第2話 昇格の日


 戦から帰ってきたカリュース達スィークリト軍の兵士達を、スィークリトの帝都ラウェルの民衆は温かく迎え入れた。

 張り裂けんばかりの歓喜の声援や、あふれんばかりの色とりどりの花束が彼らの上に降り注いだ。戦帰りの彼らの顔には、勝利の笑みと、無事に戻れた安堵あんどの笑みがたたえられていた。


 そして、彼らの総司令官であったジェドラ伯爵は、今回の戦争の功績により、帝都ラウェルの統治領主に叙命じょめいされることとなった。

 それは、民衆にとっては、戦の勝利以上に歓迎すべきことであった。戦を勝利に導いた英雄の伯爵──彼らの目にはそう映る──が、自分たちを統治し治めてくれるのである。神話の中の英雄が、民衆の希望で国王になる──それと似たような感情を民衆は抱いていた。


 また、カリュース達はしばらくの休息日を終えた後、帝国城での昇格の儀式に参列することになっていた。そうして、十日あまりが過ぎ去った後、その昇格の儀式は執り行われた。


 カリュースは、帝国城の一室、雷鷹ティアウスの間と呼ばれる部屋にいた。そこには、ジェドラを筆頭に、今回の戦いに貢献した指揮官達が集まっていた。


 部屋の端に近い中央部には、スィークリト陸軍最高司令官である、グリブロー大将軍が立っていた。

 グリブローは四十代半ばの壮年の男である。その顔立ちは、歴戦の猛者もさだけが持つ、独特な、威厳のあるものであった。

 体つきは、骨太でがっしりとしており、顎には黒々とした髭をはやしている。頭髪は、心労と疲労からか若干白髪が混じっていた。だが、立っているその姿には、まだまだ現役の騎士達には劣らぬ覇気はきが感じられた。


 部屋では、グリブローを中心として指揮官達が左右に列をつくり、最もグリブローに近い位置に、ジェドラが立っていた。そして、その列の末席にカリュースやルッカ達が参列していた。


 グリブローは昇格した者達を名指しで呼んでは、皇帝の書状を手渡していた。名を呼ばれた者は列から前に進み出、グリブローの前でひざまずく。グリブローはひざまずく者を見ると、手にしていた書状を読み上げた。


 「デッピル中騎将、汝を大騎将に任ずる」


 辞令を受けた騎士は、うやうやしく頭を下げると、立ち上がってグリブローから直接書状を受け取り、再び列の中へと戻っていった。


 「カリュース小騎将」


 グリブローは淡々とした声でカリュースの名を呼んだ。カリュースは、他の者と同様に列から進み出、グリブローの前でひざまずいた。


 「カリュース小騎将、なんじを中騎将に任ずる」


 グリブローはそう書状を読み上げると、それをカリュースに手渡した。そして、書状を受け取るカリュースの耳元でつぶやいた。


 (よくやった。私は、お前ならできると思っていたぞ)


 カリュースは、そんなグリブローの囁きを耳にすると、うっすらと笑みを浮かべた。そして、カリュースの笑みに答えるかのように、グリブローの顔にもまた、笑みが浮かんでいた。

 カリュースは、ばっとグリブローに対して敬礼すると、再び元の場所へと戻っていった。



 現時点での軍の組織は、大きく分けてふたつのランクに分けられる。

 騎士と上級騎士である。上級騎士とは、直接隊を率いて指揮する、いわば指令官クラスの者であり、騎士は、その上級騎士を補佐する副官である。


 上級騎士は、五つのランクに分かれ、上から順に、大将軍、将軍、大騎将、中騎将、小騎将である。大将軍は陸軍の総指令官であり、陸軍全七軍団の総指揮官でもある。将軍は、各軍団の指揮官であり、以下大隊、中隊、小隊は、それぞれ、大騎将、中騎将、小騎将によって指揮される。


  騎士は六つのランクに分かれ、上から順に、正騎兵、従騎兵、大騎兵、中騎兵、小騎兵、准騎兵である。正騎兵、従騎兵は、主に大騎将の副官として任命され、大騎兵、中騎兵は中騎将、小騎兵、准騎兵は小騎将の副官として任命される。


 各隊における指揮の優先順位は、このような軍隊のランク順であり、万一隊の隊長である上級騎士が戦死した場合、その隊を引き続き指揮をするのは、騎士クラスの副官達なのである。

 上級騎士と騎士との間の上下関係は厳しく、騎士は上級騎士に対しては絶対服従を命じられる。騎士と上級騎士を合わせて士官と言い、一般兵はこれらの士官には含まれないのである。


 カリュースは今回の戦いにおいて、中騎将に任命された。二十代前半において上級騎士の地位についた者は、過去においても数人しかおらず、現時点ではわずか二人である。


 カリュースが昇格した理由は二つあった。一つは、ファラン軍を見事に分断した戦術の巧妙さであり、もう一つは、ファラン軍総司令官バルミッツの首級を挙げたことである。これら二つの要因は、カリュースが昇格するのには十分な功績といえた。

 だが、カリュース自身が考えていたことは、自分の新たな地位や名誉、報償などのことではなかった。彼の頭にあったのは、ただ、自分の半身以上の存在である白髪はくはつの青年のことだけであった。



 昇格の儀式が終わり、カリュースは雷鷹ティアウスの間を出た。そこには、先の戦で自分の副官を務めていたハースランドが待っていた。


 「昇格おめでとうございます。カリュース中騎将閣下」


 ハースランドは、自分の上司に笑顔で賛辞の言葉を述べた。


 「おいおい、ハースランド。俺はまだ、『閣下かっか』と呼ばれるほど歳はとっちゃいない。閣下と呼ぶのはよしてくれ」


 カリュースは、ハースランドの言葉を素直に受け取ると共に、そうつけ加えた。


 「そうですね。中騎将は、まだ二十三でしたね。では、閣下かっかと呼ぶのは、今後中騎将がお歳を召されてからにいたします」


 ハースランドはにやりと唇を歪め、皮肉っぽく言った。カリュースは、そんなハースランドの肩を笑いながら叩いた。


 「そういうお前も、中騎兵に昇格したそうじゃないか。やったな、ハースランド」

 「はい。再びカリュース中騎将の副官としてお仕えすることになりそうです」

 「くされ縁だな」

 「まったくです」


 カリュースとハースランドは、心から湧き出るような、幸せな笑い声をたてた。彼らの表情には、前途洋々とした希望の輝きがあった。


 そんな彼らがたわいもない雑談をしていると、通路の向こう側から大声で笑いながら歩いてくる男がいた。カリュースとハースランドはその笑い声に気がつくと、ちらりとそちらに目を向けた。


 「がはははははは。今回の戦は、ずいぶんと帝国が派手にやったもんじゃのぉ!」


 声の大きなその男は、カリュース達を目にするやいなや、一段と大きな笑い声をたてながら彼らのそばに近寄ってきた。


 「カリュース! お前さん、中騎将に昇格したそうじゃないか! やるのぉ! がははははは」


 カリュースは苦笑した。カリュースに話しかけた男は、カリュースの上司であり、また、カリュースのかつての先生でもあった。彼の名はデスといった。


 デスは、青と黒を基調にしたスィークリトの軍服の上に、大騎将の紋章をつけていた。身長はカリュースよりも低いが、体つきはがっしりとしており、顔には立派な髭をはやしている。

 顔つきは、豪快ごうかいな人柄をよくあらわしており、太い眉毛に大きめの鼻は、その男の存在感をより一層増すのに役立っていた。


 「デスさんは、今回の戦いには参加していなかったようだな」

 「そうよ。わしもな、ぜひ出陣したいと大将軍に言ったのじゃがのぉ。わしとお前さんが組めば、どんな敵でも赤子同然じゃったのになぁ。ジェドラなんぞに総司令官をまかせた大将軍の気がしれんわい。がははははは」


 デスは、大きな笑い声をたてた。そして、ふっとカリュースの横に立っている騎士に目をやると、その笑いをやめ、じっとその人物を見つめた。


 「なんじゃあ、こいつは?」

 「ハースランド中騎兵だ。俺の部下だよ、デスさん」

 「ハースランド中騎兵であります! 閣下!」


 ハースランドはがちがちに緊張しながら言った。


 「閣下はやめんかい。わしは閣下と呼ばれるど偉いもんじゃないわい。のぉ、カリュース。がはははははは」

 「……そうだな」


 カリュースは顔に苦笑を浮かべながら、デスの言葉に相づちを打った。


 ハースランドは、デスのことはよく知っていた。いや、帝国の騎士である者で、デスのことを知らない者はなかった。

 彼は過去の戦いにおいて、そのほとんどを帝国の勝利におさめていた。彼の指揮は絶妙で、攻め際と引き際を心得た、いわば名将──そう称されるほどの活躍ぶりであった。


 また、五年前にカリュースが騎士養成学校を卒業して、デスの副官として任命されてからは、その勝利は、ますます確実なものとなっていた。

 そして、彼らが揃って戦場に出るときは、自軍にも相手方の軍にもほとんど被害を出さないといった、彼らの名声をより高めるような戦果をあげてきていた。


 カリュースが正騎兵であったとき、デスとカリュースのコンビは、スィークリトと隣接する大国、ヒスタリク王国との大戦争で、両名が「無敵の騎士ケントゥリア」と称されるほどの大活躍をしていた。

 その戦いはイプソス草原大戦と呼ばれ、三年ほど前に勃発した、大陸でもまれにみる大規模な戦争であった。


 この戦いは、初めは互角の軍勢でもって両国が対峙たいじしていた。

 だが、スィークリトの総司令官であったエル=シド将軍が、ヒスタリクの策略によって戦死したため、スィークリト軍は、あっと言う間に瓦解がかいしはじめたのである。

 だが、そんなスィークリト軍を立て直したのが、エル=シド将軍の副官であったデスであり、そのデスの副官であったカリュースであった。


 デスは全軍の総指揮を行い、カリュースは、巧妙な策でもって敗走を開始していたスィークリト兵たちを再び活性化させ、その時スィークリト軍の倍以上の兵力をようしていたヒスタリク軍を、見事に撤退させたのである。

 この戦いの功績によって、カリュースは二十代の上級騎士に抜擢ばってきされ、小騎将の地位についたのであった。


 「で、カリュース。お前さん、今日の仕事は終わったのか?」

 「ああ、とりあえず、今日のところは昇格の儀式だけだったから」

 「じゃあ、これからひとつ、わしの所でお前さんとハースランドの昇格祝いをやるかのぉ。がははははは」

 「その誘いはありがたいのだが、俺は一旦家に戻って、リーディスに渡したいものがある」

 「ああ、お前さんところの、あの『白髪はくはつの軍師』じゃな。あの男は元気でやっておるか?」

 「なんとか……な。俺がファランへ向かう前に、少し熱を出していたようだが、今は小康状態しょうこうじょうたいを保っている」

 「そうか。ならばよかった。体さえ丈夫であれば、お前さんのいい相棒であっただろうに」

 「ああ……」

 「まっ、じゃったら夜にわしの家に来い。せいぜい、いい食い物を揃えておくぞ。がはははは」

 「分かった。夜にはリーディスを連れて行かせてもらう」

 「おっと、ハースランド。お前さんも来るんじゃぞ」

 「あ、わたくしのような者でよろしいのですか?」

 「そんなに形式ばらんでもええわい。カリュースを見てみろ。がははははは」

 「あ……はっ」


 ハースランドは、完全にデスの勢いに飲み込まれていた。ただ、呆然ぼうぜんとカリュースとデスの二人を見ていた。


 自分の目の前には、「無敵の騎士ケントゥリア」と称される二人がおり、自分のような下級騎士を、わざわざ家に呼んでもらえたのである。

 普通の兵や騎士では、会いたくともなかなか会えない二人に、これほどにまで自分のことを気にかけてもらっているという思いがハースランドの心を支配し、彼はただ、感激かんげきと驚きとで、石になってしまったかのようにその場に立ち尽くしているのであった。


 栄光の陰で、新たな歯車が静かに噛み合い回り始める。

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