんでわざわざ君系ライトノベルか否かを見分ける必要があるのか、と。ここからは僕の偏見や勝手な見解を大半が占めることをはじめに断っておく。

 僕は習慣として古本屋・書店に通って、気になる本を購入している。その際、できるだけ某受賞作で有名! というような、作品の面白さが保証されているような作品を避けて、未だ見ぬ名作を掘り起こそうという意志を抱くようにしている。となると、選書が随分と書名やカバーに左右される。ここで起こってしまう、事故がある。どうしても選書に偏りが現れるのだ。どういうことかというと、僕が惹かれやすい小説は、青春謳歌だったり無頼的だったりなのだが、そうなると不思議なことに手元には、君系ライトノベルが抱かれている。

 君系ライトノベルを許せない理由の一つ目。展開とテーマ性が似通っている。これは実は単なる文句にとどまる内容ではないのだ。現代社会を鑑みれば、合理的に思える。

 ――大量生産・大量消費社会。

 各作品、感動できるし、面白い。だが深みがない。なぜ深みがないのか? この感動はすでに『君の膵臓をたべたい』で味わっているからだ。僕のような考えすぎる人にはこうやって、テーマ性に欠けるという観点で作品を捉えてしまうが、一般の大衆はそこまで考えるだろうか? 君系ライトノベルは時代の最先端を行く大衆文学! とでも称してみようか。商業的に考えればよくできている。だが、その作品が名作たり得るかといえば、そんな可能性は一切ないと思われてしまう。すでにその世界は『君の膵臓をたべたい』で知ったんだよ、という感想を思わず吐露してしまう。これくらいにしよう。

 君系ライトノベルを許せない理由の二つ目。出版社によるお涙頂戴な宣伝。君系ライトノベルの書店における取り上げ方は大概、感動、という熟語が飛び出す。作品を読んでどう感じるかは読者に委ねられるはずなのだが、読む前から感動できる作品、という前提を構築してしまうのはいかがなものか、と思う。

 これからの文学界はどうなっていくのだろうか。社会の変動を考慮するなら、きっとますます大量生産可能なライトノベル、君系がもてはやされるような気はしている。僕が頻繁に脳内議論している命題がある。

 百年後に名作と言われる作品は何なのだろうか。

 太宰、芥川あくたがわ夏目なつめ。こういった近代文学の所謂名作を遺した作家たちは百年後の教科書で取り上げられるのだろうか。また、大衆に好んで読まれるだろうか。名作は読まれ続けるからこそ名作なのだとはつくづく思う。文法や語彙の学習に使われるだけの作品は例文に成り下がってしまう。そもそも、読まれなくもなくなれば、作品なんてものは残酷に蒸発していく。

 つまるところ、僕が昨今、君系ライトノベルに対して抱いている感情は、憂いと不安である。

 転じて、日本国民の行く末に抗う、純文学の居場所探しである。



 追記

 こちらの文芸評論は『文藝誌 新斜陽 第一号』に掲載した作品です。誤解を生みそうなので留意しておいてほしいのですが、筆者はライトノベルの一切を嫌っているわけでも、蔑んでいるわけでもございません。寧ろ気に入って読んでいる作品が幾つもあります。この文芸評論は、世間の文芸思潮に対する僕の個人的見解を述べたにすぎません。ご了承ください。

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『君系ライトノベル』よ、俺はあんたを許さない 萩津茜 @h_akane255391

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