第4話 五百年の孤独デスカ?

 目を丸くして硬直する私をよそに、彼は水中に膝をつき、私の血塗れの足を優しくすくいい上げた。そして足裏に躊躇ためらいなく唇を押し当てる。


「うぎゃ!」

 びっくりして、乙女とは思えない声が喉から飛びだした。

 異性への初めてのキスが足の裏とか、どんな嗜好、いや思考回路なのよ、闇の王様は!

 だけど不思議なことに彼が唇を離すと、足底の傷も痛みもなくなっていた。


「癒しの魔法?」

 そう尋ねたけど、彼は無言のまま反対の足にも優しく口づける。


「我となんじ運命さだめときは五百年という無名の夜を越え、今宵こよい交わった」

『五百年生きてきて、ようやく運命の相手に会えました、だって』

 ヴェルミリオンのくせつよな言葉を、アビスがすかさず通訳する。


 五百年も独りだったせいで、普通の話し方ができなくなったのかな?


「運命とか花嫁とかどうだっていいの。私はただ神殿を――」

 そう言いかけた時、後方から大勢の足音と怒号が近づいてきた。水晶天井が割れた音に衛兵や神官たちが気づいたのだろう。


「何をやっている、アストリア!」

 その中には法衣を乱し、慌てた様子のゼレフィス様の姿もある。


「魔物を倒せ!」

 男たちがこちらに向かってくるが、ヴェルミリオンは涼しい顔で私をお姫様抱っこした。


『今から飛ぶから舌噛まないようにね~』

 アビスが半透明な肉球で私の口をぺちぺちと叩く。


「えっ、私、神殿をぶっ壊してほしいだけなんだけど⁉」


万象ばんしょうを無にすこと刹那せつな。されど汝の安寧こそ最上位命題」

更地さらちにするくらいいつでもできる。まずは君の休息が先だよ、だって』

 彼は問答無用で夜空へ浮き上がる。


「お前は聖女だろう!? 少しは抵抗しろ!」

 ゼレフィス様が焦りと苛立ちを含んだ声で叫んできたけど、私は目を閉じて気絶したフリを決め込んだ。


 ――あー、あー、何も聞こえな~い!

 私の人生は私のもの。たとえ行き先が地獄だとしても、絶対にこの力で道を切り拓いてみせる。


 夜風の中、彼が私の体をどこかに下ろす。目を開けると、そこは巨大な三つの頭を持つ黒い犬の背の上だった。それは軽やかに宙を駆けている。


「な、なにこれ!?」


此獣しじゅうは門であり、刑であり、境界。冥界と現世の狭間に座す我がしもべなり」

『番犬のケルベロスでーす。ロッシーって呼んで』

 アビスが通訳すると、ロッシーは舌を出して嬉しそうに「がう」と鳴く。


「モフモフであったかくて気持ちいい……」

 人をだめにする毛並みに埋もれながら、白亜の神殿を肩越しに振り返った。その存在がどんどん小さくなっていく。


 さよなら、ブラック職場。私は未知の場所で新しい人生を始めます!


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