第1章 第3話 境界を越える日
コードが見えれば、書き換えられる。
構造が分かれば、省略できる。
プログラマーの職業病が、僕に囁く。
『その無駄な詠唱、最適化(カット)しませんか?』
第1章 第3話
境界を越える日
「魔物だ! 港に上がってきた!」
窓から見える港。松明が乱舞する。
父が剣を抜く。「エリス、この子を」
「二階へ」母が俺を抱き上げる。
書斎の窓から見下ろす戦闘。
青白い光球が十数個、宙を舞う。【集団照明魔法】。
(複数の魔法使いが同時発動。協調制御システムか)
水面から這い上がる影。体長1メートルほど。甲殻類に似た外骨格。
鋏が月光を反射する。
「【イビルクラブ】……」母が呟く。
(Evil Crab。直球なネーミングだな)
港湾警備隊が槍を構える。一匹を突く――が、殻が硬い。
金属音が響く。
その時、別の男が前に出た。
髭を生やした中年。腰に青い結晶を下げている。
手をかざす。
水面が渦巻く。水流が柱になり、魔物を巻き上げる。
【水流制御】。
母の先輩がマナ暴走を起こした、あの魔法。
(Level 2相当。確率操作深度0.05超。危険領域だ)
魔物が海に叩き返される。
仲間の魔物たちが逃げ始める。
五分後、静寂。
マナ濃度計:1.22。
(戦闘終了後も上昇継続。一時的現象じゃない)
母が俺を強く抱く。
「大丈夫。もう終わったから」
(でも、これは終わりじゃない。始まりだ)
翌朝。
父が戻ってきた。顔色が悪い。目の下に隈。
「評議会の決定は……」
母が待つ。俺を膝に抱いて。
「関税問題は保留。それより――」
父が深呼吸する。
「LEIが0.055に達した」
母の顔が強張る。
「非常体制?」
「ああ。各都市に【マナ使用制限令】が出る」
父がテーブルに手をつく。
「Level 2以上の魔法は、商業ギルドへの申請制。許可なき使用は罰金。三回目で魔法使用権剥奪」
(規制強化。システムの自己防衛反応だ)
母が尋ねる。「それだけ?」
「……いや」
父が俺を見る。
「三ヶ月後に【魔法適性検査】が義務化される」
「まさか……」
「一歳以上は全員だ。デモン監視システムとの連動らしい」
(魔法適性検査 = ユーザー権限評価)
(世界OSの認証システムか)
母が俺を見る。「この子も?」
「生後一年を超えたら、全員。例外なし」
俺はベッドの柵を掴む。小さな手で。
(三ヶ月。それまでに言葉を話せるようにならないと)
(質問できない。理解を深められない)
父が続ける。
「それと……バルドゥンが情報をくれた」
「ドワーフの?」
「辺境で、ダンジョンが生成されたらしい」
母が息を呑む。
「LEIが高い地域では、確率歪みが持続する。するとダンジョンが――」
「自然発生する」母が続ける。「昔、航海学校で習ったわ」
(ダンジョン。モンスタースポーンの固定化か)
父が腰を下ろす。
「世界が、変わり始めている」
転生二ヶ月目。
首が完全に据わった。視界が劇的に広がる。
母が俺を抱いて、家中を案内してくれる。
一階。倉庫兼店舗。
天井まで積まれた木箱。ラベルが貼られている。
「精製マナ結晶 純度92%」「マナ導体ワイヤー」「触媒用鉱石粉末」
(在庫管理。品質別に分類されてる)
使用人のマルタが箱を運ぶ。
「旦那様、この積荷の検品は?」
「後でやる。今日はエルフの船が来る」
(エルフ?)
母が俺に囁く。
「これが、お父さんの仕事よ」
(マナ精製品の流通。エネルギー産業のサプライチェーンだ)
二階。父の書斎。
壁一面の本棚。背表紙が並ぶ。
【航海術大全】【マナ精製技術概論】【交易法規集】【種族間協定史】
机の上。帳簿と算盤。数字がびっしり書き込まれている。
(複式簿記っぽい。経済システムが発達してる)
母が本を一冊取る。
「あなたが大きくなったら、これを読めるようになるわ」
ページをめくる。図表と数式が見える。
(マナの精製効率を示すグラフか)
俺は手を伸ばす。本に触れようと。
母が微笑む。
「もう少し待ってね」
三階。母の私室。
航海図が机に広げられている。
「ルート計算してるの」
母が指でなぞる。
「アルタニアを避けて、エルフ領の沿岸を通る」
線が複雑に曲がる。島々を避け、海流に沿って。
(最適経路探索。ダイクストラ法的なアプローチか)
その時――
ドアをノックする音。
「失礼します。お客様です」
マルタが顔を出す。
「エルフの方が」
階段を降りる。応接室へ。
そこに立っていたのは――
身長170センチほど。だが、明らかに人間ではない。
耳が長く、尖っている。先端が微かに動く。
髪は銀色で腰まで。光を反射して輝く。
瞳は深い緑。森の奥のような色。
肌が微かに発光している。マナが見えるほどに。
(マナ密度が高い存在。体そのものが魔法器官化してる?)
「初めまして」
声が澄んでいる。周波数が人間より高い気がする。
「【ルーナル・グローヴ連合】交易使節、リーシャ・ルナリスと申します」
流暢な言葉。だが、抑揚が独特だ。
父が応対する。「ようこそ。何の御用で?」
「直接の海路を提案しに参りました」
エルフが革製の筒を取り出す。
地図を広げる。俺を抱く母の腕越しに見える。
「アルタニア王国の関税を避け、我が領の月光湾を経由する航路です」
指が地図をなぞる。
その指先が微かに光る。青白い輝き。
(マナの可視化。確率場を直接操作できる種族?)
父が地図を凝視する。
「……この航路なら、三日短縮できる」
「ええ。潮流と風を計算済みです」
エルフが微笑む。
「使用料は?」父が聞く。
「精製マナ結晶の優先取引権。月に一度、純度95%以上のものを」
「高純度品か……」
父が考え込む。
「それと――」
エルフが俺を見る。
緑の瞳が俺を捉える。
「お子様の成長記録を頂けますか」
母が身構える。「どういう意味です?」
「ああ、誤解を招きましたね」
エルフが両手を広げる。
「我々は人間の魔法発達過程を研究しています。種族間の相互理解のために」
「研究……」
「データ収集です。定期的な魔法適性の測定結果と、成長過程の観察記録」
(データ収集。種族間の比較研究か)
「将来的な協力関係のための投資と考えてください」
父と母が視線を交わす。
数秒の沈黙。
俺は母の腕の中で、エルフを見つめる。
(異種族。異なる魔法体系。異なる進化過程)
(でも、同じマナシステムの上で動いてる)
父が口を開く。
「……条件を文書で。精査させてもらう」
エルフが頷く。
「もちろん。明日までにお届けします」
革袋から羊皮紙の束を取り出す。
「これが契約の草案です」
父が受け取る。
エルフが立ち上がる。
「それでは。良い判断を期待しています」
ドアへ向かう。その歩き方が、浮いているように見える。
振り返る。
「お子様、良い目をしていますね」
(……見抜かれた?)
「将来が楽しみです」
微笑んで、去る。
エルフが去った後。
父が契約書を読み始める。母が隣に座る。
俺は母の膝の上。
「エルフと取引するのは初めてだ」
「リスクは?」
「わからない。だが――」
父が俺を見る。
「選択肢が増えるのは悪くない」
(多角化戦略。リスク分散だ)
母が羊皮紙をめくる。
「成長記録の提出……具体的には魔法適性検査の結果と、年四回の測定」
「監視されてるみたいで気分は良くないが」
「でも、エルフの医療技術も利用できるって書いてある」
「……それは魅力的だな」
父が顎に手を当てる。
「明日、バルドゥンに相談してみよう」
その夜。
俺は天井を見つめる。
(魔物。評議会。マナ規制。エルフ。種族間取引。ダンジョン)
頭の中で構造が見えてくる。
```
世界システム v4.1.0
├── 物理層(マナ = エネルギー基盤)
├── 生態層(種族 = プロセス群)
├── 経済層(交易 = リソース配分)
├── 政治層(規制 = システム制御)
└── 監視層(デモン = 管理AI)
```
(全部つながってる)
(一つの巨大なシステムとして動いてる)
マナ濃度計:1.18。少し下がった。
(だが、警戒レベルは継続中だ)
小さな手を開閉する。
(言葉を話せるようになったら)
(質問攻めだ)
(この世界のドキュメントを、全部読んでやる)
窓の外。月が海を照らす。
エルフの船が静かに港を出る。
帆が月光を反射して、虹色に輝く。
帆自体が光っている。魔法で推進しているのか。
(異種族。異文化。異なる魔法体系)
(でも、同じシステムの上で動いてる)
(なら……)
(協調できるはずだ)
船が水平線へ消える。
波の音だけが残る。
俺は小さく呟く。声にならない声で。
「待ってろ」
(観察者の役割は、ここまでだ)
(次は……参加者だ)
転生二ヶ月。
世界の輪郭が、見え始めた。
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【第1章 第3話】
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マナ消費を30%削減。詠唱破棄。
成功だ。
……けれど、僕はまだ知らなかった。
最適化しすぎた魔法が、世界にどんな「負荷」をかけるのかを。
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