第二章「囁きの行方」 1/2

「…………へ?」


 視えた未来の内容があまりにも現実離れしていて、思わず間の抜けた声を漏らしてしまったことに数拍遅れて気づく。

 そして、その光景がただの幻ではなく、これから起こりうる可能性なのだと理解した瞬間、わたしは自分の顔から血の気がすうっと引いていくのを感じた。


「どうかなされましたか? 顔色が優れないように見受けられますが」


 彼はわたしの顔色を心配し、声をかけてきた。


「いっ、いえいえ、ぜんっぜん大丈夫ですよ! ちょっと調子が悪いのか、変な未来を視てしまい……」

「変な未来……ですか?」


 言い淀んだところで、喉の奥がきゅっと締めつけられる。

 ──一人で抱えるには、あまりにも重すぎる。

 客にここまでのものを見せられて、何事もなかった顔で送り出せるほど、わたしは図太くなかった。


「……正直に申し上げますね」


 気づけば、自分でも驚くほど素直な声でそう告げていた。


「あなたが、支配することに魅入られ、数えきれないほどの人々を死へと追いやり……その果てに、“監視者”をこの世界へと降ろしてしまう──そんな未来が、視えてしまったのです」


 言い終えた途端、室内から音という音が消えた。


 彼は、しばらくのあいだ何も言わなかった。

 瞬きも忘れたように伏し目がちになり、そこだけ時間が止まったみたいに動かない。

 わたしの心臓だけが、やけにうるさく脈打っている。


 そして──ふっと、彼の肩が揺れた。


「あははっ」


 最初は、喉の奥で押し殺したような笑い。

 それがじわじわと形を持ち、やがて彼は小さく首を振りながら、くすりと微笑んだ。


「失礼。あまりにも……そうですね、物語じみていたものですから」


 顔を上げた彼は、どこか困ったような、それでも礼儀を崩さない笑みを浮かべていた。


「ただ作り話にしては、なかなか残酷な筋書きですね。そして、“監視者”とは何でしょう? 聞き慣れない言葉のようですが」


 ああ、やってしまった。

 わたしは内心で頭を抱える。


 本来なら、もう少しぼかして伝えるべきだった。

「近い将来、気をつけなければ人を傷つける可能性がありますよ」

 ──せいぜいその程度で止めておけばよかったのだ。


「す、すみません! 今のはその、忘れてください!」


 勢いよく立ち上がり、慌てて言葉を重ねる。


「たぶん、今日のわたしは調子が悪いんです。だから変な未来を混ぜて視てしまって……ほら、占いって、体調とか気分にも左右されるものでして!」


 自分でも苦しい言い訳だとわかっていた。だが、そう言わざるを得ない。


「料金も、お返しします!」


 わたしは無意識のうちに、さっき受け取った金貨に手を伸ばしていた。


「今のは、ただのわたしの悪い妄想ってことで! なので、これは──」


 差し出した手を、彼が軽く手のひらで制した。


「いえ、面白いお話を聞かせていただきました。そのお代だと思えば、むしろ安いくらいです」


 そう言って、彼はすっと立ち上がった。

 椅子を引く動作ひとつ取っても、育ちの良さがにじみ出ている。


「本日は、ありがとうございました。……私がそのような怪物になるかどうか、楽しみにしていてください」


 それが彼なりの気遣いなのか、あるいはジョークなのか。

 その境目が判然としない微笑みを浮かべたまま、トレーソン・イニーツィオは布の扉の向こうへと姿を消した。


 追いかけて、さっきの言葉を真剣に取り消すべきか──そんな考えが一瞬だけ頭をよぎる。

 けれどわたしは、その場から動けなかった。

 水晶の中に揺らめく残像と、指先に残る金貨の重みだけが、先ほど視た未来が夢でも冗談でもないことを嫌というほど思い出させてくるのだった。


* * *


 領主会議というものは、どうしてああも退屈なのだろう──重々しい扉の外に出た瞬間、私は小さく息を吐いた。


 議題は税率の調整と収穫高の見通し、それに各地の治安状況。最近は市民と貴族とのあいだに広がる貧富の差が問題視されている。

 貴族として欠席はできない。発言も求められる。

 私は与えられた役割をきちんとこなし、求められる返答をそつなく返し、いつも通りに会議を終わらせた。


 それでも、胸の奥にはやはり、ぽっかりとした空洞が残ったままだった。


 ──あなたが、支配することに魅入られ、数えきれないほどの人々を死へと追いやり……その果てに、“監視者”をこの世界へと降ろしてしまう。


 ヒノーデル地方の占い師が告げた言葉が、不意に脳裏をかすめる。

 彼女の語り口は真剣そのもので、目も笑ってはいなかった。

 だが、あの話を本気で信じるほど、私は純朴ではない。


「作り話にしては、よくできていましたがね」


 自嘲気味に笑い、会議場前の廊下で控えていた従者たちに目を向ける。


「ご苦労。気分転換に、四輪想駆ビークル・ソドを走らせてきます」

「ですが旦那様、これからお屋敷にて──」

「あとで戻りますよ。首都の風を感じることくらいは、許されてもよいでしょう?」


 従者はなおも口を開く。


「せめて護衛をお付けいたします。万が一ということも──」

「必要ありません」


 私は穏やかな笑みを崩さぬまま、きっぱりと言い切った。


「これ以上、私の行動のすべてに付き添われるのは、少々息苦しいのですよ。短い散歩すらひとりにさせてもらえないのであれば、さすがに考えものです」


 従者が一瞬、言葉に詰まる。主の機嫌を損ねたくはないのだろう。


「……承知いたしました。どうか、お気をつけて」

「ええ。すぐ戻りますから」


 四輪想駆を一台だけ出させる際にも、「今回は誰も付けなくてよい」と念を押す。

 普段なら渋い顔をされるところだが、領主会議をそつなくこなした直後ということもあってか、誰も強くは食い下がらなかった。


 やがて私は、一人きりで操縦席に腰を下ろし、静かにエンジンをかけ、街道へと走らせた。

 ヒノーデル地方を目指したのに、はっきりした理由があったわけではない。ただ、頭の中に地図を思い浮かべたとき、自然と進む先がそこになっていただけだった。


 時刻は、ちょうど夕暮れどきだった。

 空の端がゆっくりと茜色に染まり始めたころ、街の小さな広場へとたどり着く。

 人々は皆、仕事帰りなのか、足早に私の前を通り過ぎていく。

 その中心で、簡素な椅子に腰かけ、弦楽想具リュート・ソアを抱えて歌っている美しい女性がいた。


 名誉ではなく、ただ日々を紡ぐために歌っている──そんな素朴さと強さが混ざった声だった。

 私は思わず足を止め、最後の一音が消えるまで耳を傾けていた。


 曲が終わり、ひと呼吸置いてから、静かに拍手を送る。


 ぱち、ぱち、と控えめに鳴らされる手の音に、女が顔を上げた。

 栗色の髪を後ろで束ねたその女性──アンナは、一瞬だけ驚いたように目を丸くし、それから照れくさそうに笑う。


「ありがとうございます。こんな片田舎の歌を、わざわざ立ち止まって聞いてくださるなんて」

「いえ。とても良い曲でした」


 ありきたりな賛辞を避けるように、私は慎重に言葉を選ぶ。


「ただ、最後の一節。あそこだけ、ほんの少し震えていましたね」

「え……?」

「惜しいくらいです。あそこさえなければ完璧だった」


 アンナが瞬きを繰り返す。

 歌を褒められることはあっても、そんなふうに“わずかな濁り”を指摘されたことはなかったのだろう。


「……わかるんですか?」

「ええ。曲はとても美しかった。だからこそ、あの震えが余計に目立ってしまったのかもしれません」


 貴族としてのたしなみとして、音楽には最低限の心得がある。そのせいで、あの一瞬の揺らぎに気づいてしまったのだ。


「きっと、何かお悩みがあるのでしょう。それを隠したまま歌おうとして、ほんの少しだけ音になって滲んだ──そんなふうに私には聞こえました」


 アンナは観念したように小さく笑った。


「……ふふっ、すごいですね。あたしがよく通っている占い師のようです」

「奇遇ですね。私も先日、その占い師を訪ねたところです」


 思わぬ共通点に、ふたりのあいだの空気がふっと和らぐ。

 それから、ぽつりぽつりと、身の上話をこぼし始めた。


 夫がいること。最近はうまくいっていないこと。

 将来への不安、歌にしなければ自分を保てないほどの息苦しさ。


 私は黙って耳を傾けた。

 どこで相槌を打てばいいのか、どの言葉を拾えばいいのか──細心の注意を払いながら見極めていく。


 慰めすぎず、突き放しすぎず。

 否定も肯定もせず、ただ「あなたは悪くない」とだけすくい上げる。


 そうして話を終えた頃には、アンナの表情は少しだけ軽くなっていた。


「不思議ですね。初めてお会いしたのに、こんなに話してしまうなんて」

「それだけ気が楽になったという証拠ですよ」


 その日を境に、私はヒノーデル地方に足を運ぶたび、広場に立ち寄るようになった。

 アンナもまた、私が来ているとわかると、どこかほっとしたような笑みを見せる。


 夫のことを、彼女が打ち明けるのはもう少し先のことになる。

 手を上げられていること。逃げたいのに逃げられないこと。


 だが、その真実に私が触れる前から、既に一つの事実が形になり始めていた。


 ──アンナは、私に依存しつつあった。


 自分を理解してくれる人。

 自分の弱さを、責めずに受け止めてくれる人。

 苦しさを言葉にしたとき、それを整えて返してくれる人。


 私自身も、気づいていなかったわけではない。

 彼女の視線が、次第に私だけを追うようになっていくことに。


(……悪くは、ない)


 誰かが自分の言葉を待ち、自分の表情ひとつに揺らぐ。

 その感覚は、普段参加している会議で覚える空虚さとは、まるで別物だった。


 このときの私は、まだそれを「支配」とは知らなかった。

 ただ、人に頼られ、縋られ、必要とされることの心地よさを、無自覚のまま享受していたにすぎなかった。

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