第4話 太平道

 竇武とうぶらの死からから十年が経った。顔良がんりょうはこの頃にはすでに二十歳をすぎ、

叔善しゅくぜん

という字を使うようになっていた。


 家を実質的に管理している次兄とともに家と畑を耕すようになり、何かを取りまとめるという経験を経た彼は、あたりを飛び交っている数々の不祥事について

──これが続くのならば、国家が持ちえることは有り得まい

と確信した。それと同時に、これからは世が荒れるという危惧が顔良の中に生まれたのである。


 さて、ついこの頃から州、いや中華一帯の地でこう言った噂が流れるようになった。

太平道たいへいどうという教えが、民の間に流布されている」

 不安定な世情の中、民たちが何かにすがるのは当然のことである。この教団は符水ふすいや術をもって病人を看病するほか、内省に努めさせることで自らの病を治すということをしていた。作物を十分に蓄えられない民にとっては水を与えられるというだけでも恵まれていることだし、内省すれば病が治るというのであれば、それに己の身を託すのは何も不思議なことではない。

 そしてなにより、ここ最近の凶作が続く中では、自らの身を安んずることができる場があるというだけで、そこに人が集まるというのは必然の事象である。


 だが気になる部分もあった。

 まず彼らの教義の上では、特段に内省を要求されて、病が治らなければそれが足りないと理由づけされるのだという。しかし病というものは外からか、あるいはもともと内にいるむしがその人の臓腑に巣食って生じるものであって、多少は影響したとしても、その人の精神に準じるというのは少し強引であるように思える。

 そしてもうひとつ。あまりに教えが広まるのが早すぎるという部分である。ふつう、こういった教えというものは孔子がそうであったように、己が何かにしたがう姿勢を見せ、そしてそれに共感するものが出てくることによって大きくなっていき、これが噂によって誰かの耳に入っていくことで広がるものである。

 しかし太平道では聞くところによると、自らの弟子の中でも優秀な者を「すい」として各地方におもむかせて統括しているのだという。そうして彼らに教えを流布させることによって、またそれぞれの地方で信者を獲得している。


 これを聞いた顔良は即座に

──これでは指導者を天とする国を作ろうとしているようなものだ

と勘ぐった。

 「信仰」というにはあまりに組織化されすぎている。もしも頂に立つものが漢に反旗をひるがえさんとしたならば。ただでさえ民は国に恨みを持っている。顔良は眉をひそめた。 


 その後、太平道に関する情報が顔良のもとに入ってくるのは早かった。それもそのはずで、教祖である張角は鉅鹿きょろく郡の出身であり、また本拠もその辺りに置いていた。

 物理的な距離の近さが、情報伝達の速さと正確さにつながっていたのである。

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