第14話 宮廷

 それから四年。中平ちゅうへい六年(189年)となった。

 この年の三月は、先述した張純ちょうじゅんの乱が終熄しゅうそくした時期である。

 れい帝の体調がすぐれない日々が続き五月に入って没すると、しょう帝が即位した。

 しかしこの少帝の即位の際にも外戚がいせき間での対立が起き、霊帝の母親であったとう氏と、皇后の氏の間で争いが始まってしまった。

 霊帝に寵愛ちょうあいされていた宦官かんがん蹇碩けんせきが霊帝からの遺詔いしょうを受けたとし、劉協りゅうきょうを支持すると、董氏のおいである董重とうちょうと組んで天子としてまつげようとしたのに対し、宦官を汚職や暴吏ぼうり蔓延まんえんの根源であるとを嫌っていた士大夫しだいふと、何氏の兄である何進かしんが手を組んで、のちの少帝である劉辯りゅうべん推戴すいたいし、これを阻止しようとしたのである。

 結局この争いが劉辯側の勝利に終わり、蹇碩や董氏一派の排除という結果を招いたが、この事件はのちに繋がる禍根を残すことになった。


 この騒動が一段落したのち、大将軍だいしょうぐん何進かしん十常侍じゅうじょうじをはじめとした宦官らの排除に動き始めた。

 朝廷の内外でいまだ汚職や搾取が行われていることに対して、効果的な対策を打てなかったことで宦官排除の議論が朝廷内外に紛糾したことや、自身もさきの後継争いで蹇碩に謀殺ぼうさつされかけたことで、宦官勢力に恨みを持っていたことが引き金である。

 当初、何進は名家の出身として名を知られていた袁紹えんしょうらと積極的に結び、

──悪しきうみは出さねばならぬ

と意気込んで計画をはかっていた。

 しかしここで待ったをかけた人物がいる。皇太后となった異母妹の何氏、そして義弟の何苗かびょうである。


 もともとこの三人はは屠殺とさつ業を営む家で生活していた。

 何氏は母に似た美貌を持っていた。それに目をつけた宦官に賄賂を送ることで後宮に入ると、そののち霊帝から寵愛を受けて貴人(後宮における最高位)となり、最初の皇后であるそう氏が王甫おうほの謀略によって廃されたのちに新たに皇后となった。

 しかし彼女の性格は生来、激情家であった。

 霊帝の寵妃ちょうきであるおう美人が懐妊し、劉協を産むと、これに不満を抱いた何氏は

──このままでは我が身が危ない

と思ったのか王美人を毒殺した。

 当然ながら霊帝は

──この毒婦どくふを生かしてはおかぬ

と激怒し、何氏をころさんとしたが、このときも宦官らが助命を嘆願たんがんして事なきを得ていたのである。


 宦官らが何氏をかばったのは、彼女自身が宦官あるいはそれに近しい人物に取り立てられたこと。そして何より、妹が十常侍の一人である張譲ちょうじょうの養子たる張朔ちょうさくの妻であったことが関係している。

 何氏はこの行為に報いようとした。

 そして何苗も彼女と宦官の間に生じている縁を重んじた。考えるならば、ある程度成長してから出会った兄よりも、幼い時から共にいた同腹の妹への方が情が強かったのだろう。

 そうしてこの兄妹は、何進より宦官にばくす姿勢をとったのだ。


 これに困ったのは何進であった。

 さすがに兄妹きょうだいの間で分裂してしまうと、この状態で宦官勢力を滅ぼそうとすれば

──わが弟妹にも害が及ぶ

と考えたし、これに乗じて張譲ちょうじょうらも何度となく宦官粛清の実行を思いとどまるように進言していたため、実行に移すことを躊躇ためらった。

 この姿勢を見た袁紹えんしょう

「弱気になれば、それに漬け込むのが彼奴らですぞ」

と何進に決起を促したうえで、

「今の洛陽には太后たいこう(何氏)たちを御せる者がおりません。ここは地方より将士を呼び込んで、圧力をかけるべきです。さすれば太后はわれらにしたがいましょうし、宦官を抑えるのにも役に立ちます」

つまり、軍事的な圧力をもって圧し潰してしまうことを提案している。

 これに反対したのは盧植ろしょくらであった。

「たしかに地方より軍を呼べば、太后らも怯えるでしょうし、宦官が武力蜂起した時も容易たやすく対処できましょう。しかし無道理に洛陽らくようを震撼させることがあれば、のちに害が及びます。凡そこれは、剛を持って剛を制すの法。硬いものをぶつけ合って片方が砕ければ、もう片方は無軌道にその後ろにあるものをも砕きます。我々がたすけんとするものがたおすべき者共の後ろにあることを、努々ゆめゆめ忘れなさいますな」

 双方の意見を聞き届けた何進は盧植らの意見に理があるとして、慎重な態度をとっていた。

 だが四世しせい三公さんこうといわれる袁紹は、漢王朝が持ち得る力がすでに弱まっていると考えて

「いま決起しなければ、やがて大乱に繋がりかねません」

「洛陽の中にいる軍だけで突き崩そうとすれば、宦官に察知されたときにそむかれることもあります」

「帝位を宦官のほしいままにすることが大義ですか」

などといって促した結果、何進は

──致し方なし

はらくくって外部から諸侯の軍を呼び寄せると、袁紹に司隷校尉しれいこういの役職を授けたうえで洛陽周辺の軍を糾合きゅうごうさせて大軍団を作り上げたのである。

 ところが、ここまでで期間を浪費した上に、議論の紛糾した場面もあって、何進らの動きは外部に漏れていた。

 張譲の耳に入るのもその分早く、策謀さくぼうを練らせる時間を作らせることとなり

「大将軍何進、洛陽に軍をあつめている由は存じておる。ちん詔勅しょうちょくを下すゆえ、参内せよ」

という偽のみことのりで参内した何進を嘉徳かとく殿の前で取り囲み、ついに殺した。


 張譲らは偽装した詔と、何進の首をもって都の内を掌握しようとした。

 だが何進は人望があった。自らが高貴な生まれでないために、周りにいる者たちと足先を合わせることができる人物であり、そのことが宦官に対する反撃を生んだのである。

「何進将軍の仇討ちである。宦官どもは絶対に逃がすな」

 何進の部曲ぶきょくであった呉匡ごきょう、そして即戦派であった袁術えんじゅつと袁紹がおもだった軍をひきいて宮中に入り込むと、誤って手に掛かった者も含めて二千人余りを皆殺しとした。

 この混乱の中、張譲ら少数の宦官は、少帝(劉辯)と陳留王(劉協)を連れて小平津しょうへいしんまで逃げたものの、董卓らのひきいる軍勢に追いつかれて入水し、また少帝と陳留王はその周囲を歩いていたところを董卓によって保護された。

「陛下、玉体ぎょくたいに傷はございませぬかな。われらが来たからには、もう安心なさいませ」

 董卓は笑みを浮かべて問いかけたが、少帝はここまでの動乱の恐怖で唇が震えて

「すまぬ」

としか言えなかった。

 しかし、陳留王は

「陛下に傷はございませぬ。宦官らも横暴していたとはいえ、そこまで不躾ぶしつけには扱わないでしょう」

とはっきりとした目と声で董卓に応えたのである。

──これは

 董卓はこの時、目のうちに野望の火を灯した。

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