第18話 陰徳

 董卓とうたくが逃げた。このことは諸侯しょこう軍の勝利ともいえる戦果であったが、いまだ董卓は健在である。しかし、彼らの間では実質的な対董卓戦の畢竟ひっきょうであると判断した。

 ここから諸侯らは、董卓を自身に逼迫ひっぱくした脅威である、という意識を持たなくなったのか、内紛ないふんを起こすようになった。

 特に影響が大きかったであろう動きがある。

 公孫瓚こうそんさん韓馥かんふくのいる州の安平あんへいを攻めたこと。

 袁紹えんしょう周昂しゅうこうら兄弟を派遣して、袁術えんじゅつ豫州刺史よしゅうししとしていた孫堅そんけんを攻撃したこと。

 劉虞りゅうぐが袁術の作った書簡しょかんによって兵を袁術のもとに送り、それに公孫瓚が公孫越こうそんえつを伴わせたこと。

 この三つの主な動きが、関東(この場合は函谷関かんこくかんの東)における覇権争いを肥大化させることになる。


 韓馥が公孫瓚から攻撃されると、その周りの郡を収める人間も、それに付け込んで冀州の土地をかすめ取ろうとした。

 冀州はもとから天下の食糧庫しょくりょうこともいえる地域で、後漢ごかんを創設した劉秀りゅうしゅうですら、最初にこの土地を抑えたことが、のちの勝利につながったと云われているほどである。

 そう考えると、天下が総じて食料に困窮し、国力が弱まると同時に各地の領主が台頭し始めた時代に、冀州という土地が狙われるのは当然の流れともいえる。

 韓馥は平時ならば良い領主となれたかもしれないが、こういった乱れた世には似合わない人物であった。公孫瓚を含めた周りの動きに怯えて、この諸郡の行為を弾劾だんがいすることができなかったのである。


 この動きは顔良がんりょうも知っていた。各地から送られてくる文書に情勢が記されていて、それを確認するたびに

「冀州の静まることなし」

という文言がある。さらに、兄から送られてくる簡牘かんとくにも

「最近は臨戦の構えを崩せず、皆が疲弊の色を見せている」

という言葉を書き添えられているからである。

 顔良はこの文を読むたびに、家族が育てている作物が炎に巻かれる様を想像して不安になった。

──戦が苛烈かれつになる前兆でしかなかった

 自分がこうなることを予期していながら、果たして阻止そしすることなどできない小人物であることに落胆らくたんしていた。

 もしかしたら、戦乱のうちに家族が死ぬかもしれない。それがむごい形であったら。

 身が震えた。口を押えてこれに耐えようとしていたが、芯から氷のような冷たさが湧き出てくる。

叔善しゅくぜん殿、叔善殿」

 声がすぐ横から聞こえた。今まで気づいていなかったらしい。慌てて返事をした。

「ああ、これは」

「叔善殿、顔色が優れませんな。酒でも飲まれますか」

「いえ、仕事中ですので。友若ゆうじゃく殿はもう飲まれたのですか」

 すでに夕日は落ちている。酒を飲んでから来ていても可笑しくはなかった。

「叔善殿と話をするのにそんなことは致しますまい。政務の延長できたのですよ」

 友若、とは荀諶じゅんしんあざなである。顔良とは日ごろから話をする仲だった。

 彼は名家の生まれで、董卓政権下で司空にのぼった荀爽じゅんそうの甥であり

王佐おうささい

とまで評された荀彧じゅんいくの兄弟である。

「もしかして、家のことを思い出されていたのですかな」

 荀諶が問いかけてきた。かれもその才能と家格を袁紹に買われて直に招聘しょうへいされた人物の一人なだけあって、その読みは鋭い。

「ええ、私の家は冀州ですから」

「そういえば、そうでしたな。堂陽どうようでしたか」

 荀諶はその口を結んだ。冀州がいま戦火の的になりかけているのは知っているだけに、ここからは自分ではなく顔良に会話の主導権を渡そうとしたのかもしれない。

「友若殿。私がこのままえん太守たいしゅと共に行動したとして、もし冀州を攻めることになったら、それは私が私自身の故地こちを攻めることになるのです。ひいては、私の家族も。そうなれば、私はただの不孝者ふこうものでしかありません。なにか、そういったことをせずに済む方法はないのかと考えるのですが、あいにく私はいち官吏かんりです。なにも、できないのが歯痒はがゆい」

 顔良は思うところをありったけ、言葉にしてみた。もしかしたら、荀諶ならこれを受け止めてくれるかもしれない。そう思ったのである。

 荀諶は少しうつむいて、腕を組んだ。考え事をするときに、彼はいつもこうしていた。

「叔善殿」

 荀諶が顔を上げた。何かを考え付いたようである。

「今、冀州は主にかん冀州きしゅう公孫こうそん将軍の間で揺れ動いています。公孫将軍は騎兵に強く、韓冀州はかてがありますゆえ、この二者がまともにぶつかれば、冀州はただでは済みますまい。ただ、これを止めつつ冀州を抑える方法があるとすれば、私は太守の下で重用されていますから、なんとかできるかもしれません」

 顔良は、何かを掴んだ。堂陽を、冀州を守る方法。

「私に、案があります」

 顔良は策を話し始めた。

 まず、公孫瓚と袁紹が協力関係にあることが前提である。例えば、冀州の内いくらかの郡を公孫瓚に割譲かつじょうするなどの条件を与えるのが良いかもしれない。

 そして、公孫瓚には韓馥に対して圧力をかけるようにだけ指示する。そうすれば、公孫瓚も無理に攻め込むようなことはしないはずである。

 今の対応を見る限り、この動きに対して韓馥は大きな軍事行動は起こさない。むしろ、城の中に引きこもって、軍事行動の終結を望むばかりになる。その不安を利用して、袁紹側から冀州明け渡しの使者を出す。

 これで明け渡してくれれば、損害を冀州北部の小さな範囲に抑えるのみで、争いを鎮静化できるのではないか。

 荀諶は顔良の言った策を興味深そうに聴いていた。そして、聞き終わった瞬間に

「なるほど、なるほど」

と相槌を打った後で、こう聞き返してくる。

「叔善殿、あなたの言っていることは詭道きどうです。人をあざむけば、その分が己に帰ってくるかもしれませんよ。良いのですか」

「ええ、わたしは守りたいのです。守るためにするのです。傷つかせはしたくないのです」

「そうですか。上手くいかなければ──」

「自らに縄をかけて参内いたします」

「わかりました。次に府に呼ばれることがあれば、私から具申してみましょう」

「ありがとうございます。お願いいたします」

 荀諶はその言葉の通り、勃海ぼっかい郡府ぐんふでの議でこの策を袁紹に上申した。顔良の名は、出さなかった。


 袁紹はこの策にのっとったが、その一方で冀州を公孫瓚に割譲する、という部分については疑問符を示した。

「そのようなことをすれば、のちの敵に兵糧ひょうろうを送るようなものではないか」

 袁紹は公孫瓚を信用していなかった。

 それもそうである。先の反董卓の動きに参画する、と言っていたのにも関わらず、その背後を脅かすように韓馥を攻め、敗走させているからである。

 すでに袁紹の中では敵である、という認識があったかもしれないし、それは幕下ばくかの群臣の間でも共通していただろう。

 荀諶は

「公孫瓚は確かに信用できません。しかし、冀州を手にしてしまえば天下に名が轟いているのは袁太守です。諸侯は寄る辺を見つけて集ってくるでしょう」

と説得を試みたが、覆すには苦しい言説だった。

 けっきょく冀州を実質乗っ取るための策は、こののち張楊ちょうようの軍を併合へいごうし、韓馥配下の麴義きくぎが反旗を翻して袁紹に属したことで袁紹側に大きく傾いた。

 そして荀諶、高幹こうかん郭図かくとなどが韓馥のもとに赴いて説得することで、冀州牧の地位を譲られるという形で成った。

 ここで終われば袁紹は冀州牧としてその名を広めて、少なくとも周辺地域は慰撫いぶできたかもしれない。だが、州方面での動きがそうはさせなかった。

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