百年の奇跡

鈴木

  

花の宮高校は創立百周年を迎えていたが、その記念の日、校舎の奥では誰にも公開されない出来事が起きていた。


校舎の外では、演劇部の記念公演を祝う横断幕がはためき、校門の向こうからは人の波とざわめきが絶えず流れ込んでくる。華やかな笑顔、記念写真、祝福の言葉――すべてが「百年」という数字に酔いしれていた。


だが、その喧騒から切り離された場所が、校舎の奥にひっそりと存在していた。


薄暗い部屋の中で、宮崎隼人は床にうずくまっていた。

久門和樹の靴が容赦なく彼の体を蹴る。宮崎隼人の手には台本が握られていた。


「……外、うるせぇな」


吐き捨てるように言いながら、和樹は眉をひそめた。


「今、学校百周年だっけ? そんなの知るかよ。百年も続いてる演劇部の“伝統”なんて、誰にも見せたくねぇよな?」


隼人は震える声で、必死に言葉を絞り出す。


「や、やめてください……本当に、やめて……」


その様子を見て、林湊が腹の底から笑った。

下品な笑い声を響かせながら、彼はスマホを構える。


「っはははは! あっはははは! ウケる! マジでウケるんだけど〜!」


和樹は無言で隼人を見下ろし、低い声で湊に問いかけた。


「……アンタも、コレに参加するか?」


湊は肩をすくめ、スマホを構えたまま首を振る。


「え〜? どうしよっかなぁ〜。俺、記録係だから無理〜。でもさ、面白いと思わない? これも記念っしょ。ちょうどこの学校、百周年だし〜」


カシャリ、と乾いたシャッター音が部屋に響く。


「記念、記念〜。記念の動画で〜す。百周年なんだから、こういうのも残しとかないと〜。外から有名人とか来てるんでしょ? 俳優とか〜、テレビ局とか〜、アイドルグループとかさ〜」


「……来てるらしいぞ。マジで」


和樹の言葉に、湊はますます楽しそうに笑った。


「じゃあ、尚更記念じゃん。外はどんちゃん騒ぎでしょ! だけど〜」


「……だけど?」


湊はにやりと歪んだ笑みを浮かべた。


「本当は中で、こんなことやってま〜す、ってね。あははは!」


その後も湊は何度もシャッターを切り、隼人の怯えた表情を執拗に記録し続けた。


やがて満足したのか、湊はスマホをポケットにしまう。


「……んじゃ、帰ろう。百周年の様子、見に行こうぜ。どんちゃん騒ぎ、楽しまないと。お前も行く?」


床に座り込んだ隼人は、震えが止まらないまま、かすれた声で答えた。


「……は、はい……」


湊は楽しげに手を叩く。


「よーし。みんなにバレないように、楽しもうぜ〜」


外からは、祝祭の音楽と歓声が、何事もなかったかのように流れ込んでいた。


十分後。体育館は、蒸すような熱気と期待に包まれていた。 創立百周年記念式典のメインイベント、演劇部による祝賀劇『百年の奇跡』。


幕が上がると、スポットライトが中央の宮崎隼人を射抜いた。 パイプ椅子に座る全校生徒、保護者、来賓たち。その最前列近くに、久門和樹と林湊の姿もあった。教師から見える位置にあるように座らされている。


「お前らはここだ。式の最中にスマホいじったり寝たりしたら、即停学だからな」


生活指導の教師に首根っこを掴まれ、和樹と湊は最前列のパイプ椅子に押し込まれていた。最悪だ、と二人は舌打ちする。これでは逃げ出すこともできない。


彼らは退屈そうに欠伸を噛み殺し、時折顔を見合わせてはニヤついている。「さっきの動画、見た?」とでも言いたげな目配せだ。


隼人は、手の中の台本を強く握りしめた。 本来ならここで、初代校長の偉業を讃える独白をするはずだった。 だが、隼人の脳裏には、さっき浴びせられた罵声と、肉体を走った痛みが焼き付いて離れない。

――百年も続いてる演劇部の“伝統”なんて、誰にも見せたくねぇよな?

和樹の声がリフレインする。 隼人はゆっくりと息を吐き、台本を閉じた。 そして、静まり返った体育館に向けて、予定にない「第一声」を放った。


「……外、うるせぇな」


マイクを通さずとも通る、よく響く声だった。 だが、それはいつもの気弱な隼人の声ではなかった。低く、ドスの効いた、威圧的な響き。 客席にいた和樹の背中が、ピクリと跳ねた。


隼人は舞台上で、見えない相手を蹴る仕草をした。その動きはあまりに暴力的で、かつ洗練されていた。


「今、学校百周年だっけ? そんなの知るかよ。百年も続いてる演劇部の“伝統”なんて、誰にも見せたくねぇよな?」


ざわり、と会場がどよめく。 「あれ? 校長先生の話じゃなかったか?」「現代劇?」 困惑する空気をよそに、隼人は瞬時に役を切り替える。今度は、怯えて床に這いつくばる「被害者」の演技だ。


「や、やめてください……本当に、やめて……」


その声の震え、恐怖に歪む表情。それは演技を超えた「再現」だった。 誰もが息を呑む。あまりにもリアルな恐怖が、そこにあったからだ。


直後、隼人はまた役を変える。今度は、軽薄な笑いを浮かべる「傍観者」だ。 彼は何もない空間にスマホを構えるパントマイムをして、下品に笑った。

「っはははは! ウケる! マジでウケるんだけど〜!」


客席の湊が、凍りついたように口を開けていた。自分の笑い方が、自分の言葉が、そのまま舞台上で再生されている。 和樹の顔からは血の気が失せ、脂汗が滲んでいた。 周囲の生徒たちは気づき始めていた。舞台上の「いじめっ子」の口調が、誰かに似ていることに。そして、演じられている内容が、あまりに生々しいことに。


隼人は舞台のふちに立ち、客席の二人を――和樹と湊を、まっすぐに見下ろした。 スポットライトの逆光で、隼人の表情は二人には見えない。だが、二人は確かに感じていた。隼人の目が、自分たちを射抜いていることを。


隼人は「傍観者」の演技のまま、最後のセリフを吐いた。


「本当は中で、こんなことやってま〜す、ってね」

静寂。 誰も言葉を発せない。祝賀ムードは消し飛び、ヒリヒリするような緊張感が支配する。


隼人はゆっくりとスマホをしまうパントマイムをし、最後に素の「宮崎隼人」に戻った。 そして、青ざめる和樹と湊に向かって、台本にはない、彼自身の言葉を静かに告げた。


「……以上が、我々が守ってきた百年の伝統の裏側です。ご覧いただき、ありがとうございました」


隼人が深々と頭を下げた瞬間。 わっと割れんばかりの拍手が巻き起こった。 来賓たちは立ち上がり、「なんて風刺の効いた現代劇だ!」「今の若者の闇をえぐり出した傑作だ!」と惜しみない賞賛を送っている。 彼らは知らない。これがノンフィクションであることに。


歓声とスポットライトの中、隼人は顔を上げた。 客席の和樹と湊だけが、拍手もできず、震えながら俯いていた。 その姿は、まるで十分前の隼人のようだった。


隼人は薄く笑った。 それは台本にはない、最高の笑顔だった。

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百年の奇跡 鈴木 @fable_crafter

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