第8話 燎火

 顔良がんりょうの属した軍は、朝になると城を出立。堂陽どうようから北に向かい、ある程度進んだところで、阜城ふじょうから向かってくる黄巾賊こうきんぞくに対して迎撃の構えをとり、その場に留まるために営所を築いた。

 夜になると、兵卒たちにかゆが一杯ずつ配られる。顔良もそれを受け取ってにわびのそばですすっていると、長軀ちょうくの老兵が一人、隣に腰を下ろし

「ちょいと宜しいか」

と鐘を鳴らすような音声で話しかけてきた。

「はい、如何様いかようでしょうか」

 顔良はその老兵をみたとき

──この人からは優れた気が満ち満ちている

と感じたが、声や態度には出さず淡々と返事をした。

「さきに堂陽どうようで兵を集めていただろう。その時に兵を管轄かんかつする物が、今回加わった者の中で一番智勇のあるものは誰かと聞いたのだ。すると皆ががん叔善しゅくぜんだと言ったらしくてな。いてもたってもいられず、こうして顔を見にきたのよ」

声は笑っているが、顔はいかめしい。

──この人は誤解を受けやすい人かも知れぬ

 顔良はこうして近づいてきた理由を詮索せんさくする意味も込めて、敢えて問うてみた。


「そうですか。いまこんなことを聞くのも変ですが、この反乱が終わったとして天下が再び治まると思いますか」

 老兵は不意を突かれたのか、顔良を見つめたままに口を閉ざす。一度瞬きをしたのち、ゆっくりと話し始めた。

「荒れる、だろうな」

 顔良はその顔がくもったのを見逃さなかった。

──きっとこの人も、父と同じような憂士ゆうしである

 そう感じて、続けて言葉を投げかける。

「ならば、その原因は何でしょう」

「さあ、われにも解らぬ。あるいはこの国が、あるいは天そのものが、望んでおるのかもな」

──天命にその理由を求めているのか

 顔良は拍子抜けしたような気分に陥った。この人からは、もっと実体を持った言葉を聞きたかったからだ。目を燎に向けて粥を注いだ椀に口をつけ、そして啜った。

「それで。聞くばかりではつまらなかろう。お主はどう思っておるのだ」

 逆に聞き返され、自らの思うところは何なのかを実際に口から出す。

「わたしも荒れると思っています。此度こたびの乱が起こったのも、もとは民が貧窮したからです。凶作となりくらを満たせないままに皆が飢えているにもかかわらず、官衙かんがからは次の政柄せいへいはだれが握るのかという争いばかりを聞き、民を思って政治をしたという話を聞きません。それなのに、民たちをだれが責められましょうか。私が思うに官吏かんりたちがその態度を改めない限りは、第二、第三と乱がおきて収まらないでしょう」

 老兵は首肯しゅこうをしながら顔良に目線を送り続けている。

「ふむ、それで」

「そののち国の力が削がれた分、対処は難しくなり、中華はやぶれていってしまいます」

 老兵は眉をぴくりと動かした。

「随分と悲観的だな。おぬしは実際に官衙に上ったことはあるのか」

「いえ、堂陽のあたりでずっと田畑を耕しておりました」

「そうか、そうか」

 顔良は老兵の笑った顔を始めてみた。しかし身にまとう雰囲気はさきとは一変したといって良い。

「おぬしの言ったことにはふたつの正しいことと、ふたつの間違いとがある。よろしいかな」

 何を言い出すのか、それを注聴しようと身を乗り出した。


「まず正しいこと。この乱がおこったのは饑饉ききんとそれをないがしろにする者たちが大本になったということ。これは特別言わなくても、もと民として田畑を耕していた者たちならば皆が知っていることだ。この問題が根付いている限り、不満を持った民が蜂起してまた乱がおきるというのも然り。これでは延々と回廊かいろうを歩くようなものだ」

 むろん、これは皆がわかっていることだから何も言うことはない。しかし気になるのは間違っていることとは何かという点である。

「そして、間違っていること。この状況で一番笑うのは誰だと思う。」

 突然の問いに口ごもってしまったが、しばらく考えたのちに

「乱の首魁しゅかい、でしょうか」

と答えたが、老兵がまた肯くことはなかった。

「違う。乱の首魁はわれらが必ず討ち果たす」

「ならば、だれですか」

「それはな顔叔善、各地の諸侯や隠れて爪を研いでいる者たちよ」

 顔良は目を見開いて老兵を見た。

「老父殿、滅多なことは言わないでください。あなたの言っていることはすなわち」

「ああ、そうだ」

 顔良は粥の入った椀を地に置いて、身を乗り出す。それを老兵が手で招いて、耳元に手を翳した。

「世の中には野心を持った者がいるものだ。世に乱れが生じると必ず幾人いくにんかは天下を狙う。いま戦っている黄巾賊の首魁、張角ちょうかくのようにな」

 耳元から離れた老兵は手の指を二本立てて

「わしはそういった者を少なくとも二人、知っておる」

と示した。

 顔良は

──誰が

と言いかけたがその言葉をぐっと飲みこみ、誰にも言うまいとはらに決めたのである。

「そしてそういった者たちがいる限り、中華は弊れぬ」

 言い切った老兵が立ち去ろうとしたとき名前を尋ねたが、笑ってはぐらかされて結局けなかった。

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