第17話 嶺影

 全ての軍が洛陽らくようへと攻め手を向けない中、果敢に攻め手を向けた将軍がいる。

 先に述べた酸棗さんそう曹操そうそうと、張邈ちょうばく鮑信ほうしんらの軍である。

 この三将は榮陽えいようにおいて戦闘した。

 しかしながら、この軍は衛茲えいじ鮑韜ほうとうといった将軍を失ったのである。

 これとほぼ同時に、袁家のこの時期における宗家そうけであった袁基えんき袁術えんじゅつの兄)、そしてその叔父おじにあたる袁隗えんかいえん氏一族が処刑されている。

 一族の死に憤激ふんげきしたのか、それとも曹操らの動きに便乗したのか。袁術は幕下ばくかにいた孫堅そんけんに、南陽なんようにおいて漢軍と戦闘を開始させるが、この軍も打ち破られてしまった。

 このとき曹操らを敗走させた将軍と、孫堅らを敗走させた将軍はともに徐栄じょえいという漢の将軍である。こういった優秀な将帥しょうすいが漢の軍にも未だに居たあたり、衰えてなお漢軍は強力であったことがわかる。

 その後、河内かだい太守たいしゅ王匡おうきょうひきいる軍も破られると、集結した諸将らは勢いを失って、いよいよ董卓のいる洛陽に攻め上がることを嫌がるようになってしまった。


──これではきりがない

 そう思った袁紹えんしょうけん帝の行方が知れないとして、このときゆう州にいた劉虞りゅうぐ擁立ようりつしようと提議ていぎした。

 このことは冀州牧きしゅうぼく韓馥かんふく張超ちょうちょうは賛同したものの、袁術を含む諸将の多くは

「前の帝はおらずとも、今の帝がいるのですぞ。もしこちらが勝手に擁立することがあれば、それは董卓と同じです」

として反対が多かった。

 それでも

──今の漢に対抗するには別の漢にて対抗するしかない

と息巻いていた賛成派が劉虞に使者を遣わして帝位につくことを願ったが、劉虞は

「漢の都は洛陽である」

として、その姿勢を崩さずにこれを固辞した。

 このとき劉虞は董卓からも招きを受けていたが、これも辞していたというから、混乱した情勢下だからこそ、天子の命令しか受けないという姿勢を貫いていたのかもしれない。


「漢はやぶれぬというが、その実──」

漢のためと言っている群臣ですらその意思を統一できていないではないか。

 顔良がんりょうの胸中には

──いったい義とは何ぞや

という問いが一年間、ずっと渦を巻いていた。

 袁紹幕下に加わってからこの方、主人たる袁紹の行動を見ていたが、本当にこの人の進み方はあっているのだろうかという疑問があった。

 太陽のような人。その見立ては間違っていない。軍中に在るいまですら臆病な姿勢は見せていない。雄偉ゆういであり、威厳がある。

 だが、太陽は余りに熱い。周りを焦がして灰にしてしまう。主人はそういう人間なのだ、と思う。近づけば近づくほど、いや彼の核を覗こうとするほどに、滅びに向かっていくような気配がする。

──自分は、なるべく離れていたほうが良いかもしれない

 顔良は目立たぬようにすみのほうに立っていたが、それを許してはくれない人もいた。

「おう、叔善しゅくぜん殿」

 右手を振りながら、顔に満面の笑みを持って男が一人近づいてきた。

大興だいこう殿ですか、如何いかようでしょうか」

 たけ八尺で筋骨に優れた体を持っているこの男は、袁紹軍でも随一の武勇を持っているとの評判があった。

「いや、軍もなかなか動かんだろう。百人隊を任されてるんだが、どうにも暇を持て余していてな」

「そうですか。私のほうはわされる文書の整理などがありますが」

「そうだろう、そうだろう。こういう時は、武官より文官のほうが暇無しなもんさ」

 口調はかなり砕けているが、嫌みがない。こざっぱりとした人間だった。

「しかし、帝をこっちでおっ立てようってのは、驚いたなあ」

 大興は小声でそういった。さすがに周りに聞かれるとまずいと思ったのだろう。

「大興殿も、驚かれましたか」

「まあな。殿はとんでもないことを考える。だが、そういう人間が大きなことを成し遂げるんだろうなあ」

 顔良は言葉に窮した。肯定すれば漢は終わったというようなものだし、否定すれば自らの仕えている主を批判することになる。

「叔善殿。俺はその実、天下を誰が治めていても良いと思ってる」

 自分の立場では「そうですか」とも言えない。ただ黙って、独白を聴くしかなかった。

「皆に食料がいきわたること、皆が屋根の下で寝れること、皆が襤褸布ぼろきれまとわなくて良くなること。そうしたら」

「そうしたら、なんでしょう」

 顔良は思わず言葉を発した。

「そうしたら、皆が笑えるかもしれん」

 この人の持つ志は凡庸ぼんようで飾り気がないが、それが変に言葉で取りつくろうよりも大きな説得力を持って、顔良の耳に届いた。

「この戦が終わったら、俺が使っているえつを折れるのかねえ」

「私にはわかりません。ただ」

「ただ、なんだ」

「大興殿の持っている鉞は、太平を望めば望むほど必要な気がします」

「そうか、そういうもんかね」

 二人して山の有るほうを見ると、ちょうど日が沈むところだった。


 年が明けて初平しょへい二年(191年)。連合軍は再び行動を開始した。孫堅が敗残兵を集めたうえで陽人ようじんに軍を置いたのである。

 董卓はこれに反応して胡軫こしん呂布りょふを派遣して迎え撃たせた。

 しかし陽人城にいた孫堅の守りが固かったことや、胡軫に嫌悪の感情を抱いていた呂布が譎謀けつぼうを図ったこともあって、将軍の華雄かゆうが討ち取られるなど、大敗を喫することになる。

 その後、孫堅らの軍は反攻を開始して洛陽に攻め入る姿勢を見せると

──洛陽に勝機なし

と董卓は判断をして洛陽を焼き払い、長安ちょうあん遷都せんとした。四月のことだった。

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