第13話 打算

 州は丘力居きゅうりききょが来襲した時にそむく民もいたものの、張角ちょうかくらがいた時よりもその数は少なく、むしろ隣接するせい州や、その南のじょ州のほうが、再びの叛乱を目論む勢力が多かった。

 これは黄巾こうきんらんが起こった後に、張角ちょうかく張宝ちょうほうの討伐に当たった皇甫嵩こうほすうが、州内で税を免除するなど緩和的な政治を敷いたからである。

 この時の緩和の範囲は民のみならず、官吏かんりにも及んだという。特に汚職をした吏士りしに対して

「貧窮させてすまなかった。いりようならば、またこれに加えて給わせよう」

とまで言って、後日改めて金銭を与えたという話が残っている。こうして金銭を追加で与えられた者の中には

──あの皇甫こうほ将軍に恥をかかせるとは

と恥じ入って自死する者も出たというのだから、この時の徳治というものは尋常のものではなかったとみることができる。

 皇甫嵩の経世済民はたった一年ばかりのものであった。しかしこれを経験して活気を取り戻した冀州の民たちは、またこうした治世となることを期待して生活することができたのである。


 顔良がんりょう

「いまだ漢王朝にはこのような優れた人がいるのだ」

と声に出して欣快きんかいの表情を隠さなかった。

 何しろ、皇甫嵩をこの目で見たこともあるし、どのような戦いをする人なのかも知っている。峻烈しゅんれつな威と寛大かんだいな徳を両立できる人間こそ必要とされているが、しかしてそんな人はこの世にそう存在しない。

──いっそ皇甫将軍が漢を治めたならば

 そう思ったが、彼に何か野心があったならば、このように人を想ったまつりごとはできなかったかもしれない。

「ならば、わたしがやるしかない」

 ともに土地を管理している次兄のしゅくと話し合って、周りにいる民たちの負担が軽くなるように何をすればよいのか話し合った。

年貢ねんぐとして納めるべき麦の量を皇甫将軍の行ったの年貢免除が終わったのちも、以前の五分の三にしばらくの間保ったのち、世情が安定したらくらにある麦菽ばくしゅく(麦と豆)から十分の七を五年間、(役所のこと)に収めるようにできないか」

という陳情ちんじょう堂陽どうようの衙に届けた。

 衙の中には兄もいる。きっとすべては聞き入れてはくれなくても、部分的には受け入れてくれるはずだ。そうおもって衙からこたえが返ってくるのを待った。


 十日ののち衙から呼び出され、出した陳情に対しての回答を得ることになった。

「先の陳情について、こちらでも検討はした。だが、先の乱によってこちらも疲弊してしまった。言われた通りの条件ではこちらも立ち行かぬと判断し、以下の通りでよいならば、これを行うことにする」

 吏士の発した言葉は顔良らの思った通りのものだった。そのために、こちらもやや数字を有利なものに設けていたのである。あとは納得のできる数字が吏士りしの口から出てくるかどうかであった。

「まず年貢の量であるが、陳情にあった通りで問題ない。向後こうご五年間は規定された量の五分の三とする」

 まずは良い結果を得られた。しかし、これからが重要だった。くらから出さなければならない作物の量が免除された年貢の量と釣り合っていなければ、いずれ破綻はたんが起きる。

「そして五年の免納めんのうを過ぎたのち、廩に蓄えられた麦菽を六年間にわたり十分の六、納めてもらう」

 顔良はこの数字を聞いて、明らかに納めなければいけない量が増えているように感じた。十分の七が五年間であれば十分の三十五となり、十分の六が六年間なら十分の三十六である。

 わずかだが納めるべき量が増えているし、何より今の不安定な世情では期間が増えるということに危なさを感じる。

 いつ、何が起こるのかわからない。廩から追加で年貢を出さなければいけない期間のうちに、また大乱が起きればそれだけ民の負担が大きくなる。それでは、本末転倒でしかない。

「それでは、納得いきません。われらが望むのはみなが安心して食えることです。徴税におびえながら過ごすことになれば、また民は安住の地を目指して流浪します。それが何を呼ぶのかは吏士殿もお判りでしょう。どうか賢明なご判断を」

 顔良は語気に力を入れた。この機を逃せばまた天下が危うくなる。それを避けるための一歩が、この陳情にある。そう信じて疑わない彼は一歩も引かない覚悟で、いや、捕らえられ罰される覚悟でここにきている。

 吏士は黙った。しかし表情を見るに、顔良の言葉にむっとしたのではない。自らの中にある義心と、官吏として収支を考えなければいけない心とがせめぎあっているのである。

 吏士の姿を見た顔良は、その表情に明るさを見た。

──きっとこの人は、受け入れてくれる

 その確信を持った時、うつむいていた吏士は顔を上げて

「わかった。むしろ、三年。十分の八とできないかを掛け合ってみよう」

 蓄えられたほおひげを揺らしながら発した言葉が耳に届いたとき、顔良は喜色を満面にした。

 この努力はすぐに周囲の人に届き、三度顔良はたたえられることになる。

 このころにはすっかり堂陽のあたりで有名になり、がん叔善しゅくぜんの名を知らぬ人は居なくなったといえる。

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