おじさんの淡い恋

日比野きみ

おじさんの淡い恋

おじさんは食品メーカーに勤めていた。

定年まで後数年。50代になってから、ようやく営業所の所長にはなれた。


メーカに勤めていると、小さな展示会がいくつもある。

問屋さんが開催するエンドユーザー向けのものだ。

そこに、定期的に応援に来る、他社の女の子がおじさんは好きだった。来場者がまばらな時間、彼女は勉強と市場調査を兼ねてブースを見学して回る。


初めて会った時から

「これ、大好きです!」

とおじさんの会社の製品を試食する彼女を愛らしく思っていた。

親子ほど歳の離れた彼女の「大好き!」が自分に向けてではないことはわかっていたが、その日1日中ドキドキした。名刺交換はしたから、お互い名前と連絡先はわかっていたが、用もなく連絡ができるわけもなかった。


それからずっと、「今回は来ているか?今日は会えるか?」と楽しみにしていた。

彼女は本社から派遣されてくる、販促支援部隊の子だったから、いつもいるとは限らない。その会社の男性営業が一人で来ているときは、仕事には専念できるが、がっかりする気持ちは止められなかった。


彼女に出会ってもう何年目のシーズンになったろうか。

おじさんは少しずつ、彼女と挨拶以上の話もするようになっていた。

思い切って、声をかけてみる。

「今度、帰る前に食事に行かない?」

 彼女は展示会が終わると新幹線で帰って行く。

遅くなることがわかっていて、今まで誘えずにいた。

今回こそ、と思い勇気を出して誘ってみると、以外にも

「いいですよ」

と応じてくれた。


駅で彼女と待ち合わせると、車で予約した寿司屋に移動した。

カウンターに並んで座ると、

「日本酒、好きでしょ?飲んでいいからね」

と言ってみた。

「一人で飲めないですよー」

きちんと駅まで送ると伝えていたが、一旦は断わられた。

でも、再度勧めると、

「おすすめの銘柄ありますか?」

と聞いてきたから、おじさんは自分がよく飲む地酒を大将に注文した。

おちょこで2杯のんだだけで、彼女は頬をほんのりピンクに染め、

「酔っ払いましたぁ」

とかわいい事を言う。

来月も来るかどうか聞くと、

「はい。呼ばれてます」

と返事があった。

「来月、誕生日だよね?何かプレゼントさせてよ。」

「いやいや」

「欲しいものは?」

考えるふりはするが、

「うーん。ないですねぇ」

と言われる。

「そんなこと言わずに、予算3万円」

「お気になさらず」

「あ!3万で買えない物だ。車とか家とか言おうとしてるでしょ?」

と言ってみた。

すると、

「ばれちゃいました?」

と彼女も軽口で返してきた。

おじさんは、すかさずスマホを取り出して写真を見せる。

「家、あるよ。建て直したばっかり、ローンはないよ」

妻に先立たれた後、震災で古い家は倒壊した。

数年後にその場所に新しく建てた家は、まだ10年も経っていなかった。

彼女は自分のアドバンテージを失い、慌てた様子だった。


妻を亡くしたことを彼女に話したときの事をおじさんは思い出す。

いつもおじさんが彼女に「かわいい、かわいい」と言うものだから、

「そんなこと言ってると、奥様に叱られますよ」

と返された。

「いや、もうずいぶん前に先立たれたんだ」

と笑顔で答えたのに、彼女は失言をしたと反省し、何度も謝ってくれた。

その誠実さが、おじさんの彼女に対する気持ちを更に強くしていた。


今回も、その時に似た反応だったかも知れない。

「お家、震災で?」

「あぁ、おかげで死ぬまで安心」

「ホントにいつも……ごめんなさい」

彼女は頭を下げる。

「いいの、いいの。どっちももう済んだことだから。あ、でもお詫びの代わりにプレゼント考えてよ」

「お詫びにおねだりって、変ですよ」

と、彼女は言ったが、しばらく考えると、

「日本酒ください。所長が選んでくれたの、飲んでみたい」


駅まで彼女を送って別れた。

風呂に入ってゆっくりしていたら、彼女から

『今日はありがとうございました。無事、家に帰りました』

とメッセージが届いた。


次の休みにおじさんは、早速、百貨店に言った。

お酒は決めていたから迷いはなかった。

問題はその後だった。

残る物をどうしてもプレゼントしたいと思い、服飾品フロアに行く。

おじさんは、店員さんに

「娘にプレゼントなんだ。何がいいと思う?」

と聞いた。

「これから寒くなるので、手袋はいかがですか?」

店員さんに見立てて貰った中から、2つを選んで包んで貰った。


次に彼女に会うときには、これを渡そう。

付き合って欲しいなんて言うつもりはない。ただの片思いだ。


指先がかじかむ頃になり、彼女はまたやってきた。

「ご無沙汰です」

「プレゼント持ってきたよ」

「ありがとうございます」

「今渡すと、営業に見つかっちゃうかな?」

と彼女に尋ねると、

「お時間あったら、また駅で待ち合わせませんか?」

と聞いてきた。

やはり、社内で噂になるのは避けたいよなと思う。


到着後、彼女にメッセージを送る。

『着いたよ、この前の場所で待ってる』

こんなことだけでも、おじさんの心は弾んだ。

待ち合わせの場所に彼女は来た。

プレゼントを渡すと、

「見ていいですか?」

と聞かれたから、

「もちろん」

と答える。日本酒の瓶を取り出す。

「わぁ、2本も嬉しい!ありがとうございます。ん?これは?これもですか?」

包みに気付いた彼女に聞かれる。

「選びきれなくて、2つ買っちゃったよ」

おじさんは照れながら答えた。

包みを順に開けて、彼女は

「わぁ、どっちから使おう!所長、ホントにありがとうございます」

と言った。

「所長じゃなくて、名前で呼んで欲しいなぁ」

と言ったが、

「えー」

とかわされた。

その後、彼女も紙袋を差し出した。

「これ。今年、還暦ですよね?私からプレゼントです」

中身は、落ち着いた赤のカシミアのベストだった。

「え?こんないいものいいの?」

おじさんは自分の贈り物が恥ずかしくなった。

「気持ちなので、着ていただけると嬉しいです」

「もちろんだよ」

と答えると、彼女がもうひと言、

「……後、お家もいただいていいですか?」


一瞬、彼女の真意を測りかねた。

「え?それって……」

「これ以上、女性からいわせないでくださいよ。○○さん」


初めて名前を呼んでくれた彼女は、そうしておじさんの妻になった。

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おじさんの淡い恋 日比野きみ @syasyarin

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