第18話 初めてのキス

「……レア……カトレア……」


 耳元で聞こえる聖女の声。夢から引き上げられる意識。眩しい視界。


「……んん……っ……」


 ボーッとしたまま目を開く。薄っすらした視界。目の前に聖女の顔。


(……あれ? まだ、夢見てる、のか……)


 それもいい。こんな幸せな夢なら、ずっと浸っていたい。


 手を伸ばし、聖女の頬を両手で包む。


「えっ……カトレア、いきなり何を……んむっ⁉︎」


 ちゅ。


 口付け。本当はずっとしたかった。夢だからする。隠す必要はない。


「足りない」


 もっと。ついばむように何度も。――足りない。舌で唇をなぞる。開きかけた唇。舌を滑り込ませる。


「ちゅ……んっ……せい、じょ……もっと……」


「んんーっ!」


 夢なのに生々しい感触。聖女の鼻息が荒い。口が溶けそう。唾液が絡み合う。


「……ぷはっ」


 やっと離す。二人の間、朝日に煌めく糸が伝う。


「くはは……ようやく手に入れたぞ、お前を」


 耳まで真っ赤な聖女。なんか髪が短い。イメチェンだろうか。


「……カトレアに……キス、された……」


「…………ん?」


 次第に意識がハッキリしてくる。夢みたいにフワフワしてない。ベッドの柔らかさ。体の感覚。互いの唾液で濡れる唇。どれも現実の生々しさ。


(……いやいや、そんなことあるわけ……んん?)


 手に当たる固い感触。視線を落とすと、聖女のパジャマ、ズボンが不自然に盛り上がっている。


(なんだこれ。聖女に尻尾なんて生えてたか?)


 ツンと触れる。ビクンと震える。確かめるためにギュッと掴む。聖女の腰が跳ねる。


「や、やめて、カトレア……そこ、ダメっ……」


 ……聖女じゃない。こいつ、ナルルだ。それじゃあ今ふにふに握っているモノは――。


 もう一度観察。固い、大きいナニか。


 思い至り、顔が一気に沸騰した。


「…………きゃああああああああッ‼︎」


「ぐへあっ⁉︎」


 ナルルの頭に全力魔王チョップ。脳天をかち割る乙女の一撃。


 ナルルの体がベッドに沈む。ピクピク痙攣し、やがてパタリと力尽きた。


「か、カトレア様⁉︎ 今の悲鳴は……ひいっ⁉︎」


 すかさず部屋に飛び込んで来たコークス。無惨に力尽きたナルルを見て、小さく悲鳴を上げた。


「変態! レイプ魔! 出てけええええええ!」


 ナルルを持ち上げる。青ざめたコークスにぶん投げる。


「ごわあっ! ……な、ナルル様ああああ!」



 こうして二人の初キスは、物騒で慌ただしい事件と化した。




 一年三組の教室。ミミがホワイトボードの前で講義している中、カトレアはボーッとしていた。



「それではこの問題を……カトレアさん。どうぞー」


(ナルルとキス……我から……しかも、あんなに固くなってた……)


 思い出し、窓の外を眺める。上級生が校庭を走っている。


「か、カトレア、先生に指名されてるよ?」


 隣から変態の声。聞こえない。顎に手を付きため息を漏らす。


「……ナルルの唇……柔らかかったな……」


 思い出し、自分の唇をなぞる。唇が甘く痺れる。


「カトレア、聞いて。ミミ先生を無視しないでっ!」


 肩に触れるナルルの手。体がビクンと反応する。振り向くと、ナルルの顔がすぐそばに。


「はうっ! や、やめろ、ナルル! 我をどうする気だ! ここ、こういうのはまだ早い!」


「ちょっとカトレアさーん? 先生の話聞いてますかー?」


「聞いてない! ナルルに犯される! 助けろ!」


「……何言ってるのあの子……じゃあこの問題をエクレールさん、お願いしまーす」


「はーい」


 ミミに呆れられた。ナルルはギョッとして手を離す。


 ……もっと触ってほしいのに。


「……ごめん、カトレア。中々起きてこないから、起こそうとしただけなんだ……」


「……きらい。我のファーストキスを奪って、あんなに興奮してた変態のくせに」


「カトレアからしてきたのに……」


 聞こえない。無視。全部ナルルが悪い。危うく襲われるところだった。


 会話を聞いていたサーガがジーッと見てくる。前の席のフレイムの耳もピクピクしてる。盗み聞きとは不敬なやつらだ。


「うるさい。もうナルルなんて知らん。今後我からするまでチューしない。お前からは禁止だ」


 主導権も純血もカトレアのもの。オオカミには譲らない。


 なのにナルルの顔が緩む。


「……えへへ。うん、それでいいよ」


「なんで嬉しそうなんだ、変態」


 もういい。可愛いからそのしてやろう。けどこいつを縛り付けてからだ。


「だって嬉しかったもん。カトレア、すっごく積極的で……」


「それ以上言うな。魔王チョップが火を吹くぞ?」


「は、はい」


 躾完了。エッチなことは許さない。だってまだ早いから。


 淡々と進む授業。食堂で満たされた腹。本来なら眠くなるはずが、ちっとも眠気がこない。


 隣で微笑みかけてくるナルルを無視し、手元のノートに視線を移す。


(……そうだ。我は今度こそ聖女を……ナルルを信じると決めた。どうして忘れていたんだ……)


 生まれ変わり、物心つく頃には記憶に目覚めた。その頃に発現した闇の魔力。なのに肝心なことを忘れていた。


 教室を眺める。人間も魔族も、皆平和に過ごしている。


(我の願いは……とっくに叶っていたのか……)


 思い知る。魔族を守りたかった。魔王として再臨し、全ての魔族を導きたかった。


 だがその願いは、もう捨てていいのかもしれない。


「……魔王など、もう古いのかもしれないな……」


 ようやく実感する。今の平和を壊す権利、自分にはないんだと。聖女を殺し、浄化されたあと、魔族と人間は多くの犠牲のうえに平和条約を結んだ。


 これこそ自分と聖女が望んだ世界なんだろう。


 チラリと横を見る。聖女と同じ優しい笑顔。もう争う理由も、拒否する理由もない。


「……ナルル」


「はいっ」


 覗き込んでくる子犬。好き。愛しい。周りの音が消える。


 顎をクイと持ち上げる。


「…………好きだよ」


「んっ」


 軽く重ね、すぐに離す。トロンとするナルル。カトレアも多分同じ顔。ちょっと大胆だっただろうか。


「……幸せ」


「ばか」



 こんな幸せがずっと続いてほしい。


 二人でホワイトボードに向き直り、カトレアの心は満たされていた――。

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