EWIG(エーヴィッヒ) -スィークリト追放-

黒わんこ

第一章 『昇格』

第1話 帝国の騎士

『プロローグ』


 木々の間から漏れる陽の光は、地面の芝を明るく照らしていた。

 そこは、とある王宮の一角、そのと呼ばれる中央庭園である。庭園は、辺り一面を芝でおおわれ、木々は若々しく生命に溢れていた。


 木々が、時折風に吹かれざざっと揺れる音は、木々のささやきにも聞こえ、その姿は、小さな子供が声をひそめてクスクスと笑っているかのようにも見える。

 そんな、陽の祝福を受けている王宮の庭園の片隅で、大木のそばにあるベンチに腰を下ろし、眠っているように静かにたたずんでいる一人の老人がいた。


 「おうさまー、おうさまー」


 少年の声が、辺りに響いた。

 ベンチに腰をかけていた老人は、うつむいていた顔を上げ、周囲を見回した。

 少年は、そんな老人の姿を見つけると、小走りに老人の元に駆け寄った。

 老人は、息をはぁはぁ言わせている少年に、しわの深く刻まれた顔を向け、優しげで穏やかな光を目に宿し、子供に話しかけた。


 「どうしたのだい? そんなに慌てて」


 老人の声は静かだった。辺りには平和な雰囲気が漂い、そよそよと心地よい風が、辺りの木々を揺らしていた。太陽は穏やかに輝き、その木洩れ陽が、老人と少年を温かく包み込むように、頭上から投げかけられていた。

 少年は、だいぶ落ち着いた様子で老人を見上げた。老人は、慈愛の眼差しを少年の顔に向け、少年は、尊敬の眼差しを老人に向けていた。


 「あのね、おうさま。おうさまは昔、すごい旅をして、この国のおうさまになったのでしょ?」


 老人は少年の発した言葉を聞くと、目を細め、口元に穏やかな笑みを浮かべた。


 「私は、今はおうさまではないんだよ、少年」

 「でも、前はおうさまだったんでしょ?」


 老人は軽く笑った。少年は、そんな老人の姿を見ると、はにかみながら言葉を続けた。


 「僕、大きくなったらおうさまのようになりたいんだ。おうさまは昔はすごい騎士だったんでしょ? それで、次々と敵を倒して、いまの国をつくったんでしょ?」

 「そうじゃな……昔は若かった……」

 「僕、おうさまのそんな話を聞きたいんだ。お話をしてほしいんだ。ねぇ、いいでしょ?」


 少年は、老人の顔をのぞき込むように顔を近づけた。老人は遠い目をすると、静かに話し出した。


 「昔、昔はこの大陸には、いくつかの国があったのじゃ。わしはそんな国々の中で、スィークリトという国の騎士じゃった……だが、あんなことが起こらなければ、今のわしは、なかったじゃろう……」



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第一章 『昇格』

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 戦乱の平原、辺りは狂気と殺気に満ち満ちていた。駆け巡る兵士にはもはや理性はなく、あるのは、己が敵を打ち倒さんがためにふるわれる、甘美なる殺戮さつりくの感情だけであった。


 そんな兵士達の中に混じっていた騎士の一人が叫んだ。


 「隊長! カリュース隊長!」

 「なんだ! ハースランド!」


 騎士の声は、彼の前方で剣を振るう銀兜の男に届いた。銀兜の男は、眼前の敵を切り伏せると、真っ赤なマントを翻し、自分を呼んだ騎士の元へと馬を駆った。


 「戦況はどうなっている、ハースランド!」 

 「はっ。敵軍指令官バルミッツは、我が軍のおとりの部隊を追撃し、敵軍本隊から分離しております。位置は、ここから西へおよそ三百メートルほどのところかと!」

 「よし! 予定通り事が進んでいるようだな! そのおとりの部隊は誰が率いているのだ」

 「ルッカ小騎将であります!」

 「そうか、奴にもあまり負担をかけるわけにもいくまい。では、我が隊はこれから、敵軍旗隊の背後から攻撃をかける。兵達を西へ向かわせるのだ!」


 銀兜の男はそう叫ぶと、勢いよく馬を返し、前方に向かって突進を開始した。それに続いて、残りの兵士達もまた、彼の後に続いて馬を返し、戦乱のまっただ中へと突入していった。


 「ハースランド! 敵軍旗隊の兵士の数はどのくらいだ!」


 銀兜の男は馬を駆りながら、ハースランドと呼ばれた騎士に向かってそう叫んだ。


 「おそらく、五十騎前後かと思われます!」

 「ルッカの率いている囮部隊は何人だ!」

 「現在は十名ほどかと!」

 「そうか。俺達も急がなくてはなるまい! 急ぐぞ! スピードを上げろ!」


 銀兜の男はそう叫ぶと、馬の腹を蹴り、一気にスピードを上げた。後に続く兵士達もまた、自分達の隊長に遅れをとらぬよう、スピードを上げ、仲間が奮闘する西の平原へと駆け抜けていった。



 辺りには剣と剣の交わる音が響き渡っていた。そんな中で、真っ青な鎧を身に着け、黄金色の兜をかぶった騎士が、怒号の声を上げていた。


 「ええい、一体何をしておるのだ! わずか十騎ほどの相手に、何故なにゆえこのように手こずるのだ!」

 「敵はかなりの手練れの者達のようです。そのため、我が軍の攻撃が思ったほど効いていないようです!」

 「貴様は、わしの率いる兵が、奴らよりも劣っているというのか!」

 「い、いえ。そういうことではありませんが……」

 「では、すぐに奴らを蹴散らせ! 本隊と合流せねば、わしらの方が危険にさらされることになるのだぞ!」


 (くそっ、いまいましい! 本隊は何を血迷って、あのような敵の罠と一目で分かるような陽動部隊に攻撃をしかけたのだ! これでは奴らの思うがままではないか! ええい、何をやっているのだ能なしども!)


 バルミッツは、内心でそう毒づいた。彼がそう思うのは無理もなかった。なぜならば、彼の率いる兵士達は、明らかに敵対する兵士達におくれをとっていたからであった。

 それは、兵士達の質の問題だけではなかった。それは、このような兵士達のおくれをみても分かるように、バルミッツ自身の指揮官としての能力もまた、眼前で戦う敵方の指揮官のそれに遠く及ばなかったのであった。


 そのバルミッツの眼前で、勇猛果敢に剣を振るい、次々と迫り来る敵をなぎ払っている敵の指令官は、自分の率いている囮の兵達に向かって叫んだ。


 「やつらは数の上では俺達よりも有利だが、能力では我々の足元にもおよばぬ! 恐れずに、戦え! 敵の将軍は、すぐ目の前にいるぞ! 奮い立て、スィークリトの勇猛な兵達よ!」


 彼はそう叫ぶと、手にしていた剣で目の前にいた兵を一刀両断に切り伏せた。そして、鬨の声をあげながら、次なる敵を目指して馬を駆った。

 彼が、囮部隊を率いているルッカ小騎将しょうきしょうであった。


 彼は、癖のある金髪を銀兜の下からのぞかせ、肩からは、色鮮やかな真紅のマントをかけていた。その出で立ちは、カリュースと同じものである。くっきりとした二重の目元や、透き通るようなブルーの目。その顔立ちは、なかなか整ったものである。

 そして、時折兵達の士気を高めるために発せられる声は、騒がしい戦場でもはっきりと聞き取れるような、澄んだものであった。


 ルッカの率いる囮部隊おとりぶたいは、ある程度バルミッツの部隊に切り込むと、深追いしない程度にさっと引き、少し離れると再び切り込む──といった戦法をとっていた。

 何故ならば、たとえ能力が相手よりも勝っていたとしても、深追いすれば人海戦術でもって一気に包囲される可能性があるからである。それを避けるために、このような戦法をとっているのであった。


 「ルッカ小騎将!」


 ルッカのそばで戦っていた騎士の一人が、馬を返しながら言った。


 「どうした!」

 「このままでは、我が部隊にも疲労の色が見えはじめます。そろそろ、敵指令官を討つか、あるいは撤退しないことには、いささか危険ではないかと!」

 「そうか。もう少し持ちこたえるのだ。じきに、カリュース達の部隊がここに着く。そうすれば、数の上でも奴らより有利になれる。それまでの辛抱だ!」

 「分かりました!」


 彼らの会話はそこで途切れた。彼らは再び、己の敵を打ち払わんと、手にしている剣を振るいはじめた。

 そして、彼らを援護するために突き進む数十騎の騎影が、その姿を次第にあらわにするのもそう先のことではなかった。



 「カリュース隊長! 前方で戦っているのは、ルッカ小騎将です!」


 ハースランドは、カリュースに向かってそう叫んだ。その言葉を聞いたカリュースは、じっと目をこらし、前方で敵に囲まれ苦戦する兵士達を見やった。

 そしてその中に、三人の敵兵に囲まれるルッカの姿を見いだした。


 「急げ! 我が同胞は、敵に囲まれ苦戦を強いられている! 同胞のためにも、一気に敵を蹴散らすぞ!」


 カリュースは手にしていた剣を振り上げた。そして、自分の部隊の士気を高めながら、激しいときの声をあげ、荒れ狂う戦場へと突入していった。


 「大丈夫か、ルッカ! どけ、愚かなるファランの兵よ! 死を急ぎたくなくば、俺の前から立ち去れい!」


 カリュースはそう叫び、ルッカに切りかかろうとした兵士の横から、一気に馬を割り込ませ、その勢いでもってルッカを襲う兵達を退かせた。


 「おお、カリュース! 間にあったか!」

 「ああ! 大丈夫か、ルッカ!」

 「なんとかな。だが二、三人やられたみたいだ。それに、やつらの本隊がこちらに向かいだしたという報も入っている。そろそろけりをつけないと、再び混戦に陥るぞ!」

 「よし! ひと暴れするとするか!」

 「おうよ!」


 カリュースとルッカはお互いの顔を見合わせると、にやりと笑みをもらし、馬を揃えて、バルミッツの部隊の中へと突入していった。


 一方、カリュースの部隊が到着したことによって、立場が完全に逆転したバルミッツは、すでに自分の部隊を見捨て、逃亡を開始していた。


 「バルミッツ閣下! 兵達を見殺しになさるおつもりですか!」

 「えーい、うるさい! 兵達などいくらでも補充がきくのだ。ここでわしが死んだら、一体誰が軍全体の指揮をとるというのだ!」


 バルミッツは、副官のシャーネル従騎兵じゅうきへいにそう言い捨てた。その言葉を聞いたシャーネルは、目の前にいる上司に対する自分の忠誠心を疑いはじめた。


 「閣下、私は自分と共に戦ってきた兵達を見捨ててまで、自分の命を長らえようとは思いません。私は、彼らと共に、その命運めいうんを全うしたいと思います」


 シャーネルはバルミッツにそう言うと、ばっと馬を返し、カリュース達に死にものぐるいで立ち向かう兵達の元へと駆けていった。


 「ふん! 勝手にするがよいわ! 愚かで無能な副官に用はない!」


 バルミッツは、シャーネルの駆けていく後ろ姿を見ながら、呟くように言った。その自分の信念に従ったシャーネル従騎兵は、奮戦むなしく、わずか数分で愛するファランの大地へと帰したのであった。



 部隊を一人離脱したバルミッツは、戦場の焼け跡をひた走りに駆けていた。辺りには、戦死した兵と馬が枯れ葉のように散らばり、その光景は、まさに地獄絵さながらである。

 そんな中を駆けるバルミッツの心は、現実を離れ、甘美な夢うつつの世界へと溶け込んでいた。


 (ラーニャ、ディール……元気だろうか。アーシャミットにお前達二人を残してきたが、無事に過ごしているだろうか……わしは、きっとこの戦いに勝って、お前達に偉くなった父さんを見せてやるぞ。必ずな……)


 バルミッツは、そんな考えに思いをはせせているにもかかわらず、やはり自分のした行動を後ろめたく思っていた。

 彼は馬足を遅め、辺りをゆっくりと見回した。そこには、炎に焼ける死体の臭いと、血の臭い──嫌が上にも人を狂気に走らせる雰囲気──が漂っていた。バルミッツはそんな兵達の中の一人を見た。


 地上に横たわるその兵には片腕がなく、肩はざっくりと剣で切り裂かれていた。その目は虚ろに見開かれ、まるでバルミッツをうらむかのような、そんな表情を残していた。バルミッツは、うっと目を伏せた。


 (すまぬ……すまぬ、すまぬ……

 わしの……わしの指揮さえ間違っていなければ、お前達にも苦しい思いをさせずにすんだのであろう……全てはわしの責任だ。許してくれ……)


 バルミッツの心は、すでに重く暗い思いで満たされていた。そして、一刻も早くこの場から立ち去りたい、そのような焦燥感しょうそうかんが彼の心を支配しはじめていた。

 そんなバルミッツを現実の世界に引き戻す者がいた。


 「ファラン軍総司令官バルミッツ! 

 我が名はカリュース! スィークリト帝国の小騎将である!


 命散りし我が同胞の仇、いまとらせてもらう!」


 カリュースは一気にバルミッツに駆け寄ると、腰に帯びていたブロードソードを抜き放った。

 そんなカリュースの行動に、バルミッツの反応はわずかに遅かった。それは、バルミッツの生涯最大の油断であった。


 彼の腕はカリュースのブロードソードによって大きく切り裂かれ、その衝撃で彼の体は馬から転落した。

 カリュースは、転落して地上にぺたりと座り込んでいるバルミッツを見おろしながら、


 「バルミッツ将軍! 貴殿の命、同胞の命のつぐないのため、今ここでもらい受ける!」


 と叫ぶと、再びブロードソードを振り上げた。


 (あぁ、父さんの命もここまでだ。ラーニャ、しっかりと生きてくれ。ディール、たくましく育ってくれ……)


 バルミッツの生涯はここで閉じられた。カリュースの手には、ファラン軍総司令官の采配さいはいと紋章が握られ、遠くでは、勝利を意味する角笛が高らかと鳴り響いていた。


 正暦一二〇〇年、スィークリト帝国によるファラン侵略の戦いは、こうして幕を閉じた。この戦いにより、帝国はファラン王国の領土内に自国の領土を手にしたのであった。


 この戦いは、まだ始まりにすぎなかった……

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