7-1


 やがて前方に、再び青々とした陸が現れました。

 小さな神さまたちは、無言で陸の迎えを受け入れました。海が陸に接する境界では、白砂が弓なりの陸の縁を美しく彩り、漁をするにんげんたちのきまじめな営みがそこここに見えました。しかし小さな神さまは、そんなにんげんたちをもう見ようとはなさいませんでした。お目はただ前方のみを見つめ、お口元は固く閉じられているだけでした。

 やがて、なだらかな山並みをいくつか越えると、向こうからおふた方の神が、こちらにおいでになるのが見えました。小さな神さまはふと竜をとめ、その神さまたちが来られるのを待ちました。

「大遅此芽稚彦の神でいらっしゃいますか」

 おふた方の神は、小さな神さまのお前に立たれますと、ていねいにお辞儀をなされ、声をそろえておっしゃいました。小さな神さまも額を下げられ、ごあいさつをなさいました。

「にんかなの神でいらっしゃいますか」

「いいえ、わたくしどもは単なる遣いのもの。あなたがたがいらっしゃるのが分かりましたので、にんかなの神がお迎えにいってこいと仰せになったのです」

 おふた方の神は、どちらも白と金の美しいお衣装をまとっておられ、お首元には青やら朱やらの美しい瓔珞を回されておりました。細やかな輪郭をすがすがしい光が囲み、何やらそばにいるだけで、マによって沈みがちであった小さな神さまのお心が、癒されていくようでありました。

 やがて、おひと方の神が、そっと手を出されておっしゃいました。

「そのお手の上のものは、どうぞこちらに」

 見ると、小さな神さまのお指の上で、チコネはすやすやと眠っておりました。

「これは、久香遅の神より託された大事な核です。久香遅の神は……」

 小さな神さまがおっしゃるのをさえぎるように、もうおひと方の神が笑顔でおっしゃいました。

「すべては分かっております。ご安心なさいますように。大事にお預かりいたします」

 それでも、しばらくの間、名残を惜しむかのように、小さな神さまはお指のチコネをなでておられました。

「永遠の別れはないものでございます」

 おひと方の迎えの神がおっしゃいました。小さな神さまは一息つかれますと、お指からチコネを解き放ちました。チコネは、ふらふらと蛍が飛ぶように、お遣いの神の手元に吸い寄せられました。

「では、どうぞこちらへ」

 おふた方の神は小さな神さまの両脇に並ばれますと、にこやかにほほ笑まれて、小さな神さまをいざないました。小さな神さまは、無言で、従いました。

 そこから、連山の帳を二つほど越えると、不意に、空の下に広がる巨大な山容が、眼前を領しました。小さな神さまは、その大きさとみごとな形に、声にならぬ声を、あげました。

 大羽嵐志彦の神の、おっしゃった通りでした。にんかなは、小さな神さまがこれまで見たどのような山とも違う、またとないほど美しい峰でした。

 それは、未だ見も知らぬ貴いお心の、天よりもたらされた吐息の静かな広がりのように、大地に向かって広々と、涼やかに、垂らされておりました。天に向かう大地の勇猛な野心は微塵も感じられず、まるでひとひらの風に描かれた巨大な絵のように、軽々と眼前に座し、それでいてその膨大な山量からくる威容には、神をも人をも、涙をもってひれふさせるに十分な力がありました。小さな神さまは圧倒され、お目に涙を灯されました。

 お遣いの神が峰の向こうに消えた後、小さな神さまは山のふもとの鏡のような湖のほとりに、ふんわりと降りられて、さえざえと澄み渡る感動に導かれるまま、声高らかにおっしゃいました。

「にんかなの神はいらっしゃいますか」

「どなたでございましょうか」

 まるで、鈴を風の中に千も転がしたような、澄んだ美しい声が、天空に染み通りました。小さな神さまは、ひざを折り頭を垂れられて、改めてていねいに名乗られ、ごあいさつをなさいました。すると、ふと空気が揺らいで、それまで美しい山であったものが、それは大きなお美しい女神の姿に変わりました。

 女神は青い色をした、みごとなお衣装を着ておられ、その裳裾はゆったりと大きく広がりながら、豊かなひだをそこここの谷や湖畔や川べりに、すべりこませておりました。そのお顔は峰の雪のように白く、たそがれ時の雲のばら色が、ほおの辺りを鮮やかに染めていました。そのほほ笑みは限りなく優しく、なつかしく暖かい光が、お顔の周りにまぶしく満ちていました。

 小さな神さまが、ぼんやりと見ほれておりますと、にんかなの女神はにこやかにおっしゃいました。

「にんげんをご所望でございますか」

 小さな神さまは、ふと我にもどりました。実のところ、どうすればいいか、決めかねておられたのです。


 






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小さな小さな神さま 青城澄 @sumuaoki

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