第15話 招聘

 州では中央の動乱についての情報はよく入ってくるものの、その影響がそのまま届いてくることはなかった。

──所詮しょせんは隣の州で御上おかみが行っていること

という風に思う民も多かったかもしれない。それよりは、自らのいる郡や県に直接的な害があるかどうかこそ、重要だっただろう。

 顔良がんりょうの周辺ではいまだに税の徴収に猶予ゆうよが続いていたことから、くらは八、九割がた満たされるようになった。

 さきの洛陽らくようの動乱の時にいくらか兵糧ひょうろうとして供出きょうしゅつしたが、それでもなお

──即座に枯れることはあるまい

と安心できるだけの量が蓄えられている。

 畑を耕し、今年の収穫を楽しみにしつつ、収穫量はいくらほどになるのかと目算をしていた時、次兄の顔粛がんしゅくが手にかんをもって慌てた様子で近づいてきた。

「どうしました、兄上」

「それが、洛陽で天子が廃されたらしい」

「なっ」

 顔良は顔に雪を投げつけられたかのような表情で兄の顔を見つめると、渡された簡に書かれた文章を読み下した。簡は、堂陽どうよう県のにいる長兄の顔毅がんきからのものである。

 そこには簡潔に一文だけ、こう書かれていた。

とう司空しくう、天子を廃し陳留ちんりゅう王をみかどとす」

 この文に衝撃を受け、思わず手に持っていたものを土中に落としてしまった。

 これまで父から話されてきた宦官と外戚との争いでも、帝を傀儡かいらいとするような行為はしたことはあろうが、廃してしまうことなどなかった。

──董。まさか広宗こうそうの時の董将軍ではあるまいな

 もしそうだとしたならば、いち地方軍閥ちほうぐんばつの将軍にすぎなかった男が、動乱の最中にそこまでの力をつけたということではないか。

 さきの太后たいこうである董氏と同姓であることから、氏とその後ろ盾をもって即位したしょう帝を嫌った可能性はあるが、それにしても直情的にすぎる。

「これでは、世は収まらない」

 いつの間にか、頭上は曇天どんてんとなっていた。


 董卓が入洛じゅらくし、武力を背景にして専横を働いていたころ

──我々のした行為は意味がないどころか、董卓の専横を許すとは

と唇を嚙んでいた人物がいた。袁紹えんしょうである。

 かれは少帝の廃位を董卓が議題に挙げた時も

「我々のしたことの大義名分をお忘れか。あくまで陛下の身をお救いするためにしたことを、我らの力を持って廃したとなれば天下の非難は万丈の布帛ふはくをもってしても足りぬぞ」

といって断固として反対した。

 しかし言ったと同時に袁紹は、董卓が殺意を向けてきているのを感じ取り

──まずい

そう思って、即座に洛陽らくようって冀州へ向かって逃亡した。

 董卓は

「袁紹許すまじ」

と意気込んで、賞金を懸けてまで袁紹を追わせたが、やがて

──袁家は名高い。諸勢力をいだいて反攻するのではないか

その不安に押されて逆に袁紹を懐柔しようと勃海ぼっかい郡の太守たいしゅとしたのである。

 勃海太守となった袁紹は、董卓と対するための対抗策を考え始めた。

 そしてそのひとつとして、勃海郡あるいはその周辺にいる有能な者をあつめることにした。

 文に優れるものも、武に優れるものも、それぞれに袁の旗の下に集うように促したのである。当然、董卓にこの動きが察知されないよう

「今の漢には有能な者が必要です。董相国しょうこく(相国はいまの首相に近い)の憂いを断つため、わたしもはたらきましょう」

おもねる姿勢を見せながらの企みであった。

 この当時、董卓も自らの専横と、相国へのおおよそ強引とも言える就任で落ちた名声や威厳を取り戻そうと、多くの名士を取り立てる動きをしていた。

 袁紹に対する動きもそうではあるが、自らを批判する者も採りたてて徳を示そうとしていた。だが、そこまでに行っていた略奪や虐殺などの暴虐を埋め合わせるほどではなく、次第に

──董卓を討伐する

という動きをみせる気風が高まっていたのである。

 

 顔良のもとに、顔毅から一通の書簡しょかんが来た。

 時候の挨拶あいさつや、家族の安否を尋ねる温和な文章であったが、最後の一文に

叔善しゅくぜんよ。いますぐ堂陽の衙に来てくれ」

とあったのを見て、顔良はただ事ではない雰囲気を感じ取ると、顔粛に家のことを頼んだのち、自らはすぐに荷造りをして長兄のもとへと事の次第を確認しに出た。

 堂陽の衙につき、門兵に対して

「この衙に努めているがん伯剛はくごうに呼ばれて参った、がん叔善しゅくぜんです。お目通り願えますか」

と腰を曲げ、書簡を差し出しながら挨拶をすると

「顔叔善、なるほど。名は知っている。すぐに通れると思うから待っていろ」

といって書簡を受け取り、門の奥へと入っていった。

 しばらくすると、門兵が出てきた。

「すこし待っていれば、伯剛はくごう殿が出てくるだろう」

 そう聞いた顔良は、自らが疑われなかったことに胸を撫でおろした。

──しかし長兄はどういう意味合いで言ったのだろう

 意味を詮索せんさくしながら屹立きつりつとする。兄から発せられる言葉が怖くもあり、楽しみでもあった。

「叔善、苦労を掛けるな」

 四半刻に満たない時間で顔毅が出てきた。

「兄上、ご用件がおありなのでしょう。どうか、お話しください」

 顔良はまっすぐと、兄の目を見つめる。

「ああ、そのことだったな。喜べ、叔善。お前にえん勃海ぼっかい太守たいしゅから招聘しょうへいが来ているんだ」

「なんですって」

「お前の雄姿は、想像以上に人の間に広がっていたようだぞ」

 顔毅は満足そうな顔をして、顔良の肩を叩いた。

──私が、袁家のもとに入るのか

 父から聞いたことがある。えん家は四世しせい三公さんこうの名門だ。その袁家からまねかれるとは、顔良の思ってもみなかったことであった。

「お前は行かねばならぬ、叔善。断れば」

「わかっています。家族には兄から伝えてくれますか」

「ああ。われらが家の名も、お前のおかげで上がろう」

「はい。心して向かいます」

 顔良は堂陽の衙の中へと兄に迎えられ、旅に必要な金銭や食料などを受け取ったのち、即座に勃海郡の郡府ぐんふへと向かった。

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