第3話 白髪の軍師

 デスと分かれたカリュースは、すぐさま帝都ラウェルの自宅へと足を向けた。そして、彼の足どりは自宅に近づくにつれ早くなり、かけ込むように門を通り、広い庭を走り抜けた。

 彼の左手には小さな袋がたずさえられ、右手には、先ほどグリブローから受け取った書状が握られていた。


 彼は、ばたんと慌ただしく玄関口の扉を開け、きょろきょろと辺りを見回しながら階段を上ろうとした。だが、何か思いついたかのであろうか、彼は突然、階段の途中で立ち止まった。

 階段の下には、彼の帰宅を知った小間使が、ばたばたと走ってきていた。


 「お帰りなさいませ、カリュース様」

 「ああ。リーディスはどこにいる?」

 「リーディス様でしたら、書斎にいらっしゃると思います」

 「書斎?」


 カリュースはくるりと体を小間使の方へと向けると、ゆっくりと階段をおりた。


 「寝室ではないのか?」

 「気分がよいとのことで、今は書斎で読書をなさっておいでです」

 「熱が下がったのか?」

 「はい。カリュース様が家を出られてから、しばらくは寝室にいらっしゃいましたが、お昼前には熱は下がったご様子です」

 「そうか。分かった」


 カリュースはばっと勢いよく体を返すと、再び小走りに階段をけ登り、二階の書斎を目指した。

 カリュースは、書斎の前に着くと立ち止まり、軽く咳払いをし、服を簡単に整えた。そして、ゆっくりと扉をノックした。


 「どうぞ」


 部屋の中から返事が返ってきた。その声は小さかったが、聞き取りやすいんだ声であった。

 カリュースはノックの返事を聞くと、ノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開けた。部屋の中からまぶしい陽の光が廊下に差し込む。

 カリュースは、さっと手でひさしをつくり、目を細めて部屋の中を見た。


 部屋は、真東に大きな窓が据え付けられているため、昼時の今時分には、丁度太陽の光がまっすぐ部屋に差し込む。そのため、部屋の中は明るく、テラスにいるような様子であった。

 部屋の中には大きな本棚が左右の壁一面にあり、部屋の中央には、大きな丸テーブルがあった。その丸テーブルのそばに、カリュースの探すリーディスは座っていた。


 リーディスは、ゆっくりと部屋に入ってきた人物に目をやった。そして、それがカリュースであると知ると、にっこりと優しげな笑みをもらした。


 「お帰りなさいませ、カリュース様」


 リーディスは読みかけの本をぱたりと閉じると、カリュースの方に体を向けた。カリュースは、部屋の扉を閉めると、リーディスの対面にある椅子に腰をかけた。

 カリュースは椅子に座ると、じっとリーディスを見つめた。

 

 リーディスの頭髪は完全な白髪はくはつであった。ほっそりとした体つきは、男性というよりは女性のそれに近いものがあった。

 秀麗しゅうれいな眉や高い鼻梁びりょう、まっすぐな氷蒼ひょうそうの目──そのどれもが、すばらしく整っていた。透き通るような真っ白な肌を持ち、それは美しい白髪の髪とぴったりあっていた。


 カリュースも美男子ではあった。だが、それはリーディスのものとは異なり、精悍せいかんで男らしい美男子である。リーディスは、その逆であった。精細ではかない──そんな様子であった。


 彼らは、帝国城の侍女達から、「太陽の獅子ししと月の女豹めひょう」と呼ばれていた。それほど、彼ら二人の容姿は整っているのだった。


 「どうかなされたのですか?」


 リーディスは、座ったきり黙っているカリュースにそう問いかけた。


 「いや、別に……」

 「その袋は何ですか?」

 「ああ、これか」


 カリュースはリーディスがたずねた袋に手を入れ、何かを取り出した。


 「そら、お前が欲しがっていたものだ」

 「これは……『リュケイオン』ではありませんか。一体どこで?」


 リーディスは、カリュースが差し出した一冊の書物を手にした。


 「何、このあいだのファランとの戦争が終わった後、地元にあった図書館で手に入れた。お前が前に読みたいと言っていただろ?

 だから、館長に頼んでもらってきたのだ」

 「そうでしたか……ありがとうございます、カリュース様」

 「いや、いいよ」


 カリュースは照れ隠しに半分顔を下げた。リーディスは、カリュースが差し出した『リュケイオン』をぱらぱらとめくると、その中の一節を読んだ。


 「

 汝、敵を欺かんとする時は、まず味方から欺け。

 己が身を犠牲にすればするほど、敵を欺くことができよう


 これは、有名な句ですね」

 「ああ、俺も知っている。養成学校の時に習った覚えがある。

 しかし、その本は一体何なのだ?

 中を見てみたが、さっぱり分からなかったぞ」

 「今から五十年ほど前、まだファラン王国がアストゥリアス王朝であった時代、当時の軍参謀の中に、リュケイオンという名の人物がいました。


 彼は、若くして参謀官の長となるほどの、すばらしい知略知謀ちりゃくちぼうの持ち主でした。彼の策は神業かみわざの如く巧妙で、いかなる敵でも打ち払ったと言われています。


 大軍師リュケイオン──彼の名は天下にとどろき、『希代きだいの軍師』『戦いの申し子』などと呼ばれていました。

 ですが、そんな彼であっても、宮廷から追放されることになったのです」

 「そんな軍師が、どうして追放されるのだ? その力があれば、もっと国を栄えさせることができるだろうに」

 「そうですね。しかし、時のファラン宮廷にとっては、リュケイオンは目障りだったようです。

 若くして高い地位にのぼり、その権限が拡大すればするほど、古くから仕えている臣下達の嫉妬心しっとしんをあおりたてることになりました。

 それが、彼が追放される原因となったのです。


 彼は、政治をなおざりにして遊び暮らす国王に対して、幾度となく忠告をしました。

 ですが、国王キュロソ三世は、全くリュケイオンの言葉には耳を貸さず、ついには、リュケイオンをねたむ臣下達の陰謀により、リュケイオン自身をファランの宮廷から追放したのでした。


 その後アストゥリアス王朝は、政治の腐敗と官僚の横行のため、あっけなく乗っ取られてしまいました。それが、現在のダイデールヴァロン朝と言うわけです。


 リュケイオンが宮廷を追放された当時、彼は三十代の若者でしたから、今生きていたとすれば、八十からの大長老ですね」

 「ふーん。大軍師リュケイオンの名前は聞いたことがあったが、そんないきさつがあったとはな。

 で、このリュケイオンという名がついた本は、大軍師と何か関係があるのか?」

 「この本は、リュケイオンが残した兵法書の一つです」

 「なるほどな」

 「ところで、カリュース様。ファランでの戦い、どうでしたのでしょうか?」

 「ああ、大勝利だ。お前が読んだ通り敵さんは動いてくれたからな。

 後は、俺たちが敵本隊と旗隊を分断して大将をつぶしたら、あっというまに敵軍は瓦解がかいし、逃げるか降伏こうふくしたさ」

 「で、昇格式の方はどうでしたか?」


 リーディスは、カリュースの前に置いてある書状に目を向けながら言った。その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいる。


 「これを見てくれ。ついに、中騎将になれたぜ、リーディス!」


 カリュースは書状をリーディスに見せると、リーディスの手を堅く握った。


 「おめでとうございます、カリュース様」

 「いや、これもお前の策の賜物たもの──と言っても過言じゃない。

 俺は、お前が指示したとおりに動いただけで、後は……な」

 「それもカリュース様のお力です」

 「そうか」


 カリュースは少し照れながら立ち上がると、窓際に置かれていた小さなベルを鳴らした。

 すると、先ほどの小間使があらわれた。


 「何かご用でしょうか?」

 「少し遅いが、昼食の用意をしてくれ。そうだな……部屋は、大通りに面した北側の部屋で」

 「かしこまりました」


 小間使は、ぺこりと頭を下げると、すぐに準備にとりかかるべく、その場を後にした。


 「じゃあ、俺たちは先に北の部屋に行くか」

 「そうですね」


 リーディスは、カリュースの言葉に返事をすると、テーブルの上に手をつき、立て掛けてあった杖を握ろうとした。

 だが、長い時間座りっぱなしであった彼は、少し貧血を起こし、ふらっと倒れそうになった。カリュースはさっとリーディスに近づき、倒れそうになる彼を支えた。


 「大丈夫か、リーディス」

 「すみません、カリュース様。大丈夫です」


 リーディスは、カリュースに支えられて体勢をもちなおすと、杖を手にした。そして、ゆっくりとした足どりで、カリュースに近づいた。


 その右足は、全く動いてはいなかった。


 「足は大丈夫か? あせることはない、ゆっくりと歩いたらいいさ」

 「すみません」


 リーディスは、申し訳なさそうな顔つきをした。

 そんなリーディスにカリュースは優しげな笑みを見せているだけであった。



 彼らは北側の部屋で、少し遅い昼食をとっていた。壁際にあるテーブルの上には、スープなどの軽い昼食が並べられ、テーブルの真ん中には、薔薇ばらを生けた花瓶が置かれてある。


 彼らは向かい合って座り、黙って昼食をとっていた。彼らが二人で昼食をとるのは、別段珍しいことではなかった。

 彼らは、家にいるときは、必ずと言っていいほど行動を共にしている。そして、リーディスの具合によっては、街に出たり、あるいは帝国城にまでさえ来ていた。


 彼らの座っているテーブルのすぐ横に窓があり、そこからは、ラウェルの大通りが一目で見ることができた。その大通りの先にはちょっとした広場があり、いつもであれば、仲のいいカップルや道ばたに布を広げてアクセサリーなどを売る商人達がいた。

 だが、今は違った。


 大通りには、ちょっと高めの台が用意され、その上にはジェドラが立っていた。

 台の下には民衆が大勢集まり、辺りは民衆で埋め尽くされていた。


 そんなジェドラの立つ台の上には、もう一人の人物がいた。その者は目隠しをされ、体を柱にくくりつけられている。体格や、顔の骨格から見て、間違いなく男である。それも、そう年をとってはいない様子であった。

 ジェドラは、腰に帯びていた剣を抜き放つと、民衆に向かって演説をしはじめた。


 「帝国の民よ、ラウェルの輝かしき民よ! 私は新たなる帝都の自治領主である、ジェドラだ!」

 「おおーっ!」

 「諸君らが、今最も望んでいることは何か、私はよく心得ているつもりだ。

 それは、先の戦いで戦死した、帝国の勇敢な兵達の敵討ちではないであろうか!」

 「おおーっ! そうだ、俺たちはファランへの憎しみを忘れてはいないぞ!」

 「我々の仲間を殺したファランに復讐ふくしゅうを!」

 「ファランに血の判決を!」


 民衆はジェドラの言葉に、さまざまな反応を示した。そんな民衆の姿を、ジェドラは意味ありげな笑みを浮かべながら見つめていた。

 そして、手にした剣を振り上げ、民衆を静まらせた。


 「静粛せいしゅくに、諸君! 私は、諸君らの願いを叶えたいと思う!」

 「それは何ですか、領主閣下!」

 「うむ。私は、諸君らの願いを叶えるべく、今ここにいるのだ。


 諸君らの悲しみと怒りは、私の全身で感じとれる。

 深い悲しみ、猛り狂う怒り……全て私は分かっているつもりだ!


 父や兄、従兄弟に恋人──彼ら全てが、諸君らの元から去った。

 それは、ファランの悪鬼のごとき惨殺ざんさつによってである!


 私はここに、諸君らにとって愛すべき者たちのあだを連れてきた! これを見よ!」


 ジェドラはばっと体を反らし、後ろに括りつけられている青年を民衆の目の前にさらし出した。そんな青年の姿を、民衆は固唾かたずを飲んで見つめていた。


 「この者は、先のファランとの戦いで、ファラン軍の総司令官であった、ロウス将軍である!」

 「おおーっ!」

 「こいつが……こいつが仇か!」

 「私のあの人を返して!」

 「兄さんを奪った悪鬼め!」


 民衆は、怒りの声を高らかに上げながら、地面に落ちている石を拾っては、くくりりつけられている青年に向かって投げつけはじめた。

 無数のつぶてが青年の体に、顔に、腕にあたる。礫が青年にあたるたびに、青年は「ぐうっ」とうなり声をあげたり、あるいは、ったりしていた。


 ジェドラは、しばらくそんな様子を見つめていた。そして、礫を投げる民衆がある程度鎮まると、再び演説を開始した。


 「諸君の怒りはよく分かる。そこで、私は諸君らに代わって、この者を公開処刑に処せたいと思う!」


 そうジェドラが言った時、後ろで括りつけられている青年が叫んだ。


 「騙されるな!」


 青年は体を必死で前に出しながら、腹の底から響くような大声で叫び続けた。


 「騙されるな、スィークリトの民よ!


 私は、あなた方の仲間を殺してはいない!

 私はあなた方の仲間を助けたのだ!


 こんな言葉を信じてはいけない!」


 そんな悲痛な青年の声は、ジェドラの演説で我を失いつつある民衆の耳には届いてはいなかった。

 

 青年は再び叫んだ。


 「騙されるな! スィークリトの民よ!」


 青年がそう叫ぶと同時に、ジェドラは青年の脇腹にきつい足蹴りをした。青年は、「ぐふっ」と一言唸うなるのを最後に、もはや声を発することはなかった。


 ジェドラは、手にしている剣を大きくふりかぶった。刀身が太陽に照らされて、銀色の輝きを放つ。そして、その銀色の剣は一気に青年の首元へと振り下ろされた。


 「帝国万歳! 領主閣下万歳!」

 「皇帝陛下万歳! 帝国に栄光あれ!」

 「帝国万歳!」

 「帝国万歳!」


 民衆の声は、いつまでもいつまでも、小さな広場の中に響きわたっていた。そんな広場の様子を窓から見ていたカリュースは、吐き捨てるように言った。


 「くっ、ひどいことをしやがる! 大体、なんだってわざわざ公開処刑にする必要があったんだ。


 戦争には勝った、それでいいじゃないか。

 それに、あの時の戦いの総司令官はバルミッツ将軍で、あのロウスとかいう若い将軍じゃない。


 そもそも、あのロウス将軍が戦いに参加していたなどとは、俺は聞いてはいない。

 将軍クラスの者が参加していて、俺たちが聞いていないはずがないんだ!」


 「そうですね……」


 リーディスは、ジェドラに心理的操作をかけられて叫び狂う民衆を、じっと見つめていた。

 その目には、何かよからぬ陰謀いんぼうの糸が見えているかのように、厳しい光が宿っていた。


 その沈黙の奥で、帝都はゆがんだ息をひそめていた──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る