第1章 第4話 声なき声

初めて知った。


魔法には、不正利用を防ぐ「安全装置」がある。


そして――

それを監視している"管理者"が存在することも。



第1章 第4話

声なき声


窓の外、まだ暗い。


でも、父と母は起きている。


羊皮紙を前に。


「……決めた」


父が羽ペンを取る。


「エルフとの契約を結ぶ」


母が頷く。「この子のために」


父が署名する。インクが沈む音。


(契約。エルフ航路。選択肢を増やす戦略)


俺は喉を震わせる。


「あ……」


両親が振り向く。


「今……」


「あ……う……」


母が駆け寄る。


「声! 初めて声を出した!」


父が笑う。「早いな」


(早い? 遅すぎる)


(伝えたいことが、山ほどあるのに)


(この体が、追いつかない)


母が授乳しながら話しかける。


「あー」


「あ……」


(もっと。もっと複雑な音を)


「うー」


「う……」


(『マナ』って言いたい)


(『濃度計』を指差したい)


(『なぜ上がった?』って聞きたい)


でも出るのは、単音だけ。


マルタが部屋に入る。


「賢いお子ですね」


母が微笑む。「そうね」


(賢い? 全然だ)


(知識はある。でも、出力できない)


(プログラムは書けても、実行環境がない状態だ)


マルタが窓を見る。


「でも……港が騒がしいですね」


「魔物?」


「避難民だそうです。辺境から」


母の顔が曇る。


「ダンジョン?」


「ええ」


(ダンジョン。確率歪みの固定化)


(それが、人々を追い出してる)


午後、ドアをノックする音。


父が応接室へ。母が俺を抱いて続く。


立っているのは――


耳が三角。尻尾が見える。


「ガルムと申します」


声が震えている。


「仕事を……探しています」


父が椅子を勧める。


「辺境から?」


「はい」


ガルムの目が泳ぐ。


「村の近くに、突然……」


「ダンジョンか」


「広がって……逃げるしか」


父が腕を組む。


「家族は?」


「妻と娘が。避難所に」


(家族のため。生き延びるため)


(種族も国も関係ない)


父が立ち上がる。


「倉庫の警備を頼む」


ガルムの尻尾が跳ねる。


「ありがとうございます!」


ガルムが去った後。


俺は声を出す。


「ま……」


両親が振り向く。


「まーまー」


母の目が輝く。


「ママ! ママって言った!」


(違う……マナって……)


でも母が嬉しそうに笑う。


俺は諦める。


(まあ、いい)


(結果オーライ)


父が笑う。「次はパパだな」


(いや、次は『システム』だ)


(でも、それも通じないだろうな)


窓の外。


海が見える。


何かが、水平線に立っている。


黒い。


塔のような。


(あれは……)


夕方。


マナ濃度計が鳴る。


1.25。


父が飛び込む。


「また上がった!」


母が俺を抱く。


「なぜ?」


「わからない」


父が窓を見る。


「あれだ」


海の向こう。


黒い塔が、ゆっくり成長している。


目に見える速度で。


「ダンジョン……こんなに近くに」


ガルムが階段を駆け上がる。


「旦那様! 港が騒いでます!」


「魔物か?」


「接近中です!」


マナ濃度計:1.28。


警鐘が鳴る。


「全員、屋内退避!」


父が剣を抜く。


母が俺を抱きしめる。


「大丈夫よ」


(大丈夫じゃない)


(でも……)


俺は声を出す。


精一杯。


「だ……い……」


母が俺を見る。


「だい……じょ……ぶ」


母の目に涙。


「……そうね」


そう言って、短剣を手に取った。


地下室。


母が俺を毛布に包む。


「すぐ戻る。約束」


ドアが閉まる。


暗い。


でも、壁の向こうから音。


金属音。


叫び声。


魔法の光。


(戦ってる)


(父と母とガルム)


(俺は、ここで、何もできない)


手を壁に当てる。


冷たい石。


(声しか出せない)


(でも、声があれば……)


(いつか、何かを変えられるはず)


俺は小さく呟く。


「お……か……え……り」


誰にも聞こえない。


でも、言った。


(これが、俺の最初の言葉だ)


(『おかえり』)


(必ず帰ってくる、って約束)


転生三ヶ月。


声を手に入れた。


次は――


その声で、世界を動かす。


暗闇の中。


小さな拳を握る。


戦いの音が、続いている。


-----

【第1章 第4話】

-----

その夜。


誰もいないはずの虚空に、無機質な文字が浮かんだ。


『警告:権限外の干渉を検知』

『対象ID:7829』


――目が、合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る