第7話 黄巾

 五年ほど経った光和こうわ七年(184年)に入ったころ、各地のに奇妙な落書きがされるようになった。白亜はくあを使って

「甲子」

と書きつけられたことに不吉を感じた朝廷は、各地にその調査を求めた。


 甲子かっし十干じっかん十二支じゅうにしの初めの文字である「こう」と「」が重なっていることから、何か大きな変事がおこる、という認識が一般であった。そのこともあって、巨大な叛乱はんらん勢力が眠っているのではないか、という判断が下されたのである。


 この影響があって各地で取り締まりが強化された結果、唐周とうしゅうという人物がこれを恐れて密告をしてきた。

──馬元義ばげんぎという人が、洛陽らくように出入りして宦官かんがんに連絡を取り、外で太平道たいへいどうの信徒らが決起するのに合わせて都の内でも兵を起こし、天子を捕らえることを約束させている

 この知らせを受けたその日のうちから宦官や兵士らに尋問を行い、これに加わったと疑われるものを尽く捕らえて誅殺ちゅうさつしたほか、馬元義を探し出して市場に引きずり出し、車裂きの刑に処した。

 これに太平道の首領である張角ちょうかくは、ただちに各地の信徒らに報せを送り、各地の官衙かんがを襲わせて蜂起ほうき決行のしるしとしたのである。


 ただ、もともと準備をしていた朝廷側と、慌てて蜂起した張角の側とでは統率の差が出た。

 れい帝は臣下の諫言かんげんに従って、党錮とうこきんによって追放されていた官僚たちを官界に復帰させた。これは優秀な人材を再び表舞台に立たせるだけではなく、そういった人材を叛乱者側にくみさせないための処置でもある。

 そして各地の主だった反乱地域に対して、王朝の中でも特に優秀な人物に軍をひきいさせて差し向けた。


 果たして、彼らが向かった先で見た光景は、黄色い頭巾で頭をくるめた人々の海だった。ゆえに、この一大動乱をのちに

黄巾こうきんらん

といい、叛乱した人々が結託した集団を

黄巾賊こうきんぞく

と呼んだ。

 顔良がんりょうたちも、当然この大きな乱の波に揉まれることとなった。


 各地の広い版図はんとで起こったこの乱は、張角がいる州においても大々的に行われた。五年前の反乱の際に威徳を示して難民を受け入れたことが生きたのか、顔良の周りの小さい範囲では加わるものも少なかったが、それ以外の地ではそのほとんどにおいて民衆が蜂起した。

──堂陽どうようにも大きな波が来る

 顔良と次兄の顔粛がんしゅくは、あの時と同じように民を集めて城に逃げ込むことを選んだ。以前は数百人だったが今度は千人を超える規模での移動になる。しかし、顔家の人物がいかなる性か知っている彼らは逆らうことなく、素直に従って城へのみちを歩んでいった。


 門前で官服を着た長兄の顔毅がんきが民たちを城の中に促していた。顔良たちもその前を通ったが、長兄は一瞥いちべつもせずに

「早く入れ、夕刻には閉めるぞ」

と呼びかけを繰り返している。

──この中にいて私心を持ち込まない兄は逞しい

と顔良は思った。兄や父も同様なことを思っていたようで、堂々とした態度で門をくぐった。


 三日三晩ののち、遠くから太鼓の音が聞こえてきた。

──官軍か

 そう思った衛兵たちが城壁の上に上って、手で陽の光をさえぎりながら遠くをる。

 大きく、朱色に染められた旗。間違いなく官軍だ。

 この報せを聴いた吏士たちは城壁上に漢に属することを表す旗を挿すように指示し、自らは門のもとへ向かった。

 官軍が城に着くと、門を開けてこれを迎え入れた。軍についていた使者の一人が布帛ふはくを広げて、そこに書いてある内容を読み上げる。

「我らは朝廷より命を受け、黄巾の賊を討つために遣わされた、持節じせつほく中郎将ちゅうろうしょうの軍である。くらを開け、義勇の者がいればこれを軍に徴発ちょうはつし、恭順きょうじゅんの姿勢を見せるべし」

 そういわれた吏士りしたちは廩から麦やまめを出して官軍に渡すと同時に、城に集まった民衆から軍に参加しようと言う若者を募った。


 夕刻。軍が城の周りに駐屯の準備をする中、民の受け入れをあらかた終えた長兄の顔毅が、顔良らのいる街のに姿を現した。

「兄上」

「嗚呼、みな無事で何よりだ。われは今から義勇兵らをあつめにいかねばならんのだ」

「そうでしたか。ならば、ちょうど良かった」

「ちょうど良いとは、まさか」

「わたしも兵として参ります」

りょう、相手は已然いぜんの体の整わぬ賊とは違う。一国の軍を相手にするようなものなのだぞ」

「承知しております。しかしながら、わたしを三男の身でありながら育ててくれた恩義に報いたいのです。行かせてください」

 顔良の目は爛々らんらんと輝いていた。あまりに真っ直ぐ気魄きはくを向けてくる末弟の姿に、顔毅は断らないわけにもいかない。

「良よ」

父が口を開いた。

「これからは絶えず世が乱れようや。もしお前が死ぬことがあれば、慚愧ざんきに耐えん」

 息を漏らす父の姿を見た顔良も往くべきなのかを迷ったが、次兄の粛は彼の背を推した。

「父上、かつて大事を成すのは必ずや良だと言っていました。かれが雄飛する機会はここなのではありませんか。いまこそ勇ましさを評して行かせてやるべきです」


 顔良の父には、次男の粛の方が自分よりもよほど家の中を見ているのではないか、という思いがある。学業に齧り付いていた自分よりも、畑で身を焦がしながら人の中に置かれた彼の方が人を知ってはいまいか。その負い目とも言える感情が父から

だく

というひと言を引き出したのである。

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